「読書」と「遊び」と「日記」のすすめ?(笑) | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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に引き続き?(笑)、少し。

 



 あくまでも


私が抜粋した内容

(私の趣味(笑))


によれば、


ということをお断りしておきます(笑)。



 

 

 

🔳もしハムレットが文章を書いていたら

 

 この本のプロローグに、

シェイクスピアの名作『ハムレット』のセリフを

巻頭句(エビグラフ)として掲げた。

「ハムレット」といえば、たとえば政治家などが、

「いまのわたしはハムレットの心境です」

とよくいうように、

「迷い」

の代名詞になっている。

 父王の亡霊によって、

父王が叔父に毒殺されたことを知らされたハムレットは

復讐を誓う。

叔父は素知らぬ顔で王となっており、

しかも父王の妃、

つまりハムレットの母を妃にしているのだ。

しかし彼はさまざまに思い惑う。

その迷いのために、

ついには復讐を果たすものの、

恋人オフィーリア、その兄、その父、さらには母、

そして己の命をも失うことになってしまうのである。

「思い惑う」ことの象徴の一つが、

劇中最も有名なセリフ、

「To be,or not to be : that is the question.」

(このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ)

なのである。

しかも、プロローグにわたしが掲げた、

「考える心というやつ、

もともと四分の一は知恵で、

残りの四分の三は臆病にすぎないのだ」

のように、ハムレットは自分というものがわかっているのである

(訳文はいずれも小田島雄志による。白水社刊)。

『ハムレット』について、解釈は人の数ほどあるのだが、

この「迷い」に、「青春」というものの

永遠性と普遍性を感じるのはだれも同じだろう。

 というところからにわかに我田引水でいうなら、

政治家が「ハムレット的心境」と語るのと同じに、

ビジネスの場における「思考」というものの姿をも、

このセリフはいい当てているのである。

考えていることのうち四分の三は臆病なこと、

つまり、すべき決断ができないままにウジウジしている状態を指す。

 そんなときだ、わたしが「書くこと」を勧めるのは。

書いて、自分の「臆病」をつくづくと観察するのである。

魂というものを手の上に取り出して、

しみじみと観察するように。

そうすれば、必ず「発見」があるはずだ。

ハムレットも、書けばよかったのに!

(作家、大岡昇平に『ハムレット日記』という作品あり。

ハムレットが日記をつけていたという趣向である)。

 

 

「不幸な分裂」を数多く抱えているわたしは、

それを打開する一つの道を求めて、

新聞記事の無味乾燥から遠い、

たとえば、詩を読むのである。

「考えること」とは、

頭の中だけの抽象的な作業である以上に、

詩を読んでみるような、

きわめて具体的な行為でもあるはずなのだ。

「考え方」とは、「行動の方法」でもある。

 以上、いろいろな角度から考えてきたが、

文章について読むべき本を一冊だけ挙げろといわれたら、

ためらいなくわたしは、

丸谷才一さんの

『文章読本』(中公文庫)

を推す。

そして、次の一節を深く味わってもらいたい。

 

  人は好んで才能を云々したがるけれど、

 個人の才能とは実のところ

 伝統を学ぶ学び方の才能にほかならない。

 

 

まことに「情報」の生かし方とは、

人生の選択の問題であり、

判断であり、

決定であり、

そして勇気である。

 

 

感動こそ、論理の源。

 

 

🔳「オリジナルとは、一%のひらめきと九九%の伝統を学ぶ努力」

 

 このようにして、

日ごろ意識的に行動して手に入れたいろいろな素材を、

頭の中の引き出しにしまい込んでおく。

入社、入学試験の論文・作文や、文章講座の宿題で、

引き出しから素材をひょいと取り出す。

引き出しの多い人が勝利者だ。

書くのではなく、勤め先でのアイディアの競争でも同じだ。

 日常の行動のすべてが準備なのである。

「書くように行動する」とはこのことだ。

「遊び」ももちろん重要な「引き出し」作りの一つ。

オリジナルな考え方や書き方とは、

毎日を精いっぱい生きてゆく生き方の反映なのかもしれない。

 ところで、オリジナルという言葉をさんざん振り回してきて、

いまさらこんなふうに断言するのはなんだけれど、

オリジナルというものはないのである。

 突然、話を大きくする。

わたしたちの常識になっている「地動説」だって、

はじめそれを唱えた人たちは宗教裁判で罰せられたりしたが、

実はオリジナルではないのだ。

「天動説」というものがまずあって、

それを否定するところから「地動説」が出てきた。

 科学であろうと芸術であろうと、

前のものを否定したり肯定したりする中から

「オリジナル」が出てくるのである。

伝統や先人の足跡なしに突然、

天才が文字通りのオリジナルを生み出すということはない。

アメリカの発明王エジソンは、

「天才とは

一%のインスピレーション(ひらめき)と

九九%のパースピレーション(汗)である」

といっている。

「九九%の汗」とは、

伝統や先人の業績を学んだうえで

新しい工夫を凝らす努力をいう。

これをいいかえるならば、

「オリジナルとは

一%のひらめきと

九九%の伝統を学ぶ努力である」

というようになろうか。

「書くように行動する」のほとんどの部分が、

この「九九%」に相当するはずである。

 正真正銘の「書く」作業において

「九九%」の意味するものは何かといえば、

「読む」ことである。

もともと「書く」行為とは、

いま書きつづっている自分の文章を

自分で読みながら書き進めてゆくことだ。

自分自身でいま文字に定着させたばかりの文章を

厳しく批判しながら、客観的に読む。

これが推敲(すいこう)だ。

もう一つは、自分以外の人、

ことに先人の書いた文章を、

できる限り多く読むこと。

この二種類の「読む」が、

「書く」行為における「九九%の汗」なのである。

どちらにしても、「書く」ことのすべては

「読む」ことにはじまるのだ。

 

 

最後に二つだけ、警句ふうを吐いておこう。

「勇気のない人は、遊ぶべからず」

「知性は、仕事よりもむしろ遊びに宿る」

さらにもう一つつけ加えるならば、こういうことになろうか。

「遊び上手は、仕事上手」

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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よろしくお願いいたします。

 

 

 

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