2024年8月9日に開催された長崎平和祈念式典で、主要国首脳会議(G7)メンバーの欧米6か国およびヨーロッパ連合(EU)の駐日大使らが、式典への参加をボイコットする、という異常な事態になった。
ことのはじまりは、長崎市が、今年の平和式典にイスラエルを招待しないと決定したことにある。長崎市長はその理由を「平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を実施するため、不測の事態の発生などのリスクを考えた」と説明している。
これに対して、G7の欧米6か国とEUの駐日大使らは連名で、「イスラエルを招待しないことは、同じく招待しないロシアやベラルーシと同列におくことになるので、同意できない」という手紙を、事前(7月19日)に長崎市長に送っていた。さらに「もしもイスラエルを招待しないならば、駐日大使らは式典に参加できない」ことを伝えたという。ところが市長は、イスラエル不招待の決意を変えなかった。その結果、欧米G7とEU代表部、そしてEUに属する国の多くの駐日大使が不在のまま、式典が行われることになった。
式典に参加した国の名簿(インターネット版“HUFFPOST”の資料より)から、駐日特命全権大使が欠席して、そのかわりに代理人が出席しているらしいものをピックアップすると、
EU代表部、アイスランド、アメリカ、イギリス、イタリア、エストニア、オランダ、カナダ、ギリシャ、スウェーデン、スペイン、スロバキア、チェコ、デンマーク、ドイツ、フランス、ポーランド、ポルトガル、リトアニア、ルーマニア
などがボイコットしたものと推測される。
こうした結果をみると、イスラエル除外に反対する西側欧米の国々が一致して、長崎市の決定に強い反対の意思を表明したことがわかる。私たち日本人にとっては驚くような事態で、なぜそこまで西側欧米がイスラエルに連帯するのか、とまどうばかりだ。でも、状況はすでに、そんなことを言っている場合ではない。西側欧米大使らは、日本全国あるいは全世界に向かって、「欠席」というかたちで、長崎市長の考えをまっこうから否定するデモンストレーションに訴えたのだ。しかもそれは、G7だけをとってみても「6対1」という大差であり、あたかも日本(長崎市)が孤立してしまったかのような様相さえみせている。これは、おそらく私たちが戦後初めて目にする、西側欧米と日本との対立である。
駐日アメリカ大使は、西側欧米が反対する理由を、「ロシアのウクライナ攻撃は侵略だが、イスラエルのガザ攻撃はテロに対する自衛だから、イスラエルをロシアと同じように扱うのは不当だ」と述べている。また大使は、「長崎市長がイスラエルの出席を拒んだのは、(イスラエルを制裁するという)政治的な理由からだ。広島で(イスラエルが参加している)式典に問題が起こらなかった例をみれば、(長崎市長の言いわけは)理由にならない」としている。イギリス大使や(代理出席した)フランス公使も、日本のマスコミからの質問に対し、まったく同じ反対理由を述べていて、ドイツ・イタリア・カナダの各大使も、これに同調している。長崎の平和式典当日には、アメリカとイギリス、そしてイスラエルの駐日大使らは、東京で開かれた長崎原爆慰霊式典に参加して、被爆者への哀悼を示した。
このような西側欧米諸国に対して、イスラエル大使は「歴史の正しい側に立って行動したことに感謝する」と、SNS(Social Networking Service、Youtube、Xなど)に投稿した。
いっぽう、パレスチナ駐日代表は、長崎市の決定を支持し、西側欧米各国大使が式典を欠席したのは、「被爆者に対する侮蔑(ぐべつ)だ」としている。また、ロシアの駐日大使は、(ロシアを招待しない)広島市・長崎市の平和式典そのものが政治化している、と批判したうえで、「(イスラエルが招待されないことで)西側欧米諸国が式典をボイコットするのは、長崎市に失礼だ」と述べている。
また、マスコミからの取材を受けたエジプト大使は、「イスラエルのガザ攻撃は自衛ではない」と、欧米G7各国の認識を批判している。でも、それ以上の言及は避けて、最後は「被爆者への哀悼をささげることが大切」としめくくった。
