ボタンひとつで、すべての情報が引き出せるような時代にあって、なぜこんな制度が存続しているのかわからない。とにかく、ひとむかし前の、家系とか血筋に対する考え方が、いまでも有効なことに驚いたし、その情報を追い求めるために、文字どおり東奔西走しなければならない現実に、戸惑う日々だった。

 人生の最後をしめくくる儀式を終え、お世話になった方々へのあいさつをすませると、最後は近しい親族だけが残された。遺影を前に、故人との思い出を語っているうちに、ふと話題は、十年ほど前に亡くなった故人の配偶者のことになった。そして、当時の遺産相続をとりしきった親族が、手続きの煩雑さとそのときの苦労を冗談まじりに話し始めると、「それじゃこんどの相続手続きはだれが仕切るのか」ということになって、みんなの視線が私に向けられた。前回の相続のときは、なんの手伝いもせずに、遺産を受けとる書類に署名・捺印するだけで終わっていたので、今回はぜひに、という流れになるのは自然なことで、私もうすうすそうなるだろうと観念していた。でも、そのときの私は、遺産相続に関する知識がまったくなくて、前回の担当者が言った「手続きがめんどうだった」ということば以外は、耳に入らなかった。それより、まだ続いている葬儀の段どりのことが頭にあって、だれからなにを言われても、気のない返事をしていた。
 もちろん、遺産相続のことを考えなかったわけではない。でも、それはあとまわしでよい、まだ時間は十分にあると、そのときは思っていた。国税庁のホームページ(https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4205.htm)によると、死亡した日から10か月以内に、相続税の申告および納税をすることが定められている。この10か月という期間は、一見すると長そうだが、実際に経験してみると、そうでもないことが、だんだんとわかってくる。というのも、最初の数か月は、葬儀のことだけで手いっぱいで、ほかのことを考える余裕などないからだ。火葬場が混んでいるからと、告別式を一週間以上も先延ばしにされたし、四十九日法要では、親族間のスケジュール調整がうまくいかなくて、予定をなんども変更した。葬儀というのは、なにをするにも、あきれるほど時間と手間がかかる。さらには、故人が生活した介護施設・実家での遺品整理がまたたいへんで、こればかりは他人任せにできないからと、あまり親密とはいえない親族が、よってたかって金品を物色する作業に、何日間もつきあわされた。

 そうした葬儀後のごたごたに、ひと区切りがついたのは、告別式から2か月ほどがたったころだ。やっと遺産相続のことを考える余裕ができて、今回の相続をとりしきることになった私は、相続手続きを依頼するため、会計事務所へあいさつに出向いた。でも、そのときはまだ内心、〈事務所に一任すれば、自分はなにもすることはないんじゃないか〉などと、ノー天気なことを考えていた。ところが担当税理士に会うなり、開口いちばん、「故人のぜんぶの戸籍謄本を集めてきてください」という、あらたなミッションを告げられた。
 最初にそれを聞いたときは、なにを言っているのか意味をはかりかねて、何度か聞き直した。すると、遺産を相続するためには、故人の戸籍謄本の履歴をさかのぼって、おぎゃあと生まれたときから亡くなるまでに登録された、すべての戸籍謄本(除籍謄本)をそろえる必要があるのだという。それによって、血縁関係があきらかになり、だれが遺産を相続できるのか確定できる、ということらしい。たしかに戸籍謄本には、いつどこでだれを親として出生したか、だれと結婚したか、夫婦の間にだれが生まれたか、どこで死亡したかなどが、こと細かく書かれている。節目のたびに、入籍、転籍、除籍などが戸籍に記載されるから、これほど確かな身分証明はない。
 でも、故人の最後の戸籍謄本ならまだしも、90年も前になる出生時のものまでとなると、存在するかどうかさえ疑わしい、古代の遺物を探しあてるようなもので、まったく現実離れしている。そもそも故人は『人生いろいろ』を地でいくような人だったから、生まれてから死ぬまでに、ひとつところに居すわっていたはずもなく、結婚後は、転職と転居をなんどかくり返してきたらしい。もしも、全国各地を渡り歩いていたのだとしたらどうなるのか。戸籍謄本が何種類あるか、わかったものではない。葬儀のごたごたからやっと解放されたというのに、まためんどうなことを押し付けられたようで、一瞬にして、いやな気分になった。

