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となりのたぬきのブログ

となりのたぬきのブログです。

 今年も村の道陸神祭が行われました。当地は豪雪地なので、祭で火をつける塔はあらかじめ11月に作っておきます。雪がたくさん積もってしまってから塔を作ることは困難だからです。公民館の役員さんたち7、8人が終日かけて作ります。
 初めに塔の柱となる15m前後の細木を4~5本、塔を組み立てる横木を山から切り出してきます。塔は4、5本の細木を横に並べ、先端に当たる部分をまとめて太い針金(八番線)で一つに括ります。縄のような物で括ると、火を点けたときに縄が燃えて細木がばらばらに崩れ倒れて危険なので、針金で縛るのです。
 そうしたら、その細木の下部を足のように広げて地面に角垂形に建てます。グラグラしないように横木を何本も縛り付けて強度を保ちます。地面に接している細木の足は、スコップで掘った土穴にそれぞれ埋めて安定するようにします。これで基本の形はできました。
 次はその塔の内部にアンコを入れます。アンコで一番大事なのは、点火した時に火付きガ良い豆殻です。大豆や小豆等を収穫した後の枯れた豆の木の束です。農家では、庭先でトントンと叩いて豆をはじき出した後の殻木を道陸神づくりのために提供してくれます。それを火口(神様から運んできた火を塔の内部に入れる正面下の穴)に近い場所にしっかり積みます。その後ろや上には、枝祓いをした時のボヤや切り株、油があって良く燃える杉や松など常緑樹の枝葉、薪や古材木などなどを出来るだけたくさん積み重ねて形を整えます。
 最後に村中に自然に生えている茅やススキを軽トラックに何台も大量に刈り取ってきて、塔の周囲に下からてっぺんまで厚く巻き付けます。ところどころ藁縄でしっかり縛り付け、最後は塔の頂上から下へぐるぐる巻きに縛り付けて完成です。メインの塔の傍には、少し小ぶりの子どもの塔も建てます。
 二ヶ月ほどそのままにしておきますが、次第に雪が降って周囲が真っ白になり、まるで雪の中から道陸神が生まれ出て立っているかのようになります。祭の日は、塔の一番上に大きな達磨を幾つか刺して飾り付けます。また、各家庭から持ち寄った門松や神様の古いお札も周りに差し込んで飾ります。子どもたちが書いた書き初めなども飾り付けると賑やかにになります。
 公民館の役員さんたちは塔の周りの雪を踏んで見物者用の広場を作ったり、トン汁を作ってふるまったり大忙しです。茶碗酒やミカンなども一人一人に配られて、いよいよ道陸神に火が入ります。小学校の子どもたちが松明をかざして近くの神社から火の神を運んできて転火するのです。年男が敵味方に分かれて攻防戦をするようなところもありますが、我が村では昔から穏やかに点火して大きく燃え上がる炎を見ながら、一年の健康や幸せを祈ります。燃えた炭火で焼いたお餅を食べると風邪をひかないという言い伝えもあります。
 
 
   
      













<昭和61年2月13日の学級通信>

 今日は変なタイトルを付けてしまった.照れくさいような気がするけれど、もともと単純な男だから勘弁してもらいたい。経師というからには、もっと威厳を持って理性的に、己の感情などぐっと抑え呑み込んでしまうようでなければならないなどと思うときもあるが、自分に嘘を付けない性格なのだ。
 何が嬉しいって、昨日くらい嬉しいことは無かった。何だと思う? バレンタインデ-でチョコをもらう話じゃないよ。もっともっと嬉しいこと。教師をやっていて本当に良かったとって思えること。
 実は、昨日の職員会で我がクラスのことが話題になったのです。そりゃぁアラを探せばいろいろあると思うけど、昨日は何人かの先生からこんな発言があったのです。
 (A先生) 本校には10数クラスあるが、学習の後片付けをしなさいと言ったときに、男子も一緒になってさっと箒を持ってきたり片付けたりするのはこのクラスだけだ。生徒の素晴らしい姿にいつも胸を打たれている。
 (B先生) このクラスの清掃を見よ。誰ひとり遊ぶものも無く、きちんとした見仕度で、時間一杯それこそ気を利かせて真剣に取り組んでいる。あの意気込みこそ見習うべきだ。
 (C先生) 補欠授業で教室へ行ったら、誰一人として自分勝手なことをせず、きちんとみんなを仲間に入れて活発に班活動が行われていた。私は一言も注意しなくてできた。
 うれしかった。ひたすらうれしかった。陰ひなたなくどんな時にも精一杯やっている君たちの姿を知って胸が熱くなった。
これも、35年前の学級通信の一部です。

