「不安だから外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、不安という感情をつくりだしている」
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する。
自分の言うことをきかせる、その手段として怒りという感情を捏造した
大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
「不幸であること」が自信にとっての善だと判断した
性格・気質が先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるならば、再び自分で選びなおすことも可能
自分が変われないでいるのは、「変わらない」という決心を下しているからである
人はいろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることの方が楽であり、安心である
幸せになる勇気が足りていない
「今の自分」を受け入れて、たとえ結果がどうであろうとしても前に踏み出す勇気を持つ→勇気づけ
人間の悩みは全て対人関係の悩みである
我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」である→客観的な事実に自分がどのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか
主観は自分の手で選択可能である
劣等感→理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く→劣等感をばねにできる
劣等コンプレックス→自らの劣等感を言い訳に使い始めた状況→「学歴がないから成功できない」
健全な劣等感は他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる
権力争いに巻き込まれたとき、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらは負けではない
行動面の目標→「自立すること」「社会と調和して暮らせること」
行動を支える心理面の目標→「私には能力がある」「人々はわたしの仲間である」
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振舞える」と思えたときに、愛を実感することができる
我々は他者の期待を満たすために生きているのではない
あらゆる対人関係のトラブルは、他所あの課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって起こる
誰の課題かを見分ける方法は「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか」を考える
自らの生について自分ができることは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけ。その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、自分にはどうにもできない
自由とは他者から嫌われること→他者の評価を気に掛けず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない
対人関係のカードは常に私がもっている。私が変わらなければならない
水辺に連れていくことはできる。ただ、水を飲むかどうかはその人次第で私にはどうにもできない
対人関係で困難にぶつかったときは「より大きな共同体の声」を聞く
関係が壊れることだけを恐れて生きるのは他者のために生きる、不自由な生き方である
「縦の関係」を否定し全ての対人関係を「横の関係」とする
人は感謝の言葉を来た時、自らが他者に貢献できたことを知る。勇気づけには感謝の言葉を伝える
人は自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる
「私は共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ自らの価値を実感できる
他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで感謝する
誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、あなたには関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなどは考えることなく
共同体感覚をもつには
自己受容→「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、変えられるものに注目する。
他者信頼→他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない。「私がどうするか」だけを考える。信頼することを恐れていたら、誰とも深い関係を築くことができない
他者貢献→私を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ私の価値を実感するためにこそなされるもの。他者が私になにをしてくれるかではなく、私が他者になにができるかを考え、実践していく。
攻撃してくるその人に問題があるだけで、決してみんなが悪いわけではない。
幸福とは貢献感である。
貢献感を得る手段が「他者から承認されること」になってしまうと結局は他者の望みどおりの人生を歩まざるを得なくなってしまう。
ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していればいい。いま、ここを真剣に生きる。