 まず、故人の正確な出生地からしてわからない。どういう変遷をたどって、現在の地までたどり着いたのか、その経緯を聞いたこともない。それを知っていそうな親きょうだいは、ひとり残らず他界していて、ほかに頼れそうな親戚もいない。戸籍の履歴をたどる方法はただひとつ。故人の戸籍謄本の冒頭にある「〇〇年〇月〇日△△から転籍」とある1行だ。これは、本籍地が△△から現在地へ移籍したことを示しているので、△△の役所に行けば、ひとつ前の戸籍謄本を入手できることになる。そして、その戸籍謄本には、またべつの「◇◇から転籍」という戸籍情報が書かれているだろう。だから、これをくり返して、ひとつ前の戸籍を順にたどっていけば、出生時の戸籍にまでさかのぼれるはずだ。
 いまどき、こんなめんどうなことをしなくても、最終戸籍がある役所で、故人の過去の戸籍をすべて、ボタンひとつで参照できそうだが、現状では、そうなっていない。というより、そういうしくみが、できていない。最新の戸籍情報は電子化されているが、何十年も前のものは、手書きあるいは漢字かなタイプで印字されたものが、そのまま実物か写真で保存されているらしい。だから、その時代までさかのぼって戸籍謄本をとるためには、ひとつずつ役所をまわって、原本を参照する必要がある。しかしこのやり方だと、戸籍がいったいいくつあるのか、どこまでさかのぼればよいのかがわからない。それに、古い戸籍がもし遠方にあれば、そこまで行かなければならないから、たいへんな労力になる。

 でも、あれこれ迷っているひまはない。できるところから始めるしかない。故人の最終本籍地のある区で、まずは最初の戸籍謄本を申請することにした。いまは区役所へ直接出向かなくても、地域のサービスセンターのようなところで、故人との血縁関係を証明するものを提示すれば、入手することができる。ただ、自分のものではない戸籍謄本をとることには、少しためらいがあった。窓口で、それをどう説明しようか迷っていると、対応した年配の女性は、私がくどくど言うまでもなく事情を察し、私の運転免許証を確認しただけで、あっさりと最初の戸籍謄本(除籍謄本)を渡してくれた。
 その謄本が故人本人のものであることを確認してから、内容をくわしく見ていった。すると、そこにある転籍の記録には、ひとつ前の本籍地として、隣接する県の住所が書かれていた。そこは、故人が現在地に引っ越す前の住所であり、私もよく知っているところだ。さっそく、その市役所まで行って、その日のうちに2つめの戸籍謄本も入手することができた。なるほど、これをくり返していけば、故人の戸籍謄本をすべてそろえることができるわけだ。
 ところが、そうたやすくはいかなかった。最初のうちは、転籍欄に書かれた住所が比較的近距離にあったので、順調に戸籍謄本を入手できていた。でも、5件目の戸籍謄本を入手したときに、その転籍欄を見ると、遠く離れた県と市の名前が書かれていて、思わずため息がもれた。これでは、手軽に市役所へ出向いて、というわけにはいかない。どうしたものかと思って、その市のホームページを参照してみると、戸籍謄本を申請する案内ページに、「郵送で依頼する方法」が掲載されていた。それによると、「必要な関係書類・返信用封筒など一式を準備し、手数料分の切手を添えて、市役所あてに郵送するように」とある。それで、無事に受け付けられれば、戸籍謄本が返送されてくるが、順調にいって、1件あたり10日ほどかかるらしい。現在、戸籍謄本を収集中で、この先まだいくつ残っているのかわからない。それらをすべて郵送でやりとりするのでは、日数がかかりすぎるように思えた。戸籍謄本がそろってから、まだやらなければならないことがたくさんあるから、できるだけ早く終わらせたい。そのためには、郵送ではなく、現地の役場まで出向いて、じかに書類を申請するほうがよい、と判断した。
 転籍欄に書かれた本籍地の住所がある市は、最速の新幹線がとまるような大都市だから、そこまで行くのにさほど時間はかからないだろう。地図で確認すると、市役所は、新幹線の駅からさほど遠くないところにあるようだ。朝早い新幹線で行けば、日帰りで、戸籍謄本を入手して帰ってこれそうだ。また、故人が生まれたところは、その近隣の県だと聞いているから、うまくいけば、そこの戸籍謄本も入手できるかもしれない。
 

