テニスな週末 #2 全3話
テニスな週末 全3話
#2
マンツーマンのレッスン開始だ。新しくなったガットのヨネックスを持って、前日にインターネットで勉強してきたコーチを実践する。十年以上立つことのなかったコートの上で、オレの体は予想以上に軽快に動いた。
素人を相手にテニスをしようとすると、疲れるのは教える側だ。縦横無尽に走り回されるたびに、彼女の楽しそうな声が飛んでくる。
「うわあ、ゴメンナサイ」「今井課長、すごぉい」
少休憩のあと、BabolaTのピュアドライブをカバーから取り出した。佐山香織が、スカイブルーと黒と白の筋肉質なフレームに気付いた。
「おっ、新品ですか?カッコいいラケットですね」
「うん。あまりのカッコよさに、思わず買っちゃったよ。こっちのヨネックスと比べると、かなり軽いな」
ネットを挟んで、二人は左右に別れた。サービスライン付近で、ゆるいスピードのポンポンラリーをはじめた。打ち初めからの違和感が、オレを驚かせた。
(なんだ、この打感!?ボールの感触が、ダイレクトすぎるだろ?)
異次元の感覚だった。リストだけで返す打球すら、生きたボールになる。思い通りのスピンをかけて、ミリ単位のコントロールを楽しめる。ガットの一本一本が、まるで自分の神経と繋がっているような錯覚を覚える、という表現は言い過ぎかもしれないが。
ふわりとした打球が向かってくる。高めのバウンドボールにプリントされたDUNLOPのロゴが、視界に入る。衝動を抑え切れない。
パシンッ。
十年以上ぶりの渾身のフォアハンドをライジングで叩き込んだ。
「キャッ・・・」
佐山香織の小さな悲鳴で、我に返った。
「ごめん、ごめん。つい、本気で打っちゃったよ。いやあ、最新のラケットって、ホントにスゴイね」
「ビックリしたぁ。今井課長、ホントにテニスができるんですね」
「はは。でも、今のはラケットのおかげだよ。自分でもビックリしたぐらいだからね。まさか、こんなにも簡単にうまくいくと思わなかったよ」
「そうなんですか。でも、カッコよかったです」
佐山香織は、オレのマネをしているのか、真剣な表情で素振りを繰り返している。
「あっ。もしかして、今井課長ってサーブとか打てるんですか?」
「もちろん!って、言いたいところだけど、どうだろうな。昔は、サーブが大好きだったんだけど」
フォア側のベースラインから、ネット越しに見えるサービスライン。
数回の軽い素振りのあと、ハーフスピードのサーブを打ってみた。膝と腰は、ほとんど使わない。腕の力だけで、高く浮いたボールにストリングスの網目をこすりつける。
予想した通り、すばらしい感触だ。あまりにも簡単に、左右の狙ったところに打ち分けることができた。
「よしっ・・・」
ファーストサーブを打つ決心がついた。オレのすぐ横では、佐山香織が立っている。
トスを上げる。全身のバネを使って、斜め前方上に浮かぶボール目掛けて右腕を振り抜く。
ガキッ、という嫌な音とともにラケットフレームに叩かれた打球は、ネットの遥か上を通過して、そのまま向こう側の金網まで飛んで行った。
「あちゃあ。やっぱり、サーブはほかのショットのようにはうまくいかないな」
(ラケットが軽いから、少しタイミングをずらしたほうがいいのかな?)
本気の素振りを繰り返した。
(違う・・・。ボールから目を離すのが早すぎるんだ。それと、集中力。最後まで、いや、次のプレイのことまで考えて、集中力を持続しないと)
佐山香織からボールを受け取る。
狙いはセンター。トスを上げる。軽く曲げた左膝に右足をすり寄せる。背中にグラファイトフレームを回しながら、反り返った上半身の重みをふくらはぎに感じる。しならせた体重を、一気に開放する。回転する肩、肘が伸びる、手首からラケットグリップの先へ突き抜けるスピード。複雑に連動する全身運動のエネルギーを、無回転に浮かぶボールへ一点集中させる。
行けっ!
