私は人間関係において、適切な距離感を相手との間にとることが苦手です。
おそらく、自分の感情で、相手をみてるからっていうことが第一にあるんでしょうね。
つまり、好きか嫌いかで相手に対しての態度が全然違っているんですね。
さて、私が距離をとってしまう苦手な相手というのも存在します。
結論から、私は付かずはなれずの関係を望んでいるところあります。
私を嫌って距離をとっていく相手というのも苦手です、また逆に好意をいだいて、極端に距離をつめてくる人というのもまた、苦手なのですね。
距離をおき過ぎる、またつめすぎる。
どちらに偏っても、私は拒絶してしまいます。どんなことでも、極端にはしれば悪になるという考えです。
距離感のバランスをとろうと常にする人がわたしは好感をもちますね。また同時に、私も相手との関係において偏り過ぎないようバランスをとる努力ししなければならないところです。
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日曜日の午前中ですので、ちょっと、宗教の観点からの肯定について、ある本から抜粋したいと思います。
宗教アレルギーのある方はご注意ください。
「宗教は何を与えようとするものなのでしょう。柔和で寛容な人格や、厳しく誠実な反省でしょうか。正義を求める行動や、献身的な奉仕でしょうか。暮らしは低く思いは高い生活態度でしょうか。
そういうこともありましょう。しかし、宗教が本当に与えようとしているものは安心なのです。ただしそれは、金とか健康といった安心を支える材料を与えるという意味ではなく、そういう材料のあるなしに関係の無い、人生の最深層からの肯定にこそ安心はあることに気づかせるという意味です。
人生はどんなに悲惨であっても肯定されています。」
「福音はとどいていますか ーある牧師と医師の祈りー」 <藤木正三、工藤信夫著> ヨルダン社
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宗教アレルギーのある方はご注意ください。
「宗教は何を与えようとするものなのでしょう。柔和で寛容な人格や、厳しく誠実な反省でしょうか。正義を求める行動や、献身的な奉仕でしょうか。暮らしは低く思いは高い生活態度でしょうか。
そういうこともありましょう。しかし、宗教が本当に与えようとしているものは安心なのです。ただしそれは、金とか健康といった安心を支える材料を与えるという意味ではなく、そういう材料のあるなしに関係の無い、人生の最深層からの肯定にこそ安心はあることに気づかせるという意味です。
人生はどんなに悲惨であっても肯定されています。」
「福音はとどいていますか ーある牧師と医師の祈りー」 <藤木正三、工藤信夫著> ヨルダン社
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自分をよく知る、大学時代の統合失調症と診断をされている友達に言わせれば、エレガントは、発達障害というよりも、むしろ統合失調症ではないかと思うと、何を根拠に、そういうのかと聞くと
彼自身とエレガントの精神症状がよく似ているらしい。さらに、仮に発達障害があったとしても、その傾向は顕著ではない。隠れ発達障害で、前面に出ているのは統合失調症の方で、発達障害よりも統合失調症の治療を優先させるべきではないかと。
私自身、発達障害と統合失調症の関係を調べてみました。
両者とも、症状や特性が似ています。そして、両者の合併割合は発達障害者100人に対し、2~3%らしいです。
統合失調症の場合、発達障害の二次障害とは考えずに、まったくの別物と考えて、合併と言うらしいです。
私の場合、さらに細かく言うと統合失調感情障害(統合失調症に双極性障害の症状がミックスされたもの。)の可能性が高いです。
よって、発達障害をどうにかするよりも、まずは統合失調感情障害の方をなんとかすることが、急務であるような気がします。
ちなみに、病院では、双極性障害(躁うつ病)の方で診断名はついています。カルテ上の病名ですが、
障害年金の方の診断書は統合失調症になっていますが。
多分、双極性障害とも統合失調症とも
どちらとも言えるのでしょう。
でも、発達障害のグループワークや自助会の仲間たちから、はぶかれるのではないかという不安もあるのです。
自分は発達障害という観点からは、共有できるものは今は少ない気がしますので。
例えば、アフター(グループワークや自助会のあとの親睦会)には、いきたくない。周りが気になるからです。
周りの仲間たちに気を使わせたくないんです。
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