こんにちは。今回は仏教の歴史です。仏教は世界三大宗教とも言われ、全世界に5億2000万人の信者がいると言われています。また日本は8000万人が信者とも言われていますが、これはお葬式などの際に仏教の様式を取る人がそれぐらいいるという話で、心の底から仏教徒だ!という人は少ないと思います。
日本の歴史と仏教は切ってもきれない関係性です。古くに日本に伝わり、そこから勢力を拡大して来たため、今の信者数の状況となっているわけです。そして入試にもよく出ます。ではどのように発展して来たのかをみて来ましょう。
ワンポイント社会仏教の歴史
仏教の誕生
紀元前7世紀ごろ、現在のインドに王族としてガウタマ・シッダールタが誕生します。当時のインドの地域は非常に厳しい身分制度があり、王族はその中でも上位でした。しかし、普通の人の苦痛を体験しようと王城を飛び出し、さまざまな経験を積み、悟りを開きました。こうして彼は「悟りを開いたもの」という意味で「ブッダ」と呼ばれます。また、釈迦族の王子でもあったため釈迦とも呼ばれています。これらの教えなどを弟子が広め、仏教が成立します。
仏教の伝来
東アジアを中心に広まった仏教は、538年(552年説もある)に朝鮮半島にある百済という国からの渡来人によって伝えられます。渡来人とは大陸の知識や技術などを伝えてくれる人です。その渡来人が伝える中に「仏教」が入っていました。
しかし日本には「神道(しんとう)」と呼ばれる別の教えがありました。この世には八百万(やおよろず)の神々がいて、あらゆるところに神様がいるという教えでした。そこにいきなり「人の悟りがうんたらかんたら」、「仏様がうんたらかんたら」と言われたって受け入れるはずがありません。こうして仏教は日本では広まらず・・・とはなりませんでした。
日本は当時、大王と言われるリーダー(のちの天皇)と、それを支える豪族と言われる権力の強い一族集団がいました。それらで作っていたのが大和朝廷です。その豪族の中でも蘇我氏と呼ばれるめっちゃんこ強い一族のリーダーが仏教を受け入れよう!と力説し、大王も一度は受け入れます。これが初めて日本の朝廷が仏教を認めた瞬間です。
しかしその後日本中で疫病が流行りまくります。まだ細菌やウイルスが見つかっていない時代ですから、流行病=祟りや天罰と考えることも普通でした。そして大王はある豪族から「これは仏教のせいだよ」と聞きます。なので仏教を禁止にしました(自我ないんかい)。政治とはこんなもんです。
しかし数年が経ち、またしても仏教大好き蘇我氏のリーダーの蘇我馬子が「受け入れよう!」と言い出し、さらにあの聖徳太子も協力してライバルの物部氏を倒してしまいます。その後、推古天皇と呼ばれる日本初の女性の天皇が即位し、摂政として聖徳太子が政治を行います。ここに来て完全に日本の中枢に仏教が入り込む形となったのです。また法隆寺や四天王寺に代表される、聖徳太子建立七大寺は有名で一気に日本の中で仏教の存在を広めました。
仏教勢力の拡大
奈良時代になるとまたしても疫病が流行ります。またこの時代は藤原氏と天皇家との権力争いも激しかったため、当時の天皇であった聖武天皇は仏教に頼ることにします。全国に国分寺・国分尼寺を建てろと命令し、総国分寺として東大寺を建てます。またデカすぎる大仏も作ります。そして、それらの計画には仏教僧の行基が協力していました。
また753年には鑑真という僧も失明しながらも来日し、唐招提寺という寺を建てて仏教を広めます。そして平城京では仏教勢力が勢力を拡大していき、最終的には政治にも口を出し始めます。これに嫌気がさした桓武天皇は平安京遷都を決めたのです。
しかし805年806年と立て続けに新しい宗派ができます。それが最澄の教える天台宗と、空海の教える真言宗です。最澄は比叡山延暦寺を建て、空海は高野山金剛峰寺を建てます。仏教勢力の拡大は続きます。が、そもそもこの時点では厳しい修行に耐えられる人が悟りをひらけたのです。
末法思想と浄土信仰
仏教には正法・像法・末法と呼ばれる段階があり、真の教えが伝えられている時期を正法(しょうほう)、形だけの教えが伝えられている時を像法(ぞうほう)、教えが失われた時を末法(まっぽう)と言います。そして末法の時期がおよそ1052年だと推定され、当時を生きる人々に衝撃が走ります。末法思想で厄介なところは、もはや打つ手がないということです。何をしても世界の終焉が訪れることが確定しているのです。
しかし人間は強欲です。「この世は何をしても終わり」なら「あの世でいい思いをしよう!」となるわけです。こうしてみんなが極楽浄土に行きたいと思い始めます。いわゆる天国ですね。そして天国に連れて行ってくれるのは阿弥陀仏という仏様です。ですのでみんな阿弥陀仏に猛アピールします。時の権力者である藤原頼通は、十円玉のデザインにも採用された、平等院鳳凰堂と呼ばれるデカすぎる阿弥陀堂を建ててアピってました。詰まるところ、阿弥陀仏にアピールできるのは前述した厳しい修行に耐えられる人か、金持ち貴族だけだったのです。
鎌倉六仏教
しかし、鎌倉時代に入ると状況は一変します。なんと、「民衆でも救ってやるよ」って人がいっぱい出てきます。6人も!
ここは相当大切ですのでしっかり覚えてください。
これが6つの宗派とその開祖になります。まずは念仏州ですが基本念仏を唱えるだけで救われます。楽ちんなので民衆に人気でした。次に題目宗とも言われる日蓮宗は題目を唱えるだけで救われました。念仏と題目の違いは、念仏が仏様の名前を連呼するのに対し、題目は法華経と呼ばれる経典を連呼します。要するにどっちに"すがる"かってことです。また禅宗の二つは座禅を組み悟りを開いちゃおうって教えです。悟りをひらけば仏様になれるかもしれませんね。
名前はそれぞれ覚えるしかないですが、最低限「3・1・2」と覚えましょう。念仏3・題目1・座禅2です。そうすることでどこを思い出せていないか覚えているかがわかります。
キリスト教と神道と仏教
戦国時代になるとキリスト教がフランシスコザビエルによって伝えられます。またその頃仏教勢力はたびたび一揆を結成し、反乱を起こしていました。織田信長は仏教勢力に対抗するためにキリスト教を容認し(信長自身は仏教形式で葬儀等を行ったが)、キリスト教が勢力を拡大します。しかし、江戸時代に入ると鎖国の影響からキリスト教は厳しく取り締まられ、宗門改によりまたしても仏教勢力が盛り返します。
時は流れて明治時代になると、今度は国家精神として神道が指定され、廃仏毀釈により仏教はまたしても打撃を受けます。その後は第二次世界大戦の敗戦まで神道メインとなりますが、結果として今は信仰の自由が認められ、仏教徒は8000万人いることになっています。
以上が仏教の歴史でした。他に解説して欲しい範囲がある方はコメントください。では。