あつはなつい。万年五月病。五月に失礼。

 

さて27回目の8月が終了しようとしていますがいかがお過ごしでしょうか。自粛自粛言いつつそれなりに外出はしてるようなしてないような。あんまり言うと怒られそうなのでやめますが... (おそらく)学生最後の夏休みがこんな形になるとは思いませんでした。留学中止、最後の2年間はオンライン授業ってこれはAIUに入学した意味を問われているのでは?ヨーロッパ旅行したかったな...()

 

いい習慣をつけようとしてもなかなか続かない。惰性で続くものってなんですかね。いろんな人と話していても大概「コロナじゃなかったらね」に帰結するのは必然か。でも正直コロナ禍じゃなくても同じような生活してたんだろうなと思ったりもする。オンライン授業になってからの方が圧倒的に成績がいいのはなんでだろうな。就職してからも基本リモートワークだろうし。引っ越してまた一人暮らしになれば変わることも多いだろうけど。

 

2021年度はいろいろ考えることの多い年になっている。SNSでは政府批判オリンピック批判がいっぱいなされてますね。僕は頭が悪いので政治とかの話はしませんが悲しくなるほどに「至らない」ものを見ることが多くあるなあと思うなどしている。特大ブーメランだけど。ダブスタ、偏向、うーん... きっと下半期も同じようなことを考えなきゃならないんだろうなと思いますがそれなりにいい方向に転んでくれることを願ってます(他人事)

 

「なにか」をしなきゃと思って探すことに疲弊してさらにだらけるのなら探さない方がいいと思わない?思うよね。無理はしないようにしよう。頑張りすぎないように頑張ろう...

生きる意味も死ぬ意味もない。中途半端なものは淘汰されるべき。その選択権は与えられるに値する。自由権の至る範疇に収まるものと解釈。(日本国憲法第19条より)


なんのために生きていてなぜ死を選択してはいけないか、そこに明確な答えを与えられない。「メンヘラ」「かまちょ」「精神異常者」否定しない。ただなぜ死ぬことを頭ごなしに否定されなきゃならないのか。生存権は保障されてなんで死ぬ自由は認められないの?


何があっても楽しくない。嬉しくない。誰もそばにいない。話をする相手もいない。正の感情であるべきものが負の事象として脳に検知される。こんな脳みそにしてしまった自分が憎い。自分をこんな状態にした自分、その存在を消したいと言う思いを行動に移すことになぜ他者が介入するのか。


「いなくなったら悲しい」あまりにも陳腐だ。喪失感なんて時間が経てば薄れる。主観的な「死」に対する主観的な感情、それらは相容れない。「あなたが悲しむなら死ぬのをやめる」そんなに簡単にやめられる人はそこまで気に病まない。死を絶対悪とする生の押しつけを正当化するものは存在するの?

なにかをされたわけじゃない。なにかが起きたわけでもない。何かが起きそうなわけでもない。そんなごく普通の凡々とした日のあるとき突然「落ちる」というのがこの悪魔のこわさ。何も手につかない。でも何かしないと死ぬのではないかという恐怖。冷静になって振り返るとなぜそんなことになっていたのかと自分でも首をかしげる。突発的なものには何年経ってもいい対処法が見出せない。というかこれといった正解はないのかな。過去に何度も経験してきているけども、壁を殴って落ち着けたり、壁に頭突きしたり、叫んだり、なんとかギリギリセーフ(アウト?)のところで抑えてきていた。ただここ数年、特に2020年度はおかしい。

 

不眠症で睡眠導入剤を服用し始めてn年経過する。症状の悪化に伴ってどんどん量が増えていったけど少しずつ減らしてこられた。すこし安心していた。油断なのかなんなのか、突発的な不安感の逃げ場、捌け口としてODが姿を現した。最初は勢いで2,3日分飲むだけだったものも1週間分飲んでしまったりする。そのせいで前後1週間くらいの記憶が曖昧になる。脳にも臓器にも謝罪しかない。でもそれも薬を飲んで死のう、というのではなくただ目下の不安感から解放される術として薬を大量服用してしまっているだけ。本気で死にたい、死のうと思ったことはほとんどないしあったとしても状況がゆるさなかった。

 