欧米のG7各国はそろって長崎平和祈念式典に不参加だったが、EUの国々は、参加した国と不参加の国とに分かれたようだ。EUの中で、アイルランド、オーストリア、ベルギー、ラトビアなどは、特命全権大使が出席している。駐日アイルランド大使館は、大使が式典に参加したことを伝えるメッセージを、西側欧米のボイコットに対するコメントぬきで、SNSに投稿している。また、大使が式典に欠席した駐日カナダ大使館は、同じSNSへの投稿の中で、自国の大使の欠席には言及せず、大使の代理が式典に出席したことだけを伝えている。
また逆に、EU以外でも、オーストラリアとスイスの大使が、G7やEUに同調して、式典に参加しなかったようだ。欧米域外のオーストラリアと中立国のスイスが長崎市の決定に反対したことは、“西側欧米の同盟”という枠組みだけではない、不参加の理由があることを示唆している。そこにべつの“動機”が働いたのだとすれば、もしかしたら、西側欧米以外の地域でも、長崎市の決定に反発する国があったのかもしれない。
日本のマスコミは、こうしたニュースを連日、大々的にとりあげた。インターネット・ニュースをみると、報道各社は「長崎市がイスラエルを招待しなかった」ことと「西側欧米諸国の大使が長崎の式典を欠席した」という事実を、冷静に伝えている。ただしメディアによって多少温度差があり、事実関係だけを伝えようとしているものもあるが、どちらかというと長崎市長の考えによりそって報道をしているものが目立つ。
たとえば、ANNニュースの記者は、式典会場で取材しながら、「(西側欧米大使らが)出席しないという判断をしたが、それに違和感を感じる」と述べている。これはすでに、西側欧米大使らの行動を暗に批判する発言である。ニュース番組に出演する解説者・コメンテータは、長崎市長と西側欧米大使らの主張をそれぞれ解説しながら、市長には共感的な、西側欧米大使らには否定的なコメントをしている。それらの意図は、どうやら「イスラエルのガザ攻撃の悲惨さを考慮して、式典に招待しないことを決めた長崎市長には道理があるが、それを理由に欠席する西側欧米の態度は寛容さに欠ける」と言いたいらしい。
ニュースの街頭インタビューでも、ガザ攻撃をジェノサイド(genocide 民族殺りく)だと考え、イスラエルを招待しないと決めた長崎市長を称賛する声が多数をしめる。そして、イスラエル不招待を理由に西側欧米諸国がボイコットしたことには、遺憾もしくは残念に思う、とする意見ばかりが出てくる。【日本のメディアでは「ボイコット」という表現をさけて、「不参加」「欠席」を使っているが、海外メディアの多くは「ボイコット」を使っている。】
こうしたマスコミの姿勢が、日本全国の世論をどの程度反映しているのかわからないが、国内のインターネット報道をみるかぎりでは、長崎市の決定を批判するコメントや、西側欧米のボイコットに賛同する意見は、ほとんど出てこない。長崎市、西側欧米のどちらにもくみせず、中立をつらぬこうとしているメディアもあるが、少数派である。
そんな中で、産経新聞だけは、「長崎市の処置はG7の結束を乱す行為」とする政府関係者の見解を紹介している。
これに対して、イギリスBBCとアメリカCNNは、やはり事実関係を客観的に伝えているが、日本のマスコミとは対照的な報道姿勢をとっている。ニュースの中では、日本の報道映像と同じものを使って「長崎市長のイスラエルを招待しない理由」と「駐日イギリス大使、アメリカ大使が述べた不参加の理由」を説明している。でも、ニュースの核心部分は、西側欧米大使らの言い分に焦点をあてているので、こちらが正当だと言いたいことがわかる。フランス語のニュースも、イギリス・アメリカとまったく同じ報道姿勢をとっている。
カタールで放送されている「アル・ジャジーラ」(英語版)と、サウディ・アラビアで発行されている「アラブ・ニュース」(英語版)は、「長崎市がイスラエルを式典に招待しなかった」ことと「西側欧米諸国が式典をボイコットした」という事実だけを伝えている。ただし、「アル・ジャジーラ」のほうは、「西側欧米」というところを「アメリカに主導された西側欧米」と表現している。どちらのニュースも、解説やコメントをつけずに、西側欧米にも日本にもくみしない姿勢をとっている。
パレスティナのWAFAニュース(英語版)は、長崎市長が式典にイスラエルを招待しなかったことに関して、「イスラエルが世界からのけ者にされている証拠だ」とパレスティナ大統領報道官が述べたことを伝えている。
イランとインドの英語版ニュースでは、この件に関する記事は見あたらない。長崎市の平和式典そのものが報道されていないようだ。
