超AI時代の生存戦略 落合陽一 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

猪名川町・三田・川西・宝塚・西宮のゴルフレッスン

超AI時代の生存戦略

シンギュラリティに備える34のリスト

著者 落合陽一

発行所 株式会社大和書房

2017年3月25日第1刷発行

 

 

猪名川町立図書館でお借りして、

 

ざっと読ませて頂きました。

 

 

 

『では、この世界のどこにベーシックインカムで暮らせるローカルが存在するか。

それは青いアメリカにある。人間が人間にしかできないこと――

クリエイティブな活動をすることで余暇を潰すことで生きていくような世界は、

そしてそれを可能にするほどの富が集まる場所は、そこにしかないだろう。

他のローカルでは機械の歯車として人間も働き続けるのだ。

富を生み出すために、インターネットの端末に混ざって生きていかなければならない。

 その上で、持たざるローカルに所属する人々が

2040年代の世界をぼんやり想像しながら過ごす余裕があるだろうか?

少なくとも日本ローカルに暮らす私たちにはないはずだ。

機械との親和性を高めコストとして排除されないようにうまく働くか、

機械を使いこなした上で他の人間から職を奪うしかないのだ。

この構図は機械対人間ではなく、

「人間」と「機械親和性の高い人間」との戦いに他ならないのだから。

チェスでも、馬車対自動車でも、科学医療と呪い医療でも、

そういった対立構図は起こる。それに対して人は順応してきただけなのだ』

 

 

『ここには、「クリエイティブなことをして過ごす」

というあやふやな結論は存在しない。

計算機親和性を上げて他の人間よりも多くを成すことしかできることはない。

それは、機械を使う側になるか、機械に組み込まれる側になるかの問題であり、

機械が対抗する側は

ニッチなエンターテインメントか

ニッチな商品にしかなりえない

(しかし、インターネットによって販路とコミュニケーションコストが下がった今、

たとえばアナログ回線の音楽やローカルコミュニティ産の工業品まで、

その価値もある一定は存在する)。

今のような機械が人と同様に

自律的に社会に参画する時代より前に考えなければならないのは、

人対人の終わらない争いだと思う』

 

 

 ■ブルーオーシャンを探すクセをつける

 ブルーオーシャンな考え方というのは、

他人と違うことをやっていく

ということを基本にすることだ。

また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。

つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。

 競争心を持ち、勝つことを繰り返すのがレッドオーシャンだったら、

ブルーオーシャンは黙々と、淡々とやることだ。

 ここで重要なのは、「競争をする」というゲームが決まると、

データさえあれば機械のほうが強くなるということだ。

競争をするということは同じ土俵にいる、つまり勝負するための要素が決まるから、

要素が決まると機械はデータから計算可能なので機械のほうが強くなる。

それはチェスや将棋の例を見ると明らけれど、

ブルーオーシャンの考え方で、

何をやるかが決まっていない状況では人間は機械に十分に勝てるということだ。

この戦い方を身につけるためには、競争心は非常に邪魔になってくる。

 だから、これまで言われている競争心、つまりレッドオーシャンな考え方は捨てて、

自分で信じた道を淡々とやっていって、

その中で自己実現もしくはストレスフリーな環境をいかに実現していくか

ということが重要になってくる。

 なので、サーベイ(調査や測量)は、これから先、ビジョンと同様に大事だ。

たとえば「今、誰が何をやっているか」ということをインターネットで調べれば、

だいたいすぐにわかる。今、この世界で誰が何をやっているのかを調べ続けるという作業が、

絶対に必要だ。自分がやっていることに近しい分野のことは、よく知っておかなくてはいけない。

 だから、「先を越されたから」とか、「先を越されそうだ」ということ

を考えるクセは根本からなくしていこう。

サーベイをして同様の事例があれば、そこから先に自分がどういう価値を足せるのか

を考えるというマインドセットでいけばいいだけだ。

 

 