 こんなアバウトな情報だが、とにかく実行あるのみ、ためらっている場合ではない。故人の死亡診断書のコピー、住民票(除票)とこれまでに集めた戸籍謄本類、それに私個人の身分証明になるもの…等々をバッグに詰めこんだ。そして、身軽に行動できるようにと、宿泊準備などはしないまま、朝いちばんの最速新幹線にすべりこんだ。
 ひさしぶりの新幹線は軽快だった。首都圏を通過すると、途中駅はすべて吹っとばして、1時間半ほどで、300キロ以上離れた目的の駅に到着した。市役所に着いたのは、まだ業務開始直後という時間帯で、さほど人もいなかった。
 戸籍課で整理券を受けとると、すぐに窓口から呼び出された。応対した若い男性は、スーツの着こなしからして、新卒社会人1年生らしさがみえみえだったが、いっぽうの私は、あちこちの役所で問答を重ねてきたおかげで、相続用の謄本申請のノウハウが、しっかりと頭に入っていた。なんの指示も受けずに、かってに窓口で必要書類に記入して提出すると、数分のうちに戸籍謄本が出てきた。こんなにあっけなく目的のものが手に入ると、わざわざ新幹線まで使ってやって来たことが、なんとも大げさすぎるように思えてきた。

 さっそく戸籍謄本の内容を確認した。むかしの戸籍らしく、くせのある旧書体の手書き文字が並んでいる。楷書体で書かれたところは私でもなんとか読めるが、判読不能の文字もあちこちにある。故人の名前は確認できたので、これが本人の戸籍であることはまちがいない。「△△から転籍」と書かれた欄には、婚姻によって当地へ戸籍が移されたこと、その後、別地へ転籍したために、この戸籍が消除されたことが記されている。さらに読み進むと、本人名の横には、その両親の名前が書かれていて、「〇年〇月〇日△△村××番地で出生」とある。これはつまり、このひとつ前の戸籍が、税理士の言う「おぎゃあと生まれたとき…」に該当し、故人にとっていちばん最初の本籍地、ということになるのではないか。
 どうやら、つぎに行く役所が、最終訪問地ということになりそうだ。ところが、かんじんのその村の名前が、くずした手書き文字で書かれていて、容易に判読できない。この種の文字に慣れているはずの戸籍課の人たちにたずねても、首をかしげるばかり。ひとりのベテラン職員が、たぶんこの文字ではないかと示唆してくれたものの、確証はないという。推定される村名を、県の地図で探してみるが、見あたらない。市町村名一覧にも載っていない。すると、「いまは存在しない村名かもしれない、古い戸籍だと、名前が変わっていたり、隣接する市町村と合併していることがある」と、さらなる古参職員からのアドバイスを受けて、スマホでさらにくわしく検索してみた。すると、かつて存在した村で、現在はとなりの市に統合吸収されているものが見つかった。その市は、いまではその地域の中心都市として、県の地図に記載されている。念のために、そこの市役所へ問い合わせて、かつて△△村としてあった戸籍が、ほんとうにそこに存在するのかどうか、確かめることにした。

 電話をかけると、すぐに応答があった。でも、私の問いかけに対しては「少しお待ちください」という返事が一度あったきりで、保留にされたまま、かなり待たされた。市町村合併を調べる作業は、それほどかんたんではないのかもしれない。しかし、それにしても待たされる。いったん電話を切って、またかけ直そうかと思いはじめたところで、「旧△△村は当市に編入されていて、戸籍も存在する」という明確な回答がかえってきた。さらには、市役所がある住所と、新幹線のもより駅からの経路まで教えてくれた。あらためて地図で確認すると、その新幹線の駅は帰路の途中にあって、市役所は駅から十数キロのところにあることがわかった。
 役所めぐりも、あともう1か所。それで、長かった戸籍謄本収集が終わるのかと思うと、急に全身の力が抜けてきた。なんとか気をとり直して、新幹線の駅へもどると、時刻はまだ11時少し前。ここで昼食をとってから移動してもよいが、まだこの先なにがあるかわからないので、移動するほうを優先することにした。つぎに発車する列車の時刻を確認すると、30分に1本というローカル新幹線が間もなく到着するところ。急いできっぷを買って、いっきにホームへかけ上がった。自由席車の空席に体をあずけると、入手したばかりの戸籍謄本をテーブルに広げ、おそらくは最上級にニヤついた目つきで、端から端までをじっとながめていた。
 最後の市役所でも、なんの問題もなく、戸籍謄本をすんなりと入手できた。これで、故人が生まれてから死亡するまでの、すべての戸籍謄本がそろったことになる。7つの戸籍謄本すべてがつながっていることを、窓口の職員に手伝ってもらって、ふたりで確認した。この確認ができたところで、やっと今回のミッションは終了となった。