ロシアのタス通信は、海外向けの英語版では、「原爆が投下された広島と長崎で平和式典が行われた」ことを短く伝えている。でも、国内向けのロシア語版では、式典そのものに関する記述がない。
これらの報道結果をみると、どうやら今回の騒動に直接関係する国々では、それぞれ自国の市長・大使の主張にそって、あるいはそれに同調するような、ニュース報道をしていることがわかる。ところが、騒動と無関係の国々では、西側欧米と日本のどちらの側にもつかず、中立的な報道をしているか、あるいはまったく報道していない。
日本国内では、「西側欧米諸国以外は、大使本人が式典に出席しているので、これらの国々は長崎市の決定に賛同している」とみなすニュース・コメンテータの意見やSNSの投稿が多い。しかし、上記の結果をみると、それらの国々は、けっして賛同しているわけではない。長崎市の決定を支持しているのは、パレスティナとその駐日代表、そして駐日ロシア大使だけ、ということになる。
「長崎市のイスラエル排除に反発した西側欧米の大使らが、式典を欠席する」というニュースが報道されると、長崎市長の決定を支持し、西側欧米の行動を批判する世論の声が、いっせいにわき起こった。SNS上には『長崎市長に連帯する』という“スレッド(thread 一連の投稿群)”がたち、式典当日に大使らのための座席が空席のまま並んだ光景がテレビ画面に映しだされると、さらに多くのメッセージが書きこまれた。それらの主張の大すじは、「ガザ地区で虐殺をするイスラエルは平和式典から排除すべき」「(ロシアの攻撃は侵略で、イスラエルの攻撃は自衛だとする)欧米G7の主張は、“ダブル・スタンダード(double standard 二重基準)”だ」とするものだった。
また、長崎市に対して直接、電話やメールで賛成・反対の声をよせるものもあったようだ。それらをまとめた職員らの話によると、国内からのものは、長崎市の決定を支持するものが大多数で、西側欧米のボイコットに対しては批判的な意見が多かったという。
SNSには、海外からの投稿と思われる、長崎の原爆犠牲者への追悼メッセージもある。その中には、長崎市の処置に反応して「イスラエルのガザ攻撃」について言及しているものも多い。
オーストラリアからの発信と思われる投稿には、長崎の原爆犠牲者への追悼とともに、「ガザ攻撃による犠牲者をいたみ、攻撃を行ったイスラエルを非難する」という内容がつづられている。これは、イスラエルを招待しなかった長崎市に賛同するメッセージといえるだろう。また、ロシア語で書かれた投稿には、長崎追悼につづけて、「現在、地球上で起こっている、あらゆる戦争・殺りくに反対する」「いかなる核兵器も使用すべきではない」という強い意思が語られている。これは、ウクライナ戦争とガザ紛争の両方を指したものと思われる。
ところが、こうした海外からの投稿では、西側欧米が長崎市に反発して欠席したことについては、まったく何の反論もしていない。この点が日本人が発信する投稿とは大きく違うところで、海外の人たちは、西側欧米が式典をボイコットしたことを遺憾だとは思っていないようだ。つまり、長崎市の決定に共感しながらも、西側欧米の反対行動にも理解を示している。
インターネットのニュース動画の中で、長崎原爆被災者協議会会長は、ガザ地区への戦闘で多数の死者を出したイスラエルを、「血に染まった人たち」と呼び、「慰霊の式典に招かないのは当然だ」と述べている。また同会長は、「(大使らが)来たくないというのであれば、来なくてよい」という発言もしている。この「血に染まった」という差別的な表現は、いかにも怒りにまかせた暴言で、だれに対してもどの国に対しても使うべきではない。また、「来たくないなら来るな」というのは、ウクライナへ侵略したロシアに対し『軍事侵攻の即時停止を求める決議案』が国連総会で圧倒的大差で可決されたとき、ロシア高官が、同じようなことばを使って、国連決議を無視する姿勢を示していた。これも自分かってで無責任な発言であり、とても受けいれることはできない。ところが、SNSや街頭インタビューの中には、これと似たような問題発言を、たくさんみることができる。