 ■「機械と人間の対比」の終わり

 「自己実現」という信仰も、機械化の裏返しで表れたことだ。

たとえば、1700~1800年代に、生活が次々に機械化していった。

機械を人間が使うようになって、機械は指示どおりに様々なものを作れるけれど、

人間はそうではないと思っているから、

人には自由意志が重要で、その自由に基づいて自己実現する

と私たちは思っているわけだ。

 他の宗教は、教義が発明されたのがそれより昔なので、

そこまで自己実現や自由意志に対する欲求を持っていない。

資本主義の成立も、「カルバニズムで、仕事をすることにて、

利潤を生んで、利潤を資本の再投下に繋げることが

宗教的に価値があるから資本主義は生まれた」とマックス・ウェーバーは著書で述べている。

要するに機械化以降に人の自由意志による機械との差異をどうやって解釈するか

という世界になっていったと思う。

 そういうような機械化以降に持った自己実現欲求は、インターネット以降の世界には、

即さないかもしれない。共通のプラットフォームが生まれ、

コミュニティが多様化していくわけだから、

自己実現や自由意志はあまり今の時代に即しているとは言わない。

 その中で、「では、自由意志や、自己実現以外の信仰とはなんだろう?」と考えると、

自分の価値基準を自分で作って、自分で何か価値を決めて信仰していくということなので、

それは意識してやっていかなくてはいけない。

 

 

 ■自分の報酬がわかっているか?
 スキーに限らず、あらゆるスポーツや運動は、そのようにあるフレームの中で、
問題、解決、報酬という形でゲーム的に遊びとして定義ができる。
その遊びによって金銭的利益を生むか生まないかは報酬では関係がないし、
それが誰かの役に立つか立たないかというのも関係がない。
 しかし、21世紀の遊びは、そういう問題、解決、報酬で他人の役に立つものが存在すると思う。
 そして、これからの時代はそういう遊び方ができる人とできない人に分かれる。
なぜならば、問題を立てる、解決する、ということが苦手な人がいて、
自分が動く報酬が何にあたるのかがわかっていない人がいるからだ。
報酬がわかっていないと継続性がなく、続けることができず、
それ限りになってしまうのでワークアズライフとしてキャリアデザインが難しい。
 そういったことから、今後の「仕事」では、
自分でゲーム的なフレームワークを考えて「遊び」にしていく
ということが重要になってくる。
仕事を遊びにして1日中労働をしろというわけではなく、
小さい遊びとして仕事を生活の中にたくさん詰め込んでいくと、
豊かな人生になるのではないかということだ。
 そして、そういった生き方をするためのツールはたくさんある。
たとえば、お金を集めるのであればクラウドファンディングをしてもいいし、
NPOを作ってコミュニティをはじめる手続きも作りやすいし、
一度も顔を合わせなくても人と一緒にネット上でプログラミングすることもできる。
フェイスブックでコミュニティを簡単に作ることだってできる。
ゲーム的につながって問題を解決することはどこにいても間口が開いている。
 ツールはたくさんあるので、あとは問題・解決・報酬という3つをきちんと回せれば、
なんだって遊びになるのだ。
 
 
 ■自分が喜び、社会も喜ばせる
 幼い頃であれば、「ただ遊ぶ」ということが重要だったのが、
大人になれば、「継続性のめに自分が何で喜ぶか」を意識することが重要になる。
自分から発信すれば、社会からお金がもらえたり、賞などの評価に繋がったりするわけで、
自分の喜びと社会の喜びをマッチングさせるときに、
他人が評価可能な完成物があると非常にスムーズになる。
「社会の喜び」といっても、それは無理に社会を喜ばせる必要はなくて、
遊びにおいては、まずは「自分がよければいい」というところが重要だ。
自分が何で喜ぶかだけを最初に押さえ、そこからお金をもらったり、
人から認められたり、職業として継続性のあるものにしていく上で、
完成物の価値を社会に問うていけばいい。
 自分がやっていることで何が残っていくのか、それを意識してほしい。
 
 
 ■「中間」がコンピュータにやられる
 これから先、締め切りに追われなくしていく方法は、
ここまで述べてきたように「ツールを使うこと」だ。
そして、「中間の工程をあまり気にしないこと」
最後に、「機械にできることを極力やらないこと」
この3つが非常に大切になってくる。
 そのの3つを意識すると、劇的に締め切りに追われなくなるはずで、
最初のリオの五輪の話のように、長期的にアウトプットしていくようなタスクに、
もっと多くの時間をかけることができる。
 そして、これまで中間工程を調整していたのが、
「ホワイトカラー」と呼ばれる人たちである。
その中間工程の調整をコンピュータが担っていく世界が、
いわゆる「シンギュラリティ作業世界」だ。
 何度も例に挙げているUberは、ホワイトカラーの人たちをできる限り取り除いたビジネスモデルだ。
Airbnbやクラウドソーシングも当てはまる。
 だとえば今、「ロゴデザインを作る」という作業を考えたときに、
広告代理店が間に入って企画書を作り会議にかけて⋯⋯、ということをやっていると思うのだが、
そこが不必要になってくる。そして、そういうような時代にどうやって備えるか。
 もし今、あなたが中間の調整作業をやっている自覚があるのであれば、
それはそのうちコンピュータにやられてしまいやすいところだ。
早く別の作業に時間をかけていく努力をしたほうがいいし、
これまでの表現を使うのであれば、もっと遊んだほうがいい
 一刻も早く、今、たくさんの時間をかけてしまっている作業を見直し、
締め切りに追われない生活を手に入れよう。
 
