最近のお気に入りの天日矛さんの動画。
日矛さんの前世が偉い禅僧だったというお話をまた見直していました。
そーしたら、そういえば自分も前世を自分で視るのがマイブームだった時期があって
何人か悟れなくて亡くなっちゃった前世を視たのを思い出しました。
自分もたいがい「修行」好きだから下っ端の僧侶多いよね、と思い出しつつ
結局どんな死に方を迎えても最後口角を上げてニッコリすれば、それで成仏できるんだよね・
と過去記事を読み返していて思ったのでした。
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今、私はこの人生では求めてきた道で手応えを感じながら生きています。
やりたいように生きられています。
それは世間的な安定とも違うし、豊かにもなっていないし、身内から見たら「何やってんだか」らしいんですが
私は今に至るまでのすべての岐路で正しい選択をして今ここに在ると思っています。
「僧侶」以外に視た何個かの人生では「作る人」だったことも多いようです。
女性でひたすら「自分」でありたくて「変わり者」と言われながら生きたような人、
作るのが好きだったけれど、もっと他の「お役目」のためにそれは封印した方
孤独で人とうまくコミュニケーションが取れないような放浪者が彫刻をすることで人や地域と繋がっていけた前世
等、自分で視る「なんちゃってヒプノセラピー」でも
能力者と言われる方々が視てくださるものでも
「芸術家」「物を作る人」の魂を持っている、というのはよく言われます。
リブログした先の昔のブログでも言っているかとは思いますが
この(まだまだ)平和で安定した日本で、庶民の女性に生まれながら、好きに創造をする世界で曲がりなりにもやれているのは
最高に幸運であると同時に
前世の、過去世の、そして自分を具体的に出現させてくれた命を連綿とつないでくれたすべてのご先祖様の
「悲願」の実現でもあるのです。
みんな、好きに生きたかった。
みんな、好きなだけ好きなことをしたかった。
みんな、100%の自分になりたかった。
時代背景で全然それができなかった人や志半ばで倒れた人たちの悲願を感じつつ、
その人たちの分も今の幸運に感謝したいと思います。
美味しいものを食べているときはその人たちも一緒に味わっているのを感じつつ
好きなことをできているときはその人たちが嬉しい、嬉しい、と言っているのを一緒に感じつつ
みんなで一緒に生きているのを(よく忘れちゃうけど)感じていようと思います。
なんでこんなこと書き始めちゃったのかな?と思ったんだけれど
今日、母方の一番若い叔母が来て
自身の残された時間や今私が住んでいる家や土地の相続の面倒くささに心が後ろ向きになってしまって
私のことが心配になってしまったんだと思うんですが
「そんな腰が痛くてどうするの??あんたなんか独りだし困るじゃない」
「ボロ屋に変わり者のお婆さんが一人で住んでる、って噂されるようじゃ困るよ」
「あ~あ、今からでも結婚しなきゃだめだよ」
みたいな彼女なりの価値観・「安定=経済的にゆとりのある人との結婚」を根底に置いた発言が相次いだからだろうと思いました。
(あたし57歳なんだよ?いまさらマリハラにあうってすごいよね・さすが57歳でも身の回りで一番若いというポジション)
叔母は私の作家としての成功も喜んでいるし応援もしてくれてるんですが、
自分自身が精神的にぐらついてしまうと不安が怒りや揶揄になって出るうちの母と同じタイプ。
聞いていて嬉しくない言葉もその底にあるものがもう見えてしまうので
まぁその場では流せるのですが
そんなに私の人生、変???
と思ったときに、
上記の何人かの前世をまた思い出してみたりしたのでした。
私は家族の中でもはぐれ者で変、っていうことになってしまっているんですが
私のこの今の人生は私が垣間見たたくさんの前世の自分の悲願なんだものね。
誇りをもって、そしていつも前世の「私」が一緒にいてくれるのを感じながら
さらに進んでいこうと思うのでありますよ。
そして今生、どんな死に方であっても「口角を上げてニッコリ」。
これで大丈夫!!