長崎の騒動に関するSNSには、根拠のないデマや流言がとびかって炎上したものがいくつかある。たとえば、「このボイコットを画策したのはアメリカだ」とするうわさが、一部のスレッドで広まった。すると、それを信じた人たちが、アメリカを攻撃する文章、さらには駐日アメリカ大使個人に対するひぼう・中傷を書きこむようになった。もともとは「式典欠席を批判する」スレッドだったものが、「アメリカやアメリカ大使をバッシングする」大合唱にさし替わっていた。その中には、「原爆を落とした張本人」「反省がない」「他国をボイコットにまきこんだのは大使がユダヤ人だから」などの暴言があった。
SNSはインターネットという世界共有の空間にあるので、日本から発信された投稿は、そのまま海外に流され、世界中の人々の目にさらされる。日本語で発信すれば海外の人にはわからない、と思っている人もいるようだが、いまはそんな時代ではない。日本語を理解する人は世界中にいるし、自動翻訳もある。
海外発のSNSには、西側欧米大使らの式典欠席を批判する日本発の動画や投稿を、外国語に翻訳して再投稿しているものがある。そうした中には、日本人の発言をあざける意図をもったものもあるようだ。侮辱(ぶじょく)的なことばで西側欧米を非難する部分だけが切りとられ、過激なことばをそのまま英語・フランス語などに訳したテロップをつけて、流されている。すると、これを視聴した海外の人たちが、それに対するレス(レスポンス Response 投稿への返事)を、さらに強い口調で書きこむ。そのすべてが、長崎市というよりは日本に対する非難である。その中には、「日本が(先に)攻撃した」「(被害者顔をした)偽善者」さらには「G7から出ていけ」というのもあった。
また、ここでもうひとつ問題なのは、長崎市のイスラエル除外および西側欧米諸国の式典ボイコットに関し、内閣官房長官・首相ともに「長崎市主催の行事に対して政府としてコメントする立場にない」と述べたことだ。長崎市長・西側欧米大使のどちらにもくみしない姿勢を示すことで、国際問題になることを避けたつもりなのかもしれない。しかし、このような態度は、かえって西側欧米からの不信を招くことになった。
式典を迎える前に、長崎市側と西側欧米大使側が決別したことは、国内外のニュースで報道されている。ということは、この時点ですでに事態は国際的な“もめごと”になっていたわけで、外交政策を担う日本政府(外務省)には、両者の調停をする責任があったのではないか。NNNニュースは、「政府関係者が『原爆犠牲者の慰霊といまの戦争を分けて考えるべき』として市長を説得しようと試みたができなかった」ことを伝えている。ということは、もともと日本政府は、西側欧米と協調して、長崎市長の決定に反対する立場だったと思われる。それならば政府は、何としてでも事前に長崎市のイスラエル除外を阻止すべきだったし、それができなかったのなら、公の場で長崎市長を叱責(しっせき)し、イスラエルを招待しなかったことに遺憾を表明すべきだった。それなのに、最悪の結果が出たあとで、「我(われ)関せず」という、無責任な態度をとってしまった。
アメリカ国務省が「イスラエルを招待しなかったことは遺憾」とする声明を出しているが、これは日本政府のあやふやな態度にアメリカがいらだちを示した結果、とも受けとれる。というのも、日本政府の意向は、友好国アメリカに対しては、おそらく事前に説明がなされたはずで、アメリカ側も了承していたと思われるからだ。
政府が態度をあいまいにしたことで、国内の世論やマスコミが「長崎市長を擁護する」側にかたむいたことは否定できない。西側欧米大使がボイコットという強硬手段に出たことで、おそらく“四面楚歌(しめんそか)”状態におかれた市長を守ろうとする心理が働いたのだろう。国際問題化することを避けようとしてとった政府の作戦は、かえって問題をこじらせることになった。
長崎市長は、みずからの信念でイスラエルに抗議する意思を変えないし、その考えを完全否定する西側欧米も、イスラエル擁護のためには実力行使もいとわない。このように、長崎市と西側欧米がそれぞれの正当性を主張しつづければ、きりがない。どこかで決着をつけるしかないが、こういう場合は、多数決で決めるのがいちばん民主的で公平なやり方ということになる。とすれば、答えは最初から出ている。G7欧米6か国が反対の意思を示す手紙を長崎市長あてに送った時点で、多数決により、市長の考えは否決されたのだ。