この感触だ。あまりにも自然に振り抜けた。
スパンッ。
快心の一撃。相手側サービスラインのセンター付近に、俺が持つ最速のショットが決まった。
「すっごぉい!プロみたい!」
興奮気味の佐山香織は、驚きの表情で喜んでいる。
(試合、したいな・・・)
何年も封印されていたテニスプレイヤーへの思いが開放された瞬間だった。
「もう一球、打ってもいいかな?」
「どうぞ、どうぞ。ジャンジャン打ってください」
「今日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。久しぶりに、いい運動になったよ。やっぱり、テニスは楽しいね」
コートの近くにあるファミリーレストランで、遅いランチをすることにした。
「今井課長のサーブ、すごいですね。気付いてました?隣りのコートの人たち、ずうっと今井課長のサーブを見ていましたよ」
「へえ、そうだったんだ。全然、気付かなかったよ」
「わたし、実は、今井課長がこんなにもテニスがお上手なんて思っていなかったんです。ごめんなさい、わたしみたいなヘタクソの相手をすることになっちゃって」
「いやいや。佐山さん、今日一日で、とても上手になったよ。運動神経がいいんだね。飲み込みが早いよ」
実際、佐山香織のセンスには非凡なものを感じた。きれいなフォームは、ほぼ教えたとおりのものになっていた。ラケットフェイスがしっかりしているので、ボールコントロールが安定している。ゆっくりしたラリーなら、長く続けることができるようになっていた。なにより、集中力が素晴らしい。
「あっ、そうだ。もしよろしければ、明日のサークル、一緒に行きませんか?サークルには上手な人がいるんで、今井課長もきっとマトモなテニスができると思いますよ。っていうか、友だちが来なくなっちゃったんで、なんだか一人でサークルには行きづらくて・・・」
少しだけ寂しげな笑顔は、危険な予感を十分に含んでいる。そして、今日一日で、テニスへの思いが止められなくなっているのを、オレ自身がすでに自覚してしまっている。
「仕方ないな。かわいい部下のために、なんとかしてやろう。明日は特に予定がなかったはずだけど、一応、家内に聞いてみて連絡するよ」
「ホントですか!?ありがとうございます」
やはり、この笑顔は危険すぎる。彼女の顔を長時間正視できないオレは、食後のアイスコーヒーを飲むことで気持ちのバランスをとっていた。
次の日からはじめることになったテニスサークルは、居心地がよかった。メンバー全員が社会人で、年齢も性別も職業もバラバラだったが、テニスを愛しているという共通点のおかげで、人間関係は良好だった。
佐山香織は、持ち前の運動神経と積極的な性格で、みるみるうちに上達した。半年ほど経つと、オレとダブルスを組んで、小さいながらもオープンの大会に出場して、三回戦までは勝ち進む腕前になっていた。
佐山香織は会社とコート以外の場所では、オレのことを「和宏さん」と呼び、オレは彼女を「香織」と呼んでいた。そのことを知る者は、オレたち以外には、誰もいない。
#3へ続く
#1
#2
マンツーマンのレッスン開始だ。新しくなったガットのヨネックスを持って、前日にインターネットで勉強してきたコーチを実践する。十年以上立つことのなかったコートの上で、オレの体は予想以上に軽快に動いた。
素人を相手にテニスをしようとすると、疲れるのは教える側だ。縦横無尽に走り回されるたびに、彼女の楽しそうな声が飛んでくる。
「うわあ、ゴメンナサイ」「今井課長、すごぉい」
少休憩のあと、BabolaTのピュアドライブをカバーから取り出した。佐山香織が、スカイブルーと黒と白の筋肉質なフレームに気付いた。
「おっ、新品ですか?カッコいいラケットですね」
「うん。あまりのカッコよさに、思わず買っちゃったよ。こっちのヨネックスと比べると、かなり軽いな」
ネットを挟んで、二人は左右に別れた。サービスライン付近で、ゆるいスピードのポンポンラリーをはじめた。打ち初めからの違和感が、オレを驚かせた。
(なんだ、この打感!?ボールの感触が、ダイレクトすぎるだろ?)
異次元の感覚だった。リストだけで返す打球すら、生きたボールになる。思い通りのスピンをかけて、ミリ単位のコントロールを楽しめる。ガットの一本一本が、まるで自分の神経と繋がっているような錯覚を覚える、という表現は言い過ぎかもしれないが。
ふわりとした打球が向かってくる。高めのバウンドボールにプリントされたDUNLOPのロゴが、視界に入る。衝動を抑え切れない。
パシンッ。
十年以上ぶりの渾身のフォアハンドをライジングで叩き込んだ。
「キャッ・・・」
佐山香織の小さな悲鳴で、我に返った。
「ごめん、ごめん。つい、本気で打っちゃったよ。いやあ、最新のラケットって、ホントにスゴイね」
「ビックリしたぁ。今井課長、ホントにテニスができるんですね」
「はは。でも、今のはラケットのおかげだよ。自分でもビックリしたぐらいだからね。まさか、こんなにも簡単にうまくいくと思わなかったよ」
「そうなんですか。でも、カッコよかったです」
佐山香織は、オレのマネをしているのか、真剣な表情で素振りを繰り返している。
「あっ。もしかして、今井課長ってサーブとか打てるんですか?」
「もちろん!って、言いたいところだけど、どうだろうな。昔は、サーブが大好きだったんだけど」
フォア側のベースラインから、ネット越しに見えるサービスライン。
数回の軽い素振りのあと、ハーフスピードのサーブを打ってみた。膝と腰は、ほとんど使わない。腕の力だけで、高く浮いたボールにストリングスの網目をこすりつける。
予想した通り、すばらしい感触だ。あまりにも簡単に、左右の狙ったところに打ち分けることができた。
「よしっ・・・」
ファーストサーブを打つ決心がついた。オレのすぐ横では、佐山香織が立っている。
トスを上げる。全身のバネを使って、斜め前方上に浮かぶボール目掛けて右腕を振り抜く。
ガキッ、という嫌な音とともにラケットフレームに叩かれた打球は、ネットの遥か上を通過して、そのまま向こう側の金網まで飛んで行った。
「あちゃあ。やっぱり、サーブはほかのショットのようにはうまくいかないな」
(ラケットが軽いから、少しタイミングをずらしたほうがいいのかな?)
