生きる意味も死ぬ意味もない。中途半端なものは淘汰されるべき。その選択権は与えられるに値する。自由権の至る範疇に収まるものと解釈。(日本国憲法第19条より)


なんのために生きていてなぜ死を選択してはいけないか、そこに明確な答えを与えられない。「メンヘラ」「かまちょ」「精神異常者」否定しない。ただなぜ死ぬことを頭ごなしに否定されなきゃならないのか。生存権は保障されてなんで死ぬ自由は認められないの?


何があっても楽しくない。嬉しくない。誰もそばにいない。話をする相手もいない。正の感情であるべきものが負の事象として脳に検知される。こんな脳みそにしてしまった自分が憎い。自分をこんな状態にした自分、その存在を消したいと言う思いを行動に移すことになぜ他者が介入するのか。


「いなくなったら悲しい」あまりにも陳腐だ。喪失感なんて時間が経てば薄れる。主観的な「死」に対する主観的な感情、それらは相容れない。「あなたが悲しむなら死ぬのをやめる」そんなに簡単にやめられる人はそこまで気に病まない。死を絶対悪とする生の押しつけを正当化するものは存在するの?