では状況がゆるす場合にはどうなってしまうのか。私も気になっていた(他人事)。まさか具体的な策を講じようとは。自分でも驚いた。母親が泣く姿を見て朦朧とした意識下で「あ、まずいことしたんだな」となんとなく思った。人間はある程度頑丈につくられているんだなあ、とのんきに思った。鏡で見てみると思ったより跡が見えるのでさらに「やってしまった」感があとからやってきた。いろいろガタがきていたのだろう。無理をしてきた分が蓄積して飽和してしまった。

 

ありえない、と思っていた。そこまでは追い詰められてないわ、と思っていた。実際はどうか?自分の精神の崩壊具合なんて誰にもわからない。感知するセンサーが故障してしまっていたんだろう。追い詰められたときにはじめてその事実に気づく。もう遅い。「あ、自分やばいとこまできちゃってる」と思いながらことに及ぶのだから。

 

「追い詰められてしまう前に誰かに話そう」そう言われてきたしそう思ってきた。私がそう声をかけたこともあった。でもそれがどれだけ難しいことなのか身をもって知った。能動的に誰かに話そうとする人ではないから追い詰められてしまう。逆説的ではあるがそういうことなんだと思う。もっと周囲に注意を払って生きていかなきゃな、とかなり方向の違う結論に至った春休みでした。

 

まだ生きます。悪魔と闘いながら。

2月ってあっという間ですよね。それは小さいころからずっと変わらないなと思います。受験生だったときもセンターが終わってから国公立二次試験までの1ヶ月強が異常に短く感じられました。最近の天気にはかなり振り回されますね。あつ!さむ!って感じ。落ち着け?

 

さあ日系企業の就活がもう少しで解禁になりますね(棒読み)!もはや形骸化してるし解禁でもなんでもないですが... 外資系企業の選考は大方終わりましたね。外コン外銀はほとんど中途半端なところで不採用通知を受け取っているので悲しいです。最終落ちはもっとつらいです。とはいえ内定を一個持っているだけで精神的な安心感が違いますね。自分の中で一段落したなと思うところまでやって就活終わりにしようと思います。

 

冬セメを大人の事情で早期終了してから最近はもっぱらYou Tubeかギターです。Vivid Colorsのアウトロをどうしようか悩んで何ヶ月たったでしょう。。。まあ引きこもりが加速します。普通に考えたら体重グーンと増えるはずなんですがかなり緩やかです。これでも一年前より5kg増えたんですけど見た目にはあんまり出ませんね。お酒がおいしいです。日本酒飲みたい。ビールもいいけど。

 

就活終わったらたぶん金髪に戻ります。キューティクルにまたも別れを告げます。ハゲる?しらんな。

遅ればせながらあけおめです。2020年は本当に世の中が暗かったです。自粛ムードの中では祝い事は不謹慎という風潮がそのムードに拍車をかけているように感じます。2021年、少しでもいい方向に向かうことを願います。

 

"Easy come, easy go."と言いますが「悪銭身に付かず」が和訳に充てられるのはなんとなく違和感ありますよね。英語的な感覚は研ぎ澄まされていく感じがします。外国語学習として身につけるものが大きくなっているかは疑問ですが... CEFRでいうと一応C2まで持ってくることはできているようですが実感はないですよね。やっぱり授業でネイティブ帰国子女などなどと一緒になると表現したくても適切にできない無力感に苛まれるのは必至です。今年のうちにフランス語もB2くらいにもっていきたいところですが。道のりは長い、言語学習に終わりはない。。。。。

 

就活飽きました。心身ともに疲弊している感じが拭えません。薬は飲んでいても寝つきが悪い。早く起きてしまう。パフォーマンスが下がる。落ち込む。の負のスパイラル。。。オンライン面接はいいところが多いかなと思いつつオフィスに行ってモチベーション上げたいっていうのも本音としてはありますよね。もう少しで納得して終えられるところまで到達しそうなのでラストスパートです。

 

そんな引きこもり生活の中にも明るい話題や前向きな事柄は少しばかりあります。隙間時間をギターの練習に充てるようになったので前よりちゃんと弾けるようになった曲が多いのはうれしいことです。YouTubeの自己満チャンネルもはかどります。バイトもすべてオンラインなので機会費用的なことを考えても効率化できてるなあと思いますし、教育職に携わることはやn年という感じなのでほぼ自由にやらせてもらえる信頼。昇給も速い。モラトリアム最高。一年ちょっとしたら働きださないといけないの割と信じがたい現実って感じじゃないですか(26歳並感)?

 

音楽とは別に朗読チャンネルやってるのでよかったら。よりによって太宰。よろしくお願いします。