定命を生きる 枡野俊明 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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定命を生きる

よく死ぬための禅作法

著者 桝野俊明

発行所 株式会社小学館

2020年3月3日初版第1刷発行

 

 

こちらは、猪名川町立図書館さんにてお借りして

 

さーっと眺めせて頂きました(笑)。

 

 

 

 生まれた瞬間から

命の長さは定められている

――「定命」を生き切るためには

 

 この世に生を受けてから人生を終えるまでの期間を、

ふつう「寿命」といいます。

しかし、禅(仏教)では違ういい方をします。

「定命」です。

 命の長さは生まれ落ちたその瞬間から、

"定められている"と考えるため、

そう表現するのです。

 もちろん、自分の定命がどのくらいの長さなのかは、

誰にもわかりません。

 たしかなことは、

どんな命にも、必ず、終わりがあるということ。

これは避けようがありません。

 では、命は誰のものでしょうか。

「自分の命なのだから、誰のものでもない。

自分のものに決まっているじゃないか」

 多くの人がそう思っているのではありませんか?

 しかし、違うのです。禅は命をこう考えます。

「仏様(ご先祖様)からの預かりもの」

 いま、そこに、自分がいただいている命は、

ご両親をはじめ、たくさんのご先祖様が

永々と命をつないできてくれた結果としてあるのです。

そのうちのたった一人でも欠けていたら、

いまの命はありません。

 そのことを思ったら、

"命は自分のもの"だなんていえますか?

 ご先祖様たちのお蔭様によって、いただいている。

 ご先祖様からお預かりしている、

という受けとり方ができるのではないでしょうか。

 お預かりしている命だとしたら、自分勝手に扱うことはできませんね。

他人様からなにかをお預かりしたら、

お返しするまで大切に、大切に、扱うはずです。

 命も同じ。

 定命が尽きてお返しする瞬間まで、大切にしていくのが、

当たり前の命との向き合い方でしょう。

 

 

 

 

 とにかく、かくしゃくと生きる

――挨拶ひとつも全力投球

 

 定命をまっとうする。

そのうえで大切なことのひとつが、

どのような状況、場面にあっても、

かくしゃくと生きる、その心を持ちつづける、

ことだと思います。

 前章で山本玄峰老師について触れました。

山本老師の生きざまは

常にかくしゃくたる風情をたたえたものだったのだと思います。

それを示す、よく知られるエピソードがあります。

 老師の姿を見た剣術の達人が、こう呟いたというのです。

「あの人は斬れない。衣と身体がひとつになっている」

 老師が光を失っていたことはお話ししましたね。

 しかし、心眼を開いていた老師は、

心の目ですべてを見据えていたのです。

そのすさまじい眼力、衣と身体が一体になった姿の前では、

剣豪といえども微動だにできなかった、ということでしょう。

 かくしゃくと生きるために必要なのは、

どんなことにも全力投球していくことだ、

とわたしは考えています。

禅語にこんなものがあります。

 

「一行三昧(いちぎょうざんまい)」

 

 目の前にあるひとつのことに集中していく、

そのことだけを全力でやる、

やり切てしまう、

という意味です。

ただなんとなく、所在ないまま、一日がすぎてしまう、

といったことはありませんか?

 そうであるからこそ、

いつも全力投球する姿勢でいることが大事なのです。

といっても、

"できること"を見つけるという意味ではありません。

"すること"に全力を傾けるのです。

 すなわち、あらゆることに「一行三昧」で取り組んでいく、

ということです。

 たとえば、朝起きて、家人と顔を合わせる。

「おはよう!」と明るく声をかけているでしょうか。

顔を見て、ちょっと頷くだけ、

ということはありませんか?

 いや、なかには、顔さえ見ないという人がいるのかもしれません。

 これでは、朝の挨拶に全力投球して(心を込めて)いるとは、

到底、いえないのではないでしょうか。

「たかが、家人との挨拶じゃないか。そんなに目くじらを立てなくても⋯⋯」

 そう反論する人もいるでしょう。

では、挨拶はいい加減、疎かにして、

なにになら全力投球をするのですか。

 行動、ふるまいの土台になるのは心の持ち方、気持ちの在り様なのです。

 いい加減な挨拶の根っこにあるのは、いい加減な心であり、気持ちでしょう。

 一事が万事。その気持ちはなにをするときも、根っこにあるのです。

 そう、挨拶に全力投球できない人は、

なにをするのでも全力投球などできるはずがないのです。

 たがいに全力投球で挨拶の声をかけ合う場には、

明るい、清々しい空気が流れます。

ロクに挨拶もしない場の澱んだ空気とは雲泥の差です。

 どちらが、潑刺として、かくしゃくと暮らす場、生きる場所にふさわしいか、

これは、いうまでもありませんね。

 

