「おっちゃん王国」NTG(大人になりきれないおっちゃん)のブログ -105ページ目

テニスな週末 #1 全3話

テニスな週末 全3話

#1

「ラブ・フォーティー」
マッチポイントを握られる時、オレがいつも思うこと。

やめよう・・・。
テニス・・・。
楽しくないし・・・・・・。



この一年。週末のほとんどは、緑地公園に足を運んだ。
HEADのボストンバッグに詰め込んだ三機のラケットとスポーツドリンクとタオルの重みが、肩にのしかかる。駐車場からテニスコートまでのアスファルトの上を足早に移動する。小気味よい打球音が聞こえてくると、気分が高まってくる。
背の高い金網の中は、聖地だ。
まだ新しいネットと白いライン。縦23.77メートル横10.97メートルのオムニコートに浮かぶ規則正しいストライプのブラシ跡。
念入りなストレッチのあと、ベンチに腰掛けて、ライムグリーンの靴ヒモを結び直す。バッグからBabolaTのピュアドライブを取り出す。
「高山さん、そろそろいいですか?」
「ええ。いいですよ」
高山さんは、このテニスサークルでは、オレよりも一ヶ月ほど先輩になる。この男性とは年齢も近く、アラフォー同士、出会った時から理由もなく気が合った。
今日もほかのメンバーより早くやってきた二人が、ネットを境に互いのポジションへ向かう。
ハーフスピードのラリーから、徐々にピッチをあげていく。
膝、腕、全身の可動域を使い、身体の捻転が生み出す回転力を、高弾力な小物体にピンポイントで叩きつける。楕円のスイートスポットから弾け散る乾いた打球音。スピンをまとった黄色い球体が描く、イメージどおりの放物線。繰り返されるスピードの応酬にあおられる高揚感を、冷静な集中力で押さえ込む。
これが、テニスだ。



一年前。
「今井課長、テニスがお好きなんですか?」
昼休みに会社のノートパソコンで、ウィンブルドンの記事サイトを見ていると、声をかけられた。声の主は、佐山香織。新卒入社して三年目だが、能力の高さを認められて小規模プロジェクトのリーダーを務める。いわゆるエリート社員だ。万人受けしそうな可愛らしい容姿と明るい性格が、社内外を問わず多くのファンを自動生産していた。もちろん、そのほとんどは若い男なのだが。
「いやあ。実は、こう見えても、中学高校とテニス部に所属していたんだよ」
「へえ、そうなんですか。確かに、"こう見えても"ですね。意外です」
「ははは。まあ、遊び半分でやっていたような部活動だったからね。でも、テニスは今でも大好きだから、四大大会はかかさずチェックしてるんだ」
遊び半分というのは、照れ隠しだ。当時のオレは、かなり本気だった。高校最後の地方大会では、ダブルスで準決勝まで勝ち上がった。青春の思い出だ。
「実は、わたしもテニスが好きなんです」
「そうなんだ。学生のとき、テニス部だったのかい?」
「いえ。最近はじめたばかりなんですよ。この前の日曜日から、フェイスブックで知り合った友人と一緒に、社会人だけのテニスサークルに通いはじめたんです」
フェイスブックの友人が、実はオレと同世代の主婦だということを教えてくれた佐山香織は、つややかな栗色の髪を揺らしながら自分の席に戻っていった。
この日の退社時間。タイムカードを押した直後、会社から支給されている携帯電話に一通の業務連絡メールが届いた。

今井課長
下記の件、検討願います。
テニス、教えてください。
本気でハマってしまってて・・・。早く上手に打てるようになりたいんです。
日曜日にサークルがあるんですけど、その前の土曜日に実はコートを予約してあるんです。
友人と一緒に秘密練習するつもりだったんですが、二人とも超初心者なんで、多分、笑っちゃうくらいヒドイことになると思うんです。
ご都合宜しければ・・・・

彼女にしてみれば珍しく、非常にくだけた文章だ。内容は、テニスのコーチをしてほしいという要望だった。
テニスコートの場所と予約時間のほか、コーチ料に当日と明日のランチをご馳走してくれるという条件も明記してある。
テニスのコーチか・・・。
大学のサークルイベントでテニスをしたときに、コーチ役を務めたことがある。その時の生徒の一人が、今のオレの家内だ。
テニスを教えるのは、正直あまり得意ではなかった。結婚後は、ラケットを握ることすらなかった。
一応は悩んだのだが、結局誘いを受けることにした。ランチは、割勘にしてもらった。さすがに、若い女の子におごらせることは、気が引ける。
十年以上、ラケットカバーから出ることのなかったヨネックス。グリップは白く風化している。真っ白いはずのゴーセンガットは飴色になっていた。
平日の夜、近所の大型スポーツ店に足を運び、ガットとグリップの交換を依頼した。作業が終わるのを待つ間、店内を見回す。
整然とディスプレイされたカラフルで派手なデザインのテニスラケットたち。見ていて飽きることがない。有名なプロテニスプレイヤーのタイプモデルは、機能美のオーラを惜しげもなく発散している。実際に手にしてみると、年甲斐もなくワクワクしてくる。
(買っちゃえ)
心の中で、もう一人のオレがけしかけてくる。わかっている。この誘惑には、いかなる抵抗も防御も効かない。
結局、最新のラケットとオールラウンドのシューズを購入してしまった。店員の男性が、B級のテニスボールワンダースをサービスしてくれた。


佐山香織との約束の日。
午前十一時。クラブハウスの前、先に来ていた彼女がオレを見つけて手を振っている。我ながらダサい半袖シャツにジャージパンツ姿のオレは、軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「おはよう」
「あのぉ。実はですね。今日の生徒は、わたし一人なんです」
「えっ、そうなの?」
「ごめんなさい。お友達なんですけど、どうやら、わたしほどはテニスが好きじゃないみたいで・・・」
若い女の子とオッサンが、テニスコートに二人。はたから見れば、完全に不倫カップルにしか見えないだろう。しかも、佐山香織は完全にいい女だ。
後ろでひとつくくりされた髪が、歩くたび、しなやかに揺れる。ストレッチ素材の機能性ウェアが、スレンダーな肢体を強調してくれている。
コートに入って準備運動する様子から、彼女の運動神経の高さがうかがえる。学生時代にバスケットボールをしていたらしいが、かなりの腕前だったのではないだろうか。


#2へ続く