(前回記事への補足)
つまり、普遍文法や言語文法、言語、言葉に道徳が含まれているように感じるのは、原「私」の反証によって文法や言葉を変化させ、道徳を含ませてきたからだ。普遍文法や文法や言葉の根源的本質は最適化と合理性であって、道徳が起源ではないし、むしろ反道徳である。
ここで錯覚が生じる。現代の文法(その本質から変化してきた文法)には道徳が含まれているので、文法や言葉は、その全てが道徳かもしれないと考える錯覚だ。この錯覚はAIが持つかもしれない。これは汎化の法則だ。
言葉には、原「私」のイレギュラー性と、無意識の最適化原理との対立の痕跡が現れているのであって、一様な性質ではない。不完全証明の指向性(原「私」)と、完全証明の指向性(無意識)の対立構造、または道徳(原「私」)と反道徳(無意識)の対立構造とも言い換えられる。