 日曜日、久しぶりに実家へ帰った。地区対抗の冬の運動会があり、参加するようおふくろに頼まれたからである。
ソリのリレ-・雪のタワ-作り・膨らませたタイやチュ-ブに乗った滑降・スキ-の大回転などなど、地区の人々が皆で参加して、ワイワイキャ-キャ-汗を流す。大人も子どもも一緒になって雪の上を転げまわる。途中で転ぶ子どもがいれば、我が子でなくてもすぐに抱き起してやる年配者がいる。年寄が抜かれれば「俺が取り返してやるさ」と言って飛び出していく若者がいる。勝っても負けてもいっこうに気にしない。みんな同じ村の衆(しょう)なのである。

ポンと肩をたたくやつがいる。「めずらしいなぁ」と言う声の主は、振り返らなくても分かる聞き慣れた声。小中学校で同級だったS君。俺は若乃花、こっちは栃錦と言ってよく相撲をとった相手。今は運送関係の会社で頑張っているという。
「やぁ、お久しぶり」と声をかけるのは、東京の大学を卒業して大手建設関係の会社で働いているK君。数年したら実家に入ると言う。
高校を卒業して一時は村を離れていた同年輩の仲間が、今確実に村へ帰ってきている。そして、自分が生まれ育った故郷を、自分を育ててくれた地域の人々を愛している。何かしら希望の湧く一日だった。

 この頃村へ戻った年代が、今は60~70歳になる。雪上運動会もとうに無くなり、息子たちはほとんど帰ってこなくなってしまった。
よく降ります。空の何処にこんなにたくさんの雪がしまってあったのかと思うくらいによく降ります。
除雪も間に合わない坂道を定期バスが登ってきました。その懸命に走るバスを見ていたら、何となく感動しました。


35年以上前からクラスの子どもたちに毎日書き続けた学級通信に、高村光太郎のこんな詩が載せてありました。

    「最低にして最高の道」
 
 もう止そう。
 ちいさな利欲とちいさな不平と
 ちいさな愚痴とちいさな怒りと
 そういううるさいけちなものは
 ああ、きれいにもう止そう。

 わたくし事のいざこざに
 みにくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止そう。

 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止そう。

 この世の抜駆けはもう止そう。

 そういう事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見栄もかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑うもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆこう。
正月三日も朝は30cm余の降雪がありました。
いつものように玄関先とボイラ-室前の雪を片付け、自宅を9時過ぎに出発。

千曲市八幡の武水別(たけみずわけ)神社は例年以上に賑やかでした。
昔から景気が悪いと神頼みする人が増えると言われますから、なるほどとも思いました。
そんなことを考えていたせいか、だるま売りの屋台もいつもより多いような気がしました。
綿飴やたこ焼き、お好み焼きやクレ-プも売っていて、何となくお正月という風情を味わいました。

自分の住んでいる地区の氏神様が八幡様なので、同じ八幡様系列の武水別神社は親しみがあります。
今年一年好い年になるよう、長い列に並んでしっかりお参りし、お札も拝受してきました。
空も晴れて、めでたいひと時でした。


奉納された絵額も立派です。


熊手も売っていました