 全力投球していると、背筋が伸びます。

どんなことにも“やり切った感"を持つことができますから、心はいつも軽やかです。

シャキッとした姿勢と軽やかな心⋯⋯。

これらはかくしゃくと生きるうえで、

欠かすことのできない要素だと思うのですが、いかがでしょう。

 挨拶、感謝、呼ばれたときの返事⋯⋯

といった些細だと思われることをない。

それが、全力投球する心をつくっていきます。

その気持ちを盤石なものにしていくのです。

たかが挨拶、されど挨拶、ですよ。

 

 

 

 

上機嫌でいる

――まずは挨拶から始めよう

 

 人の間で生きているのが「人間」ですから、

人とどのようなおつき合いをするかで、

人生の味わいは違ったものになります。

 笑顔があふれて、いつも和やか。

おつき合いはそうありたいものです。

そのためには、自分が上機嫌でいることでしょう。

 さて、上機嫌でいるためにはどうすればいいかですが、

禅語がそれを教えてくれます。次のものがそれ。

「和顔愛語(わげんあいご)」

 

 和顔は微笑みをたたえた和やかな表情のこと、

愛語は相手のことを思いやった、

心のこもったやさしい言葉のことです。

この二つを心がけていれば、備えは盤石。

 道元禅師は「愛語」についてこうおっしゃっています。

「愛語能(よ)く廻天(かいてん)の力あることを学(がく)すべきなり」

がく

 愛語には天地をひっくり返すほどの力があることを学ぶべきである、

ということです。

そんなすごいパワーを使わないのは、もったいないかぎりですね。

「愛語か? どんな言葉なら愛語になるのか、

う〜ん、これは相当にやっかいなテ―マだぞ」

 そう難しく考えることはないのです。

きわめてシンプルでいて、

すばらしい愛語を、誰もが知っているではありませんか。

「おはようございます」

 これです。隣近所の人、顔見知りの人に、朝会ったら、

自分から先に明るく、大きな声で、さやかに、挨拶の声かけをする。

この愛語には「和顔」がついてきます。

なぜなら、仏頂面では

明るい、大きな声の、さわやかな、挨拶ができるはずがないからです。

明日の朝から、和顔愛語の実践をおすすめします。

 

 

姿勢を正すと美しい人になる

――呼吸が整い、気持ちも明るくなる

 

いい姿勢を保つポイントは、

腰(骨盤)を立てることです。

 

正しい姿勢は、いちばんラクな姿勢でもあります。

上半身の重みがバランスよく下半身にかかりますから、

腰や脚にかかる負担が少ないのです。

ですから、歩いても疲れにくい、

歩く姿も颯爽としたものになります。

 

 

呼吸は、深く、ゆっくり、吐き切る

――姿勢と呼吸が整うと、心も整う

 

姿勢と呼吸は自分の意志で整えることができます。

そして、それが心を整えてくれる。

 

呼吸をいつでも、どんなときでも、

平静を失った心を、すみやかに、

整った心、つまり、「平常心(びょうじょうしん)」

に立ち戻らせてくれるのです。

 

 

眠る前三十分は、なにも考えない

――夜に心配事をしない

 

 夜は、少なくとも眠る三十分前は、

なにも考えないことです。

そのためには、

脳のスイッチを切り替えることです。

すなわち、

考える脳から感じる脳への切り替えです。

 切り替える方法として、

いちばんいいのは、

やはり、坐禅です。

実際、禅の修行には

「夜坐(やざ)」といって、

眠る前に坐禅をしますが、

静かにすわることによって、

心が穏やかになり、

安らかな眠りに入っていけるのです。

 

 

坐禅を組む

――自然と一体化し身体感覚をとり戻す

 

 禅の修行中は、

「暁天(きょうてん)坐禅」といって、

朝一番に坐禅をします。

 坐禅によって身心を整え、

その日の修行に全身全霊で取り組める態勢をつくるのです。

 みなさんも、「朝の坐禅」をしてみてはいかがでしょう。

心を静かに、穏やかに、整えて始める一日は、

心地よいものになるに違いありません。

 

 

 

禅僧さんのお話ですし、

 

坐禅推しの私のチョイスなので(笑)、

 

こういった流れ

 

に落ち着きますね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

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