なにかをされたわけじゃない。なにかが起きたわけでもない。何かが起きそうなわけでもない。そんなごく普通の凡々とした日のあるとき突然「落ちる」というのがこの悪魔のこわさ。何も手につかない。でも何かしないと死ぬのではないかという恐怖。冷静になって振り返るとなぜそんなことになっていたのかと自分でも首をかしげる。突発的なものには何年経ってもいい対処法が見出せない。というかこれといった正解はないのかな。過去に何度も経験してきているけども、壁を殴って落ち着けたり、壁に頭突きしたり、叫んだり、なんとかギリギリセーフ(アウト?)のところで抑えてきていた。ただここ数年、特に2020年度はおかしい。

 

不眠症で睡眠導入剤を服用し始めてn年経過する。症状の悪化に伴ってどんどん量が増えていったけど少しずつ減らしてこられた。すこし安心していた。油断なのかなんなのか、突発的な不安感の逃げ場、捌け口としてODが姿を現した。最初は勢いで2,3日分飲むだけだったものも1週間分飲んでしまったりする。そのせいで前後1週間くらいの記憶が曖昧になる。脳にも臓器にも謝罪しかない。でもそれも薬を飲んで死のう、というのではなくただ目下の不安感から解放される術として薬を大量服用してしまっているだけ。本気で死にたい、死のうと思ったことはほとんどないしあったとしても状況がゆるさなかった。

 

では状況がゆるす場合にはどうなってしまうのか。私も気になっていた(他人事)。まさか具体的な策を講じようとは。自分でも驚いた。母親が泣く姿を見て朦朧とした意識下で「あ、まずいことしたんだな」となんとなく思った。人間はある程度頑丈につくられているんだなあ、とのんきに思った。鏡で見てみると思ったより跡が見えるのでさらに「やってしまった」感があとからやってきた。いろいろガタがきていたのだろう。無理をしてきた分が蓄積して飽和してしまった。

 

ありえない、と思っていた。そこまでは追い詰められてないわ、と思っていた。実際はどうか?自分の精神の崩壊具合なんて誰にもわからない。感知するセンサーが故障してしまっていたんだろう。追い詰められたときにはじめてその事実に気づく。もう遅い。「あ、自分やばいとこまできちゃってる」と思いながらことに及ぶのだから。

 

「追い詰められてしまう前に誰かに話そう」そう言われてきたしそう思ってきた。私がそう声をかけたこともあった。でもそれがどれだけ難しいことなのか身をもって知った。能動的に誰かに話そうとする人ではないから追い詰められてしまう。逆説的ではあるがそういうことなんだと思う。もっと周囲に注意を払って生きていかなきゃな、とかなり方向の違う結論に至った春休みでした。

 

まだ生きます。悪魔と闘いながら。