 戸籍謄本がすべてそろったところで、ようやく故人の遺産を相続するための手続きが行える。具体的には、1)相続人を決定する、2)遺産分割協議書を作成する、3)相続する財産を確定する、ということになるだろうか。
 1)については、遺言があるかないかで変わってくるが、ない場合には、戸籍謄本から法定相続人を決定することになる。2)は、相続人どうしの話しあいで遺産をどう分割するかを決め、その結果を文書にして、相続人全員から同意を得る。3)は、相続の対象となる、a)遺品、b)金融機関の口座・株式・債権、c)不動産などを、遺産分割協議書に基づいて、分与・名義変更する。
 でも、経験した人ならすぐにわかることだが、どれひとつとってもさまざまなケースがあり、こんなふうに簡潔にまとめ書きできるほど単純ではない。たとえば、「法定相続人」を例にとると、通常は“配偶者”と“子”になることが多いが、被相続人(故人)に離婚歴があって、ほかに血縁関係の“子”がいる場合、“婚外子”や“養子”がいる場合など、それぞれに応じて相続関係が微妙に変わってくる。また、“子”がすでに亡くなっていて“孫”がいる場合、“配偶者”も“子”も“親”もなくて“きょうだい”がいる場合などもある。このように、相続人とその相続配分を確定するのは容易なことではなく、私たちがしろうと判断できるようなものではない。
 したがって、相続手続きにはどうしても専門的な知識が必要で、手続きを税理士・司法書士・行政書士などに依頼するのが一般的だ。個人で相続書類を作成して、不動産登記などをすることも可能らしいが、公正書類には行政機関の認定が必要なので、やはり専門家に相談して指導を受けたほうがよいだろう。

 というわけで、故人の金融機関の口座と株式を調べることが、私のつぎのミッションとなった。ところが、いきなり問題に遭遇した。故人の死後、実家に住むことになった親族から、故人の預貯金通帳がどこに保管されているのかわからない、と連絡があったのだ。それというのも、故人は整理整頓ができない人だったので、預金通帳も、領収書も、コンビニのレシートも、なにもかもがいっしょくたになって、あちこちに散乱しているらしい。現在、乱雑な紙類の山から、重要なものとゴミとを仕分ける作業をしているが、ぜんぶの通帳類が見つかるかどうかはわからない、ということだった。
 その後、預貯金通帳や銀行からの通知のハガキが見つかるたびに、私のもとへ、さみだれ式に届けられた。それらを調べあげた結果、どうやら7つの金融機関に口座があることがわかった。もしかしたら、これ以外にもどこかに口座があるのかもしれないが、その痕跡となるもの(通帳・通知など)が見つからなければ、請求するのは困難だ。手当たりしだいに金融機関へ行って口座があるかどうか調べてもらう、というやり方もあるが、地方銀行やネット銀行などをふくめると、いくつあるのかわからない金融機関を、やみくもに訪れるわけにはいかない。
 しかし、これも他山の石。私もふくめて、そろそろ終活を考えようかという年齢にある人は、将来、遺産を相続する人たちのために、どの金融機関にどんな口座があって、預貯金通帳はどこにしまっているのかを、きちんとわかるように、まとめておく必要があるだろう。