それなのに、長崎市長は「私が説明してきた内容がまだ十分に理解してもらえていない」などと、否定されたことを認めず、あくまで自己の正当性に固執した。こうした態度をとり続けた市長と、それを擁護して西側欧米を批判してきた世論やマスコミは、国際規範に照らしあわせて、これまでの発言や記事が真に公正・公平だったのかを問い直す必要がある。とくに、イスラエルをべっ視する発言や、式典を欠席したアメリカ大使の名誉をき損し、アメリカ本国を敵視する暴言を発した人たちは、反省し、謝罪してもらいたい。
日本は、国際連合に加盟した1956年以来ずっと、西側欧米とは親密な関係をきずいてきた。それなのになぜ今回、西側欧米大使らの警告に逆らってまで、イスラエル除外という決定を長崎市長は下したのか、またそれを政府は止めることができなかったのか。そして、長崎市長擁護・西側欧米批判へとかたむいていくマスコミや世論の動きに、日本国民は同調してしまったのだろうか。
今回の問題では、ガザを攻撃したイスラエルに対する“見かた・扱いかた”が、長崎市(長)と西側欧米とで異なっていたことが、大きな要因だといわれている。SNSでは、『西側欧米がなぜイスラエルに肩入れするのか』についていろいろ憶測していて、「アメリカには親イスラエルのロビィスト(lobbyist 政府の政策に働きかける利益団体)がいるから」「第2次大戦時のホロコースト(holocaust ナチスドイツによるユダヤ人虐殺)への同情・つぐないがあるから」などの見かたが掲載されている。これらは、よく聞く意見だが、どれほど信ぴょう性があるのか、そこに偏見や誤解はないのか、という疑問が残る。
たしかに、西側欧米人のイスラエルに対する思いは、私たち日本人が抱くものより大きいように思える。でも、たとえそうだとしても、その違いをのりこえて、たがいに協調できる道をさぐるのが、政治の役割のはずで、多くの友好国らの思いをふみにじって、自己の信条でかってにイスラエルを拒絶する決定を下したことは、許されることではない。また、その決定に対抗手段をとった西側欧米を、こちら側の基準だけで批判してしまった行為も、まちがっている。そうした結果が「6対1」あるいはそれ以上の大差で、長崎市(日本)側の敗北として、世界中に知らしめられることになった。とくに、これまでいつも日本を擁護し、あと押ししてきたはずのアメリカが、ノーをつきつけたことは、私たちにとって大きな衝撃となった。
“イスラエル:パレスティナ”問題をめぐる、“イスラエルのガザ攻撃”に対する日本人の認識が、西側欧米世界から否定されてしまった以上、私たちがなすべきことは、その事実を認めること、そして、私たちが西側欧米の共通認識を理解するために、何が大切なのかを考えることだ。それは、今後も日本が西側欧米とうまくやっていくために、ぜったいに必要なことである。
これまで日本は、G7の一員であることを誇りとし、日米関係とともにG7諸国との友好関係を最重要視してきた。G7は、世界の政治・経済問題について話しあう“主要先進国グループ”と定義されている。でも、G7メンバーは、単に経済的に発展しているだけではなく、『自由と民主主義』『多元主義』『代議制政治』という価値観を共有している国々でもある。したがってG7は、これらの価値観をもつほかの国々とも連携して、協力していくことが求められる。
イギリス『エコノミスト』誌傘下のEIU研究所が、毎年“民主主義度指数”を発表している。その2023年度版によれば、上位はほとんどヨーロッパの国々がしめるなかで、アジアからは、台湾(8.92)、日本(8.40)、韓国(8.09)、イスラエル(7.80)などが“民主主義国”として認められている。北アフリカ・南西アジアの国々の中では、ただひとつ、イスラエルだけが“民主主義国”とされている。ということは、G7メンバーは、同じ「民主主義」を共有するイスラエルと協調していく責務がある。
いっぽうパレスティナは、2024年の時点で、193の国連加盟国のうち145か国が国家として承認しているが、日本は国家として承認していない。そのため、「国」ではなく「パレスチナ自治区」という呼称を使っている。大使館は存在せず、「在パレスティナ日本政府代表事務所」と「在日パレスティナ常駐総代表部」を相互に置いている。また、2024年の国連総会において、『パレスティナの国連加盟を支持する決議案』が採択され、日本もこれに賛成した。
