TVはもちろん、 ツイッターもFaceBookもやっぱりあんまり見過ぎないほうがいいのかもしれないなぁ、と思う。

 

TVは一方方向にしか話を持って行かないからもう論外だし

FaceBookは繋がっている人の志向で流れてくる情報が偏ってくるし

ツイッターもFBより幅が大きくなるだけでやっぱり自分のフォローしている人から流れてくる情報ばかりで、偏っている。

良い例がネトウヨ系の姉とパヨク系の私ではひとつのニュースでも流れてくるツイートの主張が180度反対の事ばかりになるわけで。

 

コロナ関連でも

「これはもう戦争だ」という悲壮な意見とロックダウンした外国の都市の様子の動画も流れてくるし

「コロナはフェイクで闇の勢力を一掃する戦いが始まっていてそのためのロックダウンだからもうすぐ明るい未来が訪れる」という見方とロックダウンした都市の動画もあれもフェイクだ、という意見も流れてくる。

 

この騒動で経済が今まで通りに立ち行かなくなることを

「新しい世の中の仕組みが始まる」と前向きに見る説も

「実はグローバリズムの終焉なんかではなくてもっとたちが悪い搾取が始まる」という悲観的な警告もある。

 

ここまで情報に極端な開きがあると、

 

もしかして(もしかしなくてきっと)

やっぱり

自分が

現実を作ってるんだろうな、

と思う。

 

本当にみんなが自分が映し出したスクリーンの映像に一喜一憂しているんだな、これ。

 

と思うよね。

(ああ、並木良和さんの講演で自分が創りだしたスクリーンに向かって人が体当たりをしたり悲しんだりしているのを天使が不思議そうに見ている、という話の絵面が今ありありと見えちゃった)

 

世の中の人は人それぞれだとは思うけど

自分はここ何年も精神的にも金銭的にも肉体的にもひどく厳しい日々が続いていたので

(今、明日をも知れないドキドキの中に居たりガッカリの中にいる人には本当に申し訳ないんだけれど)

予行練習ができちゃっているのか

妙に落ち着いてしまっている。

奇妙なくらい静か。

 

本当にこれをいい機会としてみんな

本当はどう思っているのか

本当はどうしたいのか

そもそもどうしたいと思って生まれてきたのか

今までの事、これからの事、とその「そもそもどうしたかったのか」は繋がるのか

 

再び青少年の悩み多き青春期のピュアな感じで

自分の本当の本当、について考えられる、というか内省できる時間が持てるといいねぇ。

 

私ももう少し体が整ったら、もう少し具体的なことに発想が届くのかも知れません。

今はもう少し体を整えないと、自分の本音にも届かない感じがする。

 

からだ、大事よ。

(なのにもうこんな時間だ)

 

辛い気持ちの人がいたら、何度も書くけれど「慈悲の瞑想」が効きますよ。

 

慈悲の瞑想