 
 ■LINEスタンプや飲み会の曖昧さ
 今、私たちが使っているコミュニケーションサービスを考えてみてほしい。
意外と非合理的なものばかりだと気づくのではないだろうか。
「スナップチャットは、なぜ画像が消えてしまうのだろう」や、
「Twitterは、なぜ140字なのだろう」
「LINEは、なぜ曖昧なスタンプを押し合い、もっとちゃんと情報を効や伝達させないのだろう」
ということが愚問であるのと同じで、
人はコミュニケーションのスキームでは非合理的なことを実は望んでいるからであろう。
 そうすると、飲み会やランチ会は、情報伝達においては非合理的だが、
結局、人間がやらないといけないことは、極めて飲み会に近いということが言えるのである。
 
 
■機械から人、人から機械
 機械を動かすだけなら、あまりそれは必要ないかもしれないけれど、
今もこれからも人間と機械が混ざって仕事していくわけだから、
人間へ説明するのは大事なことだ。
「モチベーション」「使った結果」「抽象化した意味」
この3つを伝える技術は必要だ。
「なんでそれやるの?」
「それはどういう意味があるの?どんな機能なの?」
「それを使うと、どんないいことがあるの?」
「今後どうやって使ったらいいの?」
という質問は、どんな仕事の発注にも当てはまることだ。
人間相手に発注するときは、モチベーションと結果と抽象化がすごく重要だけど、
機械に発注するときは、具体的な指示が大事になる。
たとえば、「何を何回足して、何を何回掛けて、どの画像をどうフィルタリングして⋯⋯」
というように具体的な指令を出すわけだ。
具体的な指令はどの機械で実行しても一緒だから、
コピーして様々なところで使えるというのが、今のインターネット時代だ。
つまり、機械への具体的な指令と、人をコントロールする抽象的な指令は、
別々なものとして捉えるべきということだ。
実際に今、人間が機械に発注するときは具体的な指令が多くて、
人間への発注は抽象的な指令が多い。
そこで、「この人が言っていることを機械に指令するように変換しよう」というように
人のロジックから機械のロジックに変換するのが得意なのがプログラマーと呼ばれる職業だ。
逆に、機械への具体的な指令から、人のところを持ってくるのが得意なのが、研究者である。
 実は意識してみると、機械から人、人から機械、という発注がグルグル回っている状態になっている。
「リサーチ&ディベロプメント」ともいうが、
つまりリサーチするときは機械から人にオーダーを上げないといけないし、
ディベロプメントするときは人から機械のオーダーに下げないといけない。
それらどっちもあるというのを意識しながら、業務の発注プロセスや業務の思考プロセスを考えていくと、
自分がディベロプメント向きなのか、リサーチ向きなのかというのがわかってくると思う。
そこを意識して、機械に仕事を投げるのか、逆に人に仕事を投げるのかというのを決めておく
といいのではないだろうか。
 
 
 ■優位性をアピールする
 そして、それはコンピュータであらゆることが解決するようになったら、
必要がなくなるかといったら、そうではなくて、
人間を動かす(プログラミングする)ための言語というのは人間のほうがうまく話せるから、
これはやはり人間が伝えるべきで、その抽象的なレイヤーは人間が扱って、
すごく具体的で数理的なレイヤーはインターネット上で共有可能にしておくことがごベストだ。
そのトレードオフは絶対に起こる。
 これはエンジニアの人に限らず、たとえば、「自分がどう働くべきか」
「自分がこういう働き方をしているから、こういう仕事は自分に来るべきだ」というように、
すべての人にとっても、何ができて何ができないかをメディアを通じて発信することによって、
個々の優位性や、全員が全員、他の人にない特徴をアピールすることができる。
 それを絶対やっていかないといけない。
 マスメディアの時代だったら、全員が全員、同じことを中間的にやっていればよかったけれど、
これからはそうではない。
だから、その技能や地域性、その人のキャラクター、特殊性みたいなものを発信していこう
 
