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ノーマライゼーション

発達障害や精神障害(パーソナリティ障害)の、パッとみは定型発達や健常者とほとんど変わらない理解されにくい、一当事者の苦悩や体験や日常

アンソニー・ストー『精神療法と人間関係』 理想社からの引用

「他人との関係にかんするもので、しかもきわめて大切なものであるために、もしそれがなかったならば、本当に自分らしい人格を発展させることができなくなってしまう、といったものがあるとすれば、それはいったいどのようなものであろうか。子供にとっては親からの優しさと愛情が不可欠であるが、これと全く同じように、大人にとってもまた、自分の仲間から、受け入れられているということが絶対に必要なのである。もしその受け入れがなかったならば、人は狂気の孤独に直面することにならるであろう。他人が、自分の存在を無条件で、ありのまま受け入れてくれていることを知っていること、それはみずから自己を受け入れることができるということに等しく、またそれゆえに、本当に自分になることができるということ、自己に固有な人格を実現することができるということに等しい」

自分にとっては、等身大の私を受け入れてくれる仲間が、欲しいし、今後は作っていきたいと思います。また、今周りにいる仲間たちがそのままの私を受け入れてくれることを願ってならない。



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9月28日に、方針が決まったらしい。このことは、自分にとっても決して他人事ではないです。

現等級を厚生年金基金がなくなるまで維持できたとして、今もらってる、基礎年金と厚生年金のうち、厚生年金がなくなったら、かなり少なくなります。生活がやっていけなくなるかもしれません。というか、僕の状況を考えるとやっていけなくなります。



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昨日は、ボディワークに参加してきました。

一つに気づかされたのは、自分はあの
空間にいると何も感じないということでした。

これは、良い傾向なんです。以前ならあの肯定的な雰囲気に面喰らっていた自分がいたり、バカバカしいと内心思っていた自分がいたからです。

それが、肯定的な雰囲気をそのままに受け取れるようになっている。自惚れかもしれませんが、成長したなと思えるようになりました。

セッションの取り組む姿勢も、以前と確実に変わっています。何かを得ようとする、姿勢に変わってきているからです。昨日のセッションでも、漫然とセッションにのぞむ自分はどこにもいませんでした。

それは、同時に他の参加者の意識の高さにも、あると思います。そこに触発された自分もいました。

具体的に、タッチングでは、受け手側をやらせていただいている際に、やり手の人の強さと同時に優しさも感じられました。

気づきのワークでは、殻をやぶることと左右の人という、瞑想ワークをやりましたが、これらはなにかをくみ取ることが難しかった自分がいました。

こうやって、難しいと感じられ、それを表現できるのも成長のうちなのかもしれませんね。

これからも、参加できる時は参加させていただいて、自分の感性をみがいていきたいです。



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