 金融機関で行う相続手続きは、1)口座の凍結、2)残高証明書の発行、3)相続依頼書の提出、4)口座の預貯金額を振り込みなどで受けとる、という流れになる。どこの金融機関でも、この手順はほとんど変わらないが、手続きや書類の呼び名が金融機関ごとにバラバラなので、まぎらわしい。
 また、相続依頼をするときは、a)故人のすべての戸籍謄本、b)相続人全員の印鑑証明書、c)相続人全員が署名・捺印した相続依頼書、および、d)依頼者本人の身分証明書、などが必要になる。苦労して収集した戸籍謄本類すべてを、ここで提出するわけだが、大量の書類をもち運びする労力を軽減するためか、その代替物として『法定相続情報一覧図』を提出してもよいことになっている。これは、相続人と被相続人(故人)との関係を一枚の紙に図示したもので、すべての戸籍謄本一式とおなじ効力をもつ。全国各地にある法務省法務局で申請でき、現在(2024年3月)のところは、無料で必要な枚数分がもらえる。ただし、申請するときは、すべての戸籍謄本、相続人全員の印鑑証明書・住民票、申請書類への相続人全員の署名・捺印などが必要なので、戸籍謄本を集める労苦そのものが軽減されるわけではない。

 金融機関での相続手続きは、近くにある中小の金融機関から順に行った。信用金庫・ゆうちょ銀行・農協などは、窓口が比較的すいていて、すぐに対応してもらえたので、手続きは順調に進んだ。窓口で「遺産相続の件で」と最初に申し出て、故人の預金通帳と、故人と自分との関係を示す身分証明書などを提示すると、「口座の凍結」「残高証明書の発行」までを、その場ですぐに依頼できた。
 残高証明書の発行依頼書には、「遺産分割協議書があるかどうか」をたずねる項目がある。でも「口座の残高証明書を受けとってから遺産分割協議に入る」とすれば、協議書はなくても問題はない。そして数日後には、残高証明書と相続手続きのための申請書が送られてくる。その申請書に必要事項を記入して、その他の必要書類とともに提出すれば、手続きは完了することになる。

 いっぽう大手銀行では、業務受付は原則すべて予約制になっていて、遺産相続など込み入った内容になると、すぐに対応してはもらえない。まずは受付で、窓口で対応してもらうための予約をとることになる。予約が混んでいれば、その日の窓口対応は困難で、翌日もしくは混雑の状況によっては数日後まで待たされる。予約がとれたとしても、その日まではなにも進行しないことになる。予約した日に、あらためて銀行へ行って、ようやく対面で最初の手続き「口座の凍結」「残高証明書の発行」を依頼することができる。残高証明書の入手は、そこからさらに数日後になるから、信用金庫などに比べると、最初の出だしから、かなりの遅れを生じることになる。もしも、全体の進行のバランスをとろうとするならば、中小の金融機関より大手の金融機関を優先したほうがよい。
 たとえば、MU銀行の場合は、次のようになった。
 /〇月9日:口座相続の手続きをしようとしたら、受付担当者から、予約がないと窓口へ案内できないと言われた。事情を説明してもまったく相手にされず、その代わりに「相続手続きWeb受付」の方法を教えられた。備え付けの端末から「口座を停止する」と「必要書類の送付」を請求した。
 /〇月15日:必要書類が送付されてきた。
 /〇月22日:必要書類に記入し、それ以外の必要書類もそろえて、あらためて窓口対応の予約(〇月30日)をとった。
 /〇月30日:窓口で「残高証明書」の発行を依頼した。
 /翌月2日:残高証明書が郵送されてきた。
これは、実際の対応の状況をメモ書きしたものだ。なんと、残高証明書を入手するだけで、23日間もかかっている。信用金庫などでは2~4日で入手できているので、じつに6~10倍もの日数がかかったことになる。このMU銀行での進行の遅れは、相続手続きのスケジュール全体の足を引っぱることになった。
 しかし、それも銀行によりけりで、MS銀行の場合はやはり予約制だったが、急いでいるのでと伝えると、窓口業務の状況を調べて、その日のうちに窓口で対応してもらえるよう手配してくれた。そのおかげで、信用金庫などとほぼ同様の進行になった。