 
■人間にしかできない「おぼろげな想像力」
 暗記するためにノートにひたすら書いたり、何回も唱え続けたりすることはないけれど、
ざっくりとフックがかかっている状態、おぼろげにリンクが付いているような状態が、
これからの時代に理想的な知識の持ち方だと思う。
 これはどういう仕組みで、思いつきから実装までたどり着くことができるのか、
ということさえ押さえておけば、
個別の細かいところはその都度調べたりしながら作ることができるということだ。
 この感覚は、これから必要な創造性にとって、もっとも重要な状態になっていると思う。
つまり、「2つのものが抽象的なイメージで合わさったら、どういう答えになるんだろう?」
というように、おぼろげなものが重なることによって、人間にしかできない想像力が出てくるのだ。
たしか荒俣宏氏が、「創造性というのは、忘れる能力にかなり依存する」
というようなことを言っていて、確かにそうだと思ったことがある。
問題設定が明らかならば、忘れる能力も重要だと思う。
なぜなら、問題が立っていれば、「これらを組み合わせれば、対象が解ける」
ということがわかるけれど、本当の創造性というのは、「複数のものを使って問題を解く」
というところより、問題自体はなんだったか、ぼんやりしたところから見つけてくる能力だからだ。
 
 
 ■特徴を見出す力
 現に、人工知能でディープラーニングが出てきて、ここですごく重要だったことは、
複数の機械学習層をわたっていくと、抽象化した特徴量というものが出てきたことだ。
今まで、機械学習は特徴量を人間が定めるのに独自のノウハウが重要だった。
 しかし、ディープラーニングでは、その特徴量を機械が定めてくれるために革新的だと言われている。
 私たちも深層学習のようなもので動いているわけだから、
おそらく人間が持っている能力のうちで重要なものは抽象化して特徴量の差を捉える能力なのだろう。
抽象的なものとしてそのあらゆるジャンルの特徴量を持っていると、想像力の引き出し方が非常に充実するだろう。
 
 
 ■スペシャリストであることが大前提
 専門性がある人、つまりスペシャリストと、バランスよく知識を持っているジェネラリスト。
そのバランスが重要だ。
ジェネラリストに価値があるかといったら、全然価値がないといえるだろう。
 スペシャリストであることは、これからの時代では大前提で、
スペシャリストになるから受験勉強にも価値があるわけだ。この順番を間違ってはいけない。
ジェネラリストであるだけの人は、クイズ番組に価値がなくなるのと同じで、生き残っていけない。
そのバランスを取るのがすごく重要だ。
ある1つの分野がすごくできる人というのは、ある程度のタスク処理能力があるので、
意外と別の分野をやっても上手にできたりする。
要するに、受験勉強プラスアルファをするという感覚だ。
 受験勉強の知識そのものが役に立つのではなく、誰かと会話をするために知っておく必要だってある。
そういう価値観で捉えると、受験勉強的なことは意外と楽しめるかもしれない。
 ただ、それで進路を選ばされているというのは間違いだ。
それは、問題を作っている側になるとわかるのだが、試験問題は単純にクイズでしかない。
 採点だって、徐々にコンピュータがしている。
パソコン入力で入試問題を答えてくれれば、今すぐにでもコンピュータですべての採点ができる。
手書きで採点するから、余計なインターフェイスが入ってくるだけで、
みんながパソコンで入試問題に答えてくれれば、それで十分だ。
TOEFLやTOEICもそうだから、そういったコンピュータで採点できるものは、
フックをかける機会として捉えよう。
 
 
■勝手にやるまでのお膳立て
 親ができることと言えば、
「放っておいても勝手にやるようになるところまで、どうやってもっていくか」
ということではないだろうか。
「放っておけば、あとは勝手にやる」というところまでお膳立てしてあげれば、
あとは自分で試行錯誤するようになる。
 その興味の矛先は、インターネットの向こうから見つかることが多くなってくるので、
最低限、調べたり勉強したりということさえ教えればいい。
 だから、「何をしたら嬉しいのか?」ということをゲームのようにしてあげることが重要だ。
 「勉強好きな子」というのがいる。しかし、ほとんどは勉強そのものが好きなわけではなく、
勉強をしてやったページが増えていくのが好きなのか、
勉強してわかる瞬間が気持ちいいのか、
勉強をしてテストの点が取れることが気持ちいいのか。
それは、第1章の「報酬」の話で述べた、
ギャンブル的・コレクション的・心地よさ
という3つの基準で説明ができるはずだ。
 
 
 
ChatGPTさんに、
 
超驚き、
 
遅ればせながら
 
読んでみたりしました。
 
 
 
気が付けば、
 
2030年や2040年は
 
すぐそこですね。
 
どうなって行くんでしょうね。
 
 

 

 

猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

    は、

 

「誰もが気軽にゴルフを楽しめるように」


真心を込めて、サポートさせていただきます。