19歳の君へ 人が生き死ぬということ 日野原重明 編著 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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猪名川町・三田・川西・宝塚・西宮のゴルフレッスン

2008年8月25日 初版第1刷発行

春秋社

 

序 日野原重明(聖路加国際病院理事長・日本財団ホスピス研究会委員長)

いのちとは何か、学ぶとはどういうことか

 

第1講 山崎章郎(ケアタウン小平クリニック院長)

ホスピスケアはなぜ必要なのか

 

第2講 アルフォンス・デーケン(上智大学名誉教授)

死生観を育む

 

第3講 石垣靖子(北海道医療大学大学院教授)

人間として尊重する医療

 

第4講 紀伊國献三(笹川医学医療研究財団専務理事)

ホスピス緩和ケアをどう支えるか

 

第5講 岡部 健(岡部医院院長)

在宅緩和ケア 実践と課題

 

第6講 木澤義之(筑波大学大学院講師)

地域全体で取り組む緩和ケア

 

第7講 向山雄人(癌研有明病院緩和ケア科部長)

がん緩和ケア病棟の今

 

第8講 沼野尚美(六甲病院緩和ケア病棟チャブレン、カウンセラー)

いのちを大切にするということ

 

おわりに 眞嶋朋子(千葉大学教授)

連続講義を終えて

 

 

猪名川町立図書館でお借りしましたが、

 

ブックオフオンラインで注文して購入もしました。(笑)

 

 

 

 

人間とは何か

 

身体だけではない(いのち)

 

人間って、一体どんな存在なんでしょうね?

人間とは何か、我々の存在とはどういう存在なのだろうか?

まず、人間は身体を持っています―――

つまり肉体を持つ存在、身体的な存在だと言えますね。

次に、皆さんはひとりで生きているわけではないですね。

社会のなかで生きている。すると、

人間とは社会的な存在とも言える。

我々はいろいろな出来事に出会って、

喜んだり悲しんだり、対人関係で悩んだりします。

少なくとも我々は心によって

いろいろなことを感じながら存在しています。すると

人間とは、精神的な、あるいは心理的な存在だとも言える。

どうですか、間違っていますか?

人間は、身体的な存在であり、社会的な存在であり、精神・心理的な存在。

それについては、皆さんも合意できますね。

さて、しかし、これだけでしょうか。難しいですね。

ここに、WHO(世界保健機構 World Health Organization)による緩和ケアの定義

というのがあります。

WHOでは2002年に、緩和ケア(これはホスピスケアという言葉と同義語ですが)

をこのように定義しているのです(次頁の図1-1参照)。

 

 

心理社会的問題というのは、

社会的な存在かつ精神・心理的な存在としての人間を指しています。

ここでは先ほどの、人間を構成する三つの要素がすべて挙がっているわけです。

けれどそれだけではなくて、「スピリチュアルな問題」というのも挙げられています。

つまり、人間の存在には三つの要素だけではなくて、

もう一つ、スピリチュアルな要素があると言っているわけです。

 

スピリチュアルな存在?

 

スピリチュアル(spiritual)というのは、「霊的な・魂の」と訳されています。

これが正しい訳かどうかは別にして、少なくとも人間の存在には、

三つ以外にプラス・アルファの要素があって、

それで我々は人間らしく生きていられるのだということです(図1-2)。

 

ここでシシリー・ヘンダースさんという方の「全人的苦痛の理解」

という考え方を見てみましょう(図1-3)。

 

 

ソンダ―さんとはイギリスで1967年にホスピスを立ち上げた方です。

「現代ホスピスの母」とも呼ばれています。

身体的な苦痛とは、がんが広がって、痛みや呼吸困難などの

身体的症状が出てくることや、先ほど言ったように、

体力の低下によって日常生活の動作ができなくなってくることです。

社会的な苦痛は、先ほど人間は社会的存在だと言いましたが、

家庭や、仕事や、人間関係のなかで、

さまざまな問題が起こってくることです。

病気によって、やりがいのあった仕事を続けられなくなったり、

経済的に難しいといったことがいろいろ出てくる。

皆さんだったら、就職がうまくいかないとか、

就職した会社が倒産したりといったことが

これから起こってくるかもしれない。

社会的な存在であるとは、社会との関係のなかで

いろいろな困難や苦痛を経験しながら生きるということです。

もう一つは、精神・心理的な痛みです。

先ほど出た「つらい」とか「寂しい」とか

「申し訳ない」という気持ち、不安や孤独感のことです。

そして、図の一番下の「スピリチュアル・ペイン」、

これがWHOの言うスピリチュアルな問題のことです。

WHOの定義によると、「スピリチュアルな因子とは、

身体的、心理的、社会的因子を含んだ、

人が『生きる』ことの全体を構成する一因子

と見ることができる」。つまり、

四つのうちの三つの因子をすべて含む一因子と言うことができる。

そして、「生きている意味や目的についての関心や懸念(心配)

と関わっていることが多い」。

先ほど、亡くなる数週間前になって、患者さんたちが

早く死にたいと言うようになると言いました。

どうやら、生きる意味とか目的を考えることは、

単なる精神・心理的な問題だけではなくて、

もう一つの要素がそのように考えさせているらしいのです。

 

(中略)

 