 すべての金融機関の残高証明書がそろったところで、第一回目の遺産分割協議が行われた。金融機関の預貯金は遺産の一部にすぎないが、通常、不動産とならんで金額的に大きいので、遺産分割の協議では重要な資料となる。この協議で相続人たちの同意が得られれば、正式に残高証明書にある預貯金を相続する手続きを進めることができる。具体的には、各金融機関に対して、すべての相続人が署名・捺印した『遺産相続申請書』を提出することになる。この申請書では、遺産分割協議にもとづいて、預貯金を相続する人に対して、それぞれの預貯金額が支払われる(口座に振り込まれる)ことになっている。でも、とりあえずの措置として、だれか代表者1名が預貯金全額を受けとることも可能。私たちの遺産分割協議では、私が代表して全額を受けとることにした。そして、ぜんぶの預貯金額が振り込まれて(ゆうちょ銀行では郵便為替で支払われた)から、後日、遺産分割協議にもとづいて再分配することで了承された。
 遺産相続申請書を提出する時点では、また、すべての金融機関が同じスタートラインに立つことになった。提出すると、数日後に、口座の金額が指定した金融機関に振り込まれる。ところが、実際の金額が振り込まれた日は、なぜかMU銀行だけが、ほかの金融機関より1~2週間ほど遅れた。
 MU銀行は、二刀流野球選手をメインキャラクターにすえたテレビCMで莫大なお金を使っているわりには、窓口へ押しかける顧客に対応するための人員配置には、まったく関心がないようだ。これでは、災害時・緊急時に口座から金を引き出すときも、おいそれとはいかないのではないか、と心配になる。
 余談になるが、学生時代の同窓生たちとの飲み会で、理工学部出身なのに銀行員になった友人のことが話題になった。そのとき、ひとりが「MU銀行にはひどい目にあった」と打ちあけ話をしてくれた。どういう事情だったかは忘れてしまったが、最後に「大企業や大口預金者だけを優遇して、一般預金者はゴミとしか考えていない」と言って、かなり憤慨していた。今回の遺産相続の件では、私もまったく同じ考えをもった。


 金融機関の相続分の金額が正しく振り込まれたのを確認してから、こんどは、株式を遺産相続する手続きに移った。こちらも、金融機関と同じように、どの企業の株式をどれだけ所有しているかを示す『残高証明書』を入手するところから手続きが始まる。ただし、株式の場合には、“その株式を所有している企業”から必要な情報を得るのではなく、“その株式を預かっている証券会社”に株式の残高を提示してもらうことになる。だから、ある企業から株式の配当通知が届いても、そこに書かれていることにあまり意味はない。その株式を管理している証券会社を見つけだして、残高証明書を発行してもらうことが先決だ。
 故人は、自分がどの証券会社を利用しているかを、だれにも伝えていなかった。だから、それをどうやってつきとめたらよいかが問題になった。最終手段としては、“証券保管振替機構”に問い合わせれば解決できるようだが、そのためには「開示請求書」というものを作成・提出して、さらに手数料を支払わなければならない。
 そこで、故人のふだんの行動範囲から利用しそうな証券会社を、1件1件あたって探しだすことにした。株式を上場している企業はあまたあるが、それを預かっている証券会社となると、数が限られてくる。まず、ターミナル駅周辺にある証券会社から、朝方の客が少ない時間帯を選んで、身辺調査をする探偵のごとく、なんのアポもとらずに直接たずねてまわった。窓口で事情を説明して、故人の除籍謄本を示しながら、その名前が証券会社の顧客データの中にあるかどうか調べてほしいと懇願した。すると、思ったより早く、3件目の証券会社でヒットした。
 NM証券は名の知れた大手証券会社で、MU銀行などと同じく、基本的には予約制をとっている。でも今回は特別に、こちらの事情をくんで対応してくれたので、訪問したその日のうちに残高証明書の発行を依頼できた。そして、その数日後には、証明書や申請書類一式が送られてきた。その結果、株式の配当通知が見つかった企業(4社)だけでなく、無配当のものもふくめて、10社の企業の株式を保有していることがわかった。
 証券を相続する場合は、預貯金とは違って、現金化するのではなく、被相続人(故人)が所有する株式の名義を相続人に書き換える、という手続きを行う。残高証明書には、各銘柄ごとに株式の数と、購入時の価格、現在の株価などがくわしく書かれているので、相続財産を算定しやすい。その資料をもとに、遺産分割協議で、それぞれの株式を相続人に割りふって、『遺産分割協議書』にまとめる。金融機関の口座の場合は、すべていったん解約されて現金化されるので、総額を便宜的に代表者へ一括して振り込んでおいて、あとから再分割することも可能だが、株式の場合はそうはいかない。相続人が確定してからでないと名義変更できないので、残高証明書が出てから、証券会社に相続手続きを依頼する(株式の名義を変更する)までには、かなり時間を要することになるだろう。