本気の素振りを繰り返した。
(違う・・・。ボールから目を離すのが早すぎるんだ。それと、集中力。最後まで、いや、次のプレイのことまで考えて、集中力を持続しないと)
佐山香織からボールを受け取る。
狙いはセンター。トスを上げる。軽く曲げた左膝に右足をすり寄せる。背中にグラファイトフレームを回しながら、反り返った上半身の重みをふくらはぎに感じる。しならせた体重を、一気に開放する。回転する肩、肘が伸びる、手首からラケットグリップの先へ突き抜けるスピード。複雑に連動する全身運動のエネルギーを、無回転に浮かぶボールへ一点集中させる。
行けっ!
この感触だ。あまりにも自然に振り抜けた。
スパンッ。
快心の一撃。相手側サービスラインのセンター付近に、俺が持つ最速のショットが決まった。
「すっごぉい!プロみたい!」
興奮気味の佐山香織は、驚きの表情で喜んでいる。
(試合、したいな・・・)
何年も封印されていたテニスプレイヤーへの思いが開放された瞬間だった。
「もう一球、打ってもいいかな?」
「どうぞ、どうぞ。ジャンジャン打ってください」
「今日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。久しぶりに、いい運動になったよ。やっぱり、テニスは楽しいね」
コートの近くにあるファミリーレストランで、遅いランチをすることにした。
「今井課長のサーブ、すごいですね。気付いてました?隣りのコートの人たち、ずうっと今井課長のサーブを見ていましたよ」
「へえ、そうだったんだ。全然、気付かなかったよ」
「わたし、実は、今井課長がこんなにもテニスがお上手なんて思っていなかったんです。ごめんなさい、わたしみたいなヘタクソの相手をすることになっちゃって」
「いやいや。佐山さん、今日一日で、とても上手になったよ。運動神経がいいんだね。飲み込みが早いよ」
実際、佐山香織のセンスには非凡なものを感じた。きれいなフォームは、ほぼ教えたとおりのものになっていた。ラケットフェイスがしっかりしているので、ボールコントロールが安定している。ゆっくりしたラリーなら、長く続けることができるようになっていた。なにより、集中力が素晴らしい。
「あっ、そうだ。もしよろしければ、明日のサークル、一緒に行きませんか?サークルには上手な人がいるんで、今井課長もきっとマトモなテニスができると思いますよ。っていうか、友だちが来なくなっちゃったんで、なんだか一人でサークルには行きづらくて・・・」
少しだけ寂しげな笑顔は、危険な予感を十分に含んでいる。そして、今日一日で、テニスへの思いが止められなくなっているのを、オレ自身がすでに自覚してしまっている。
「仕方ないな。かわいい部下のために、なんとかしてやろう。明日は特に予定がなかったはずだけど、一応、家内に聞いてみて連絡するよ」
「ホントですか!?ありがとうございます」
やはり、この笑顔は危険すぎる。彼女の顔を長時間正視できないオレは、食後のアイスコーヒーを飲むことで気持ちのバランスをとっていた。
次の日からはじめることになったテニスサークルは、居心地がよかった。メンバー全員が社会人で、年齢も性別も職業もバラバラだったが、テニスを愛しているという共通点のおかげで、人間関係は良好だった。
佐山香織は、持ち前の運動神経と積極的な性格で、みるみるうちに上達した。半年ほど経つと、オレとダブルスを組んで、小さいながらもオープンの大会に出場して、三回戦までは勝ち進む腕前になっていた。
佐山香織は会社とコート以外の場所では、オレのことを「和宏さん」と呼び、オレは彼女を「香織」と呼んでいた。そのことを知る者は、オレたち以外には、誰もいない。
#3へ続く
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