贈り物で頂いた七味唐辛子 | ちょうさんの花のブログ

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浅草仲見世の七味唐辛子を戴きました。


古今東西「七味唐辛子」はやっぱ「やげん堀 七味唐辛子」に限るね、


オーィ ちょうさんよー、こっちゃー江戸っ子だー、たかが唐辛子、されど唐辛子、唐辛子をなめてもらっちゃー困るぜー、なぜーて~・・・聞いておくんなせー、唐辛子を舐めりやー小粒でもピリッと辛ぇーんだよ・・・・・拍手・・シーン・・寒むー




「七味唐辛子」は、寛永二年 今から380年以上も前の話、日本橋薬研堀町でスペインや唐の国からの輸入した貴重な漢方薬「唐の辛子」(下痢の薬、健胃薬,凍傷薬など)として利用されていた。


唐辛子にヒントを得て、種々の薬草を加え、七味唐辛子を食に取り入れることに日本で最初に作り出したのが初代 からしや徳右衛門の「やげん掘 七味唐辛子」である。




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       浅草新仲見世の「やげん堀 七味唐辛子本舗」


その後、、唐辛子は日本そばに欠かせない香辛料として国内での唐辛子の生産が盛んになり、江戸中に七味唐辛子の名を広め江戸の土産品としても全国に広まった、


「やげん堀」とは浅草の地名ではなく日本橋に「薬研」(やげん)と言う薬を潰す道具に似た堀(堀底の形状がV字型であり、薬研の窪みに似ている)があり、この地を「薬研掘」町と言われるようになった。この地は古くから医者や薬問屋が多く、別名「医者町」とも言われていた。



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              「薬研(やげん)」

やげん掘 七味唐辛子本舗は昭和18年に日本橋から現在の浅草に移り、古くから浅草寺仲見世でも販売されたことから、全国の祭りごとや神社・仏閣の屋台で販売されるようになったさきがけでもある。当時は七味唐辛子を枡で量り売り、竹皮や紙に包んで販売していたが後に、旅人が竹筒や瓢箪(ひようたん)の容器に入れ持ち歩いたのもこの店が最初である。


やげん掘の七味唐辛子は、その昔、紀州有田名産のみかんの粉、武州川越名産の黒ゴマ、四国高松の唐辛子の粉、大和のけしの実、 遠州朝倉の粉山椒、野州日光名産の麻の実、最後に江戸内藤新宿の八ツ房の焼き唐辛子で七色の香りがほのかに出ると言う。



さすが今はこの地での材料の仕入れは無理としても、今だ産地にこだわり味と香りには昔ながらの秘伝の製法をかたくなに守っていると言う。




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現在、東京・浅草寺門前「やげん堀(中島商店)創業1625年」、京都・清水寺門前「七味家 創業1655年」、長野・善光寺門前「八幡屋礒五郎 創業1720年」など、やげん堀・七味家・八幡屋磯五郎の三者は、日本三大七味唐辛子の名店と称されるほど有名である。



現在でも店頭で客が好みの味に調合してもらうことができ、原料の種類も七種に限らず、客の求めに応じて減じたり増したりできるが、たかが唐辛子と言えど、辛けりゃいいんだと言うものでもなく、とことん味と香りにうるさい店である。



なにせこの店、七味唐辛子の元祖なのに店先や商品のどこにもに元祖と表示していない。「この道一筋の老舗として」と控えめに書いてあるだけだ、益々気に入ったねー


都内の有名なお蕎麦屋さんでは「やげん掘 七味唐辛子」を使っている店も多く、ひょっとしてあなたが食べに入ったお蕎麦屋さんでも薬味入れに「やげん掘」と書いてありませんでしたか、もし、そのお蕎麦屋さんはきっと当たり外れのない、確かなお蕎麦屋さんでしょうね。何せ薬味が耳かき一杯で3円~5円するのです、これを3杯も4杯も入れられては再三が合わないからね。



一寸した贈り物に最適で是非、私もお勧めしたい浅草の「やげん掘 七味唐辛子本舗 中島商店の 中辛」はその商品の一つと言えるでしょう。



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  私にいきなプレゼントしてくれた Tさんに高価な物を本当にありがとうございました。