いそがしくしていまして、さすがに全然ブログ書く暇がありませんでした。

 

4月20日に時々ここであんまりノッてない、とカミングアウトしていたダンスの公演に絡んでの展示と物販が終わりました。

展示作品は去年と一昨年作ったものだけれど、「物販」に何を作っていいのか散々悩んで、自作のモチーフの一部を使ったアクセサリーとか

フライヤーに使われた水のイメージの皿とか・さらにもう一種類違う水のイメージの皿とか・そんな感じのものを用意しました。

ダンスを見に来ている人に皿売るっていうのもどうだろう、と私が思ったのが現実を作ったようで、飛ぶようには皿もアクセサリーも売れなかったわけです。

 

でもね。

 

私は解った。

 

私は、ただ子供のように無邪気に楽しくして存在していればいいだけの人だったのでした。

自分はもっと気楽に喜んで楽しんで作って、無邪気にみんなに「いいでしょ、いいでしょ」と言って見せていりゃあいい人だったのでした。

それで万事オッケーになる世界の中に私は生きていた。

 

 

搬入の前日に開けた窯がやっぱり自分ではあまり満足いかなくて、12枚作った皿のうち売りに出せるのは半分の6枚。

思い付きで滑り込みセーフで作ったもう一つのパターンの皿がまぁまぁな上がりなのと先行して送っていたアクセサリー類が意外と数が稼げていたのでなんとか面目は立ったけれど、

窯を開けた瞬間は

「だ~~~~か~~ら~~~なんでもう一週間早く行動できなかったの?」

「こんなん売れねえ、どうすべ?」

と自分責めの嵐が起こり始めたのでした。

 

でも・日頃スピスピ言っている私なので、さすがに踏みとどまってみた。

 

「在り方」だ。

「作品の良し悪しでなくて、クオリティでなくて、『作っている人の在り方』だ」。

時間は細切れ、連続していない。

作品の出来不出来に関わらず、「今」の在り方をまずよくしていこう。

 

しーくんだって「お金は単純に罪悪感のない人に集まる」って言ってる。

 

https://ameblo.jp/jibuncompany/entry-12455162821.html

 

はい、自分責めヤメ。

 

落ち着いて、できたものを受け止めて今できる最善をするよ。

 

「あ”~~~~~~こんなクオリティのもの出しちゃって、しかもイベントに誘ってくれた友人たちは私に『仕事』『チャンス』をくれようとしたのに、私はその気持ちに応えられなかった!

なんでもっと最初からノリノリでやれなかったんだろう、ごめんなさいごめんなさい」

過去の自分に対する責めも始まった。

 

でも。

ロスの世界最高峰のダンススタジオにいきなり行っちゃったさちまるちゃんのやったことを思い出した。

 

https://ameblo.jp/sachitakekoshi/entry-12438544696.html

 

外にとらわれず、「自分のエネルギーを整える」ことだけ、に集中するのだ。

謎の存在しないハイクオリティの自分の作品と現状出てきた作品を比べて無駄に落ち込んだり先回りして謝ってみたり、

何を無駄なことをしているのだ、私は。

 

私はこのイベントの話が来た時に、そんなにやりたくなかった、それはそのときそうだったんだからそれでオッケー。

イベントに食い気味で絡んでイベントのキャラクターをモチーフにした皿やボウルなんて、頭では思いついても体は全然作りたい感じがしなかったんだから、それでオッケー。

頭で「こうあるべきだったんではないか」という架空の自分を妄想して、今のリアルな自分と比べて怒ったり自分を責めたりしてみるのはヤメ。

頭で「こうあるべきだったのでは」なんて考えたって、実際それを考え付いてもその時やりたくなかったんだから、それはもともとできないことだしやらないでいいことだった。

今の自分が選択したルートがそれでオッケー。

「過去」なんて「今」に繋がってないのに「過去」と思い込んでいるものを後悔したって無駄無駄無駄無駄。

「今」の在り方とエネルギーに集中する。

 

こうやって自分を頑張って全肯定してから、その後やるべき作業を粛々と集中してやりました。

本当はこうなら良かったなー、ということは創り手としては永遠に無くならないので、それはもう次への課題として頭から追い出して、今この作品を仕上げるためにできることを一生懸命した。

 

そうしたら、作品が最初思ったより悪くないというのに気がついたし、

さらに、予定していた半分の数しか出せないのも実は十分な数があるのにも気がついた。

気がついて自分の作品を見直したころには、朝が来て鳥が鳴いていたけど。

 

2時間くらい寝て、車で海っぱたの方の公共施設に出かけるときに、自分がいつもの搬入の時よりわりあい元気でおちついているのに気がついた。

会場に行くまで高速の出口を間違ったり、施設の搬入口がわからなくて何周も施設の周りをまわったりしたけれど、それでもいつもに比べて元気だし落ち着いている。

なぜならそれは私が私を絶対責めたり急かしたりしなくなったから、だと思う。

 

会場に着いたら、高校時代のクラスメートの女性たちがずらっと待機していて

(イベントの運営のお手伝いに駆り出されていたのです)

丁度イベントの方の手伝いは収まっていた時だったので大挙して作品の搬入や設営を手伝ってくださる。

みんな有能・優秀な上に母の深い愛を兼ね備えた人たちなのでそれはそれは気がよくつくし優しいし、素晴らしいお手伝いをしてくだいました。

物販でお世話になっている会社のスタッフさんも痒い所に手が届く以上に痒いと思う前に掻いてくれてる、みたいな働きをしてくださってありがたいことこの上ない。

 

なにこの綿毛でくるまれたみたいな世界は。(笑)

 

物販のブースを観たら想像よりずっと小さかったしレイアウトを上手にしてくださっていたので、持っていった作品の量でまったく大丈夫だったし

私が自分で「こんなもんかな」とつけようとした値段の倍から3倍くらいの値段で売るのが適正、とみんなに説得されて値段も上げた。

(私は自分で作っているので色々マヒしているらしく、値段の付け方は他人様の意見を聞く方が正しいのが今回本当によく解った。)

 

作品の展示をして物販向けの作品を物販ブースに託したら、後は私は「作家さんして魅力を振りまいている」のがお仕事となる。

 

物販はそうそう売れたわけではなかったけれど(公演の前と休憩時間20分で売ろうというのが無理があるっていえば無理だし)

土壇場で身内が「売れたらいいなぁ~」と思って持って行った小品を一個お買いあげ下さって首が繋がって・

物販の作品に関しても自分がいかに自分の作品について架空の究極の一枚と比べて辛い点を付けていたのか、よーくわかり

高校同期の素晴らしい女性たちにすごく親切にして尊重してもらって、

自分ってそれだけ大切にされてちゃんと愛される存在なんだなぁ、とよーくわかりました。

 

色々この何か月か沼の底を這いずり回るような気分だったのはいったい何だったんだろう、

あれは誰だったのだろう、

というくらい居る世界が別な感じがしましたよ。

 

まさに4月19日まで生きていた世界から死んで生まれ変わったとか、シフトして違う良い世界に行ったとか、そんな感じ。

 

そんな風に感じていたら、4月21日はイースターで、という天寿さんの記事がタイムリーだった。

はい、私はリボーンしました。

ちゃんと自分のエネルギーに気を付けたから、たぶん違う次元の世界にシフトできたんだ・と思うよ。