 このように、金融機関の預貯金と、証券会社にあずけた株式では、実際の遺産相続のやり方に違いがあるが、どちらも、金額ベースで価値を公正に表すことができるので、もっとも確実でわかりやすい遺産資料となっている。また、税理士・司法書士・行政書士など専門家の手をわずらわせなくとも、しろうとでも調査ができ、残高証明書までを入手できる。預貯金と株式は、金額的にも大きいので、遺産分割協議で相続財産を分割するうえで、もっとも重視される。
 しかし、これら以外の、不動産・遺品などについては、現物を見ても、金額的な価値をしろうとが容易に算定できないので、やはり専門家による査定が必要になる。不動産・建物などの登記は、最終的に司法書士に依頼することになるので、早めに専門家に相続財産について相談をしておくほうがよいだろう。


 以上が、私がかかわった遺産相続の顛末(てんまつ)だ。初めてということもあって、かなり不手際もあったし、ここに書いたこと以外にも問題点が多く、かなり苦労した。相続手続きにかかわったことのある人なら、この体験談を共有してもらえると思う。でも、かかわったことのない人にとってはチンプンカンプンで、意味がわからないということになるかもしれない。でも、今後かかわることになるかもしれない人には、有用な情報もあるので、一読しておくことをおすすめする。
 いずれにしても、遺産相続には、旧態依然とした方式がいまだに生きていて、それに従わなければ事が進まない、という点だけは、なんとなく理解してもらえたと思う。こういう方法をとらざるを得ない理由があるのだろうけれど、私がいちばん強く思うのは、合理化・技術革新・制度の見直しを、この分野にももっととり入れる必要があるということだ。

 たとえば、故人の遺産を配偶者と子が相続することがわかっているのに、被相続人(故人)の戸籍を誕生時までさかのぼって調べる必要があるのかどうか、多くの人が疑問に思うはずだ。苦労して入手した戸籍謄本の中には、すでに死亡している、あるいは遺産相続とは無関係な、聞いたこともないような親族の名前がずらずらと記載されているものがある。それらを見ると、プライバシーという観点から考えても、“いき過ぎ”だと思える。今回、遺産相続手続きのために7件の戸籍謄本を収集し、それらを最終的な相続人情報1枚分にまとめたものを、『法定相続情報一覧図』として法務局で認めてもらった。そこに示されているのは、最終的には、故人の直系の子だけで、戸籍謄本に書かれた膨大な資料のうち、ほんの一部しか使われていない。これだけの血縁関係を証明するために、なぜ、あちこちの役所をまわって、はるか昔の戸籍資料までそろえなければいけないのか。直近の戸籍謄本数種類だけで十分ではないのか。
 私は、戸籍制度そのものを否定するつもりはない。家長を中心とする大家族制があたりまえだった時代には、家族関係を表すものとして戸籍が重要な役割を担っていただろう。家族制度が変わった現代でも、血縁関係を証明するときには、いちばん確実な資料になる。でも、その利用法については、もっと簡略化・合理化する方向で考えたほうがよい。たとえば遺産相続に関しては、相続人を特定するために必要な資料だけを収集すれば十分なはずだ。
 海外では戸籍制度のない国が多いが、そうした国々でも、日本と同じような方式で遺産相続が行われているようだ。これはつまり、戸籍に頼らなくても、もっとかんたんに親子関係・血縁関係を証明できる方法が、ほかにもあることを示唆している。そうした国々の制度を参考にして、日本の相続制度をもっと単純化していくのがよいと思う。

 また、私たちの場合は、故人の預貯金や株式がどうなっているのか、家族に知らされていなかったので、いざ相続するというときになって、どうやって口座のある金融機関、株式を預けた証券会社をつきとめるか、という問題が起こった。いま考えれば、私たちも、もっと本人の個人情報に関心をもって、意思疎通しておくべきだったと反省している。でも、この問題については、IT技術の導入によって、今後は防げるようになるかもしれない。たとえば、いまのマイナンバーカードが、個人の資産情報とすべてつながっていれば、いちいち金融機関や証券会社に問いあわせなくても、いざというときに、そうした情報を引き出すことができるだろう。これについては、プライバシー保護やセキュリティの面で、反対する人も多いかもしれないが、やはり時代は、個人にかかわる各種情報を統合して、事務処理を合理化する方向へ進んでいる。もしかしたら、あと数十年もしたら、今回のような遺産相続にまつわる騒動が、笑い話になっているかもしれない。