村田久行先生というスピリチュアル・ケアの専門家は、

スピリチュアリティについてこんなふうに言っています。

通常、人間の身体的次元、心理的次元、社会的次元が

日常世界の「私」を表している。

我々の日常生活では、自己の存在の意味を問い、

人間を超えたものに問いかける人間のスピリチュアな次元

は覆い隠されている。

しかし、死、病、老い、不慮の事故などと共に、

日常生活が破れ、そこに非日常の世界が姿を現したとき、

日常では覆い隠されていた人間のスピリチュアな次元が、

苦しみのなかで、「なぜ私が」という声をあげるのである。

(『ターミナルケア』第二巻第五号、2002年、421頁)

我々はふだんの日常生活では、例えば

友だちとお昼ご飯を食べながら、自分はなぜ生きるのか

などといったことは考えないものです。

ふだんは覆い隠されているというのはそういうことです。

けれど、死とか病気とか事故といったことに突然直面して、

非日常的な世界がいきなり現れたとき、

なぜ私がこんな苦しみを味わわなければいけないのか、

この困難のなかで生きていく意味は何なのか、

という問いかけを必ずするようになる。

これがスピリチュアな次元であると言っているわけです。

スピリチュアリティとは、人間が生きるうえでの本質的な、

核心の部分であるようです。

人間は、人間として存在しようとするとき、

ただ生きるだけではなくて、

生きる意味を探しながら生きている。

多分、皆さんも、やがて社会に出て行くことを考えて、

この大学を選び、この学部を選んで勉強しようと思った、

それはやはり、生きかたを考え、

生きる意味を考えての選択であったということですね。

まあ、たまたま来てしまったという人もいるかもしれませんが(笑)。

 

 

 

 

 

 

人間の偉大さ―――三つのポイント

 

今日の講義の出発点として、まず人間の偉大さについて

少し考えてみましょう。私が思うには、

人間の偉大さとして三つのポイントが挙げられます。

まず、人間は考えることができる。

第二に、人間は選択できる、つまり自由であるということです。

第三に、人間は愛することができる。

この三つのポイントにおいて人間は動物と異なります。

動物は考えず、選択もできず、本能的に行動します。

おなかがすいている犬の前に肉を置くと、

必ず本能的に食べます。

人間は、いくらおいしいケーキを前に置かれても

ダイエットのために食べないという選択ができるのです。

まあ、必ず食べる人もいるらしいですけど(笑)。

やはり人間は本質的に自由であり、

考えたうえに選択できるということです。それは今日の死生観とスピリチュアリティに関する基礎でもあります。

 

 

 

スピリチュアリティとは何か

 

さて、スピリチュアリティを理解するために大切なこと

をお話ししましょう。

それは〈問題〉と〈神秘〉違いを理解し、

区別して考えることです。

 

〈問題〉と〈神秘〉を区別する

 

私は若いとき、フランスの実存哲学者

ガブリエル・マルセルの講義を聞く機会がありました。

この世の中のいろいろな出来事を理解するたみには、

〈問題〉(フランス語probleme/英語problem)と

〈神秘〉(mystere/mystery)の二つ

のアプローチを区別するべきだ

とマルセルは説きました。

つまり、私たちが受けている教育は

ほとんど決まって「問題解決」のためのものです。

例えば医学部の学生であれば、

患者さんがどういう病気で、それならば

どの手術や薬で治すことができるかを教えられる。

これが「問題解決」です。

ところが、世の中のすべてが〈問題〉の次元ではない

とマルセルは言っています。

例えば、死に直面している患者さんには

どのような〈問題〉があるでしょうか。がんである。

では、どう解決できますか?

解決できずに死ぬのですね。

医師が最後まで問題解決の姿勢のまま、

「明日また検査しましょう」などと言うとき、

患者さんは非常に疎外感を感じるのです。

「この医師は私のことをまったく理解してくれない。

検査なんてもう役に立たない。私は死ぬのに」。

この世の中には

〈問題〉の次元よりも深いものがあるのですね。

では〈神秘〉とはなんでしょう。

代表的なものは、

愛とか自由、人間、出会い、

苦しみ、悪、存在、誕生、生と死・・・・・

といったものです。

単なる〈問題〉ではなくて、

より深い存在の領域があるということです。

私たちは〈問題〉と〈神秘〉を区別して考えること

が必要ですし、それぞれに違う視点で考え、

対応することが必要なのです。

単なる〈問題〉であれば

知識やハウ・ツーで解決できます。

しかし〈神秘〉は、

知識や問題解決の技法では対応できない。

〈神秘〉に対する望ましい態度は、

素直な驚き、謙遜、畏敬、開かれた心

といったものです。

〈神秘〉については、問題解決はありえないこと

を謙遜に認めなければなりません。

死に直面している患者さんに対して

「ではちょっとこんなことをしてみましょうか」

といった問題解決はありえないのです。

「なぜ私はがんになったのか」

「どうしてこんなに苦しまなくてはいけないのか」

という患者さんの問いかけに対して、

簡単な答えはありません。

そこで、スピリチュアリティというテーマ

が大切になってくるのです。

スピリチュアリティとは何か。

それを理解するためには、初めから、

これは問題解決の次元ではなく、

もっと深い存在の〈神秘〉の次元にある

ということを意識しなくてはならないのです。

 

 

 

スピリチュアルというのは、宗教同様

 

何かあやしげな印象もありましたが、

 

哲学や宗教の必要性

 

を考えていくと

 

本書に書かれていることで

 

腑に落ちた気がしています。

 

いつも読んでいるものより

 

字が小さくて多く、専門的な部分もあり、

 

少し読むのに苦戦しました。(笑)

 

 

 

 

 

 

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