流れゆく景色に -8ページ目

花火に感じる何か

どこかで花火が上がっていました。
花火大会と呼ぶ規模のものではないかもしれませんが、とりあえず。
 
 
考えてみると、花火大会というものに出かけた記憶は、あまりありません。
 
ちょっと違いますが、高校生の頃、近所のちょっとした盆踊り。
馴染みのメンバーがそこで集まっていて、なんとなく出かけました。
 
そこで見た隣の町の花火。
それを見ながら、何かに思いを馳せていた自分。なぜか覚えています。
 
 
今はその盆踊りもやってませんし、当時のメンバーとも、何年も会ってません。
そのせいでしょうかね。その後ありそうでなかった、同じような光景。
 
 
花火は毎年やってて、案外近くで見れることを後に知りました。
これも遠くから眺めるだけですし、花火大会に出かけるのとは違いますかね。

個人が情報発信するということ

このブログを始める前にやっていたブログやホームページの名前を、何気なく検索してみました。
 
実は完全に抹消したわけでもないので、一応引っかかります。
とはいえ稼働していませんし、こことは性質が違うので僕がどういう人か明かしてる部分も違います。
 
それもあって、あえて詳細をここで公開せず、経緯だけを書いてみます。


ネットに触れるようになった中学生の頃、個人の趣味でやっているサイトでありながら、個人サイトとは思えないような構成のものも珍しくありませんでした。
それを見ていたためか、初めて自分が作ったサイトも、段々とそれを目指す方向に進みました。
 
大学生の頃にはブログが出現し、元々僕が影響を受けていたサイトでも併設されるのを見て、真似て始めてみました。
 
あとはSNSが登場したり、段々と時代が変わるのは気づいてました。
しかし、掲示板(今ではこれも珍しくなりましたね)の常連の方も多くいましたので、元のサイトの形態もコンセプトは変えませんでした。
ブログも、もっと書きたいことはありましたが、元のサイトとミスマッチ過ぎる内容は避けていました。
 
そのうち社会人になって、ある日気がつきました。
やり方が時代に取り残されて、常連と呼ばれる方を確保するのが難しいこと。
学生の頃のような時間もなく、段々とそのまま続ける意欲も離れていること。
 
もう1つ引っかかったのは、いつ書いたのかを明記してなかったことですね。
せめて日付があれば、当時の情報をもとに、当時の僕が書いたということが伝わります。
それがないだけで、いつを基準にした内容か伝えられなくなるんですね。
 
そう考えると、ブログにしてもツイッターにしても、誰でもできる情報発信としては正しい姿だと僕は思います。
  
結局、そのままの形で続けるのは諦めました。
 
それが結果として、このブログを始めるきっかけになったんですよね。
単純に書きたいことを書くという、素直な発想でいこうと。
 
 
ついでに、そのあとで気づいたことが2つあります。


1つは、実生活とネット上では別人格でやろうとしても、自分はあくまでも1人なので限界があること。
もう1つは、今でも従来の形式で10年以上個人サイトを続けているような方は、自分が発信したいと思うことを書く、それがいつを基準にしたかをはっきりさせる、この2つに忠実なこと。

意識してたかどうかは分かりませんが、今となってはそういう風に見えます。

五輪期間中のニュース番組に思うこと

前のときも思ったことなんですが、
時々目立つのが、オリンピックをやたら優先しすぎるニュース番組。
 
極端なものになると、一般ニュースが後半まで扱われないものも見られることがあるような気がします。
 
そういう状況だと、期間中でも一般ニュースを優先する番組を見ると、僕の中では好感度が上がってしまうんですよね。
 
スポーツ報道を軽視しているのではなくて、重大なニュースがかき消されている気がすることがあることへの疑問です。
それだけでなく、単に食傷気味な人もいるんじゃないかという疑問もありますが。 
  
もっとも、普段スポーツに時間を割かない番組に限って、こういうイベントがあると一般ニュースが軽視されてるような傾向があるようにも見えます。
他に削るところがないから仕方ないってことなんでしょうけど。