現在、ガザ地区を実効統治している「ハマース」は、「スンナ派イスラム原理主義組織」と解釈される。日本は、アメリカ、EUなど西側欧米諸国と同様に、これをテロ組織と指定している。したがって、この解釈によれば、ガザ地区は「テロ組織が統治する地域」あるいは「テロ支援地区」ということになる。なお、パレスティナ政府は、ハマースによるガザの統治を公式には認めていないし、支持もしていない。
以上のような知識を事前にもっていれば、私たちの“イスラエル:パレスティナ”問題に対する見かたは、変わっていたのではないだろうか。そして、西側欧米がなぜイスラエル除外に反対したのか、すこしは理解できたかもしれない。
今回の騒動で、長崎市長は2つの大きなあやまちを犯している。それは、すなわち、
1)欧米G7の連名で「イスラエルを招待しないとする長崎市の措置に反対する」という手紙を受けとったとき、あるいはそれについて政府・外務省と相談したときに、イスラエルを招待するよう方向転換すべきだったのに、それをしなかった
2)イスラエルを招待しなかったことについて釈明する記者会見上で、「混乱を避け、平穏に式典を執行するため」などと虚偽の理由を述べた
という2点だ。
この1つめに関しては、一部の報道によって、外務省(または政府関係機関)が長崎市長にイスラエル除外を撤回するよう促していたとされている。ところが市長は当初の意思どおりに断行し、それが西側欧米大使らのボイコットという結果を招いてしまった。式典の運営に関しては、主催者である長崎市の意向ですすめてよいが、今回の件では、欧米G7からの手紙が送られてきた時点で、事態は“外交”問題に発展した、ととらえるべきだ。“外交”は国および政府の専権事項であり、一地方自治体が、外国と日本との関係に影響を及ぼすような決定を下すべきではない。
2つめで問題になるのは、イスラエル排除が、ガザ攻撃に対する抗議あるいは懲罰の意図をもつことは明らかなのに、そうした政治的理由をかくすために、さしさわりのないべつの理由にさしかえて、公の席で発表したことだ。市長は「不測の事態の発生を防ぐため」などと述べたが、世論もマスコミも、だれひとりとして、それが真の理由だとは思っていない。アメリカ大使とフランス公使は、記者からの質問に対し、怒りに似た表情を見せながら、長崎市長の言いわけを強いことばで否定した。日本国内では、真の理由をかくしてものごとを進めることがあるが、海外との交渉や取引でこんなことをすれば、相手からの信用を失い、虚偽罪で告訴されることにもなる。
長崎式典での騒動は、すでに過ぎたことなので、いまさら時間軸をもとに戻すことはできない。日本政府は、このまま沈黙をとおして、みんなが忘れることを望んでいるのかもしれない。しかし、それで本当にいいのだろうか。
今回の件で、「日本は、反イスラエルで、西側欧米が共通にもつ理念を否定する国」というイメージがつくられ、それが全世界に拡散してしまった。とくに、これまで同盟国として友好関係を保ってきた西側欧米諸国の大使らと、一時的にせよ反目してしまったことは、とり返しのつかない汚点となった。各国大使館は、つねに日本の政治の動向・マスコミや世論の流れに注視していて、そのリポートを本国に送っている。その役割を担っている中心人物に不快な思いをさせてしまったことが、今後どんな影響をもたらすのか、懸念される。
たとえばウクライナ戦争に関して、日本は域外にもかかわらず、これまでオンライン会議もふくめてG7のすべての会合に呼ばれ、参加してきた。これは、G7の一員だから当然というわけではなく、アメリカをはじめとする友好国のあと押しがあってこそ可能だったことだ。(以前には、欧米を舞台とする問題については、日本以外のG7で話しあわれることが何度かあった。)今後は、もしも西側欧米の共通理念に否定的とみなされれば、日本だけ外される可能性がある。
となれば、西側欧米諸国と日本(長崎市)が和解できる道はただひとつ、長崎市(日本)がみずからの非を認めて、謝罪する以外に方法はない。長崎市長がイスラエル大使館をたずねて、報道陣の前で、イスラエル大使に直接、今回の非礼をわびることだ。市長にとっては“苦渋の決断”になるだろうが、いまこそ、長崎市長としての度量をみんなに見せてもらいたい。同様に、式典を欠席した西側欧米の大使らにも、ひとりひとり謝罪する。その結果、和解が成立するならば、西側欧米との友好関係が、以前にもまして深まるかもしれない。