三連休は酒三昧で愉しみました・・・まず祝日の金曜日は、牡蠣のフルコースツアー第二弾! 出発1時間前に駅ビルのアサバで横チン・平賀ちゃん・二郎先生と軽く?一杯(しかし、四人とも前の晩は遅くまで仕事だったはず)10時半、11人全員集合にていざ松島へ 松島からは阿部さんの送迎バスで奥松島の民宿まで これ以降の酒宴は語ると原稿用紙10枚になるので省略 夕方仙台へ無事に戻り、二泊三日で沖縄からやってくる勉ちゃんの御友達を歓迎するためにお店へ 悪天候で飛行機の到着が遅れてる間に、一休みした仲間たちもお店へ駆けつけてくれた なんと二郎先生は、仙台の食材を使っての酒のアテ御重を、藤本先生は旨い亘理のイチゴの差し入れを(ところがよくみたら長崎産だった) お返しに彼らのひとり、ボサノバギタリストの西川さんが美しい演奏を奏でてくれて、南国の空気がしばし漂うけれど、外は雪 時はすでに真夜中 我々はすでに15時間も呑み続けているじゃないですか・・・そこへエレキギターとアンプを抱えた津志田さんが何故か飛び入り?ギターを習い始めて三か月の成果を聴いて欲しいとのこと 残ったのは田上さんとみっちゃん お二人ともわが子の学芸会を見守る母のように・・・その出来は以下省略(笑) 翌日昼 マカンに集合したのは、元気いっぱいの横チンと二郎先生と佐々木くん アジア料理とワインで景気づけ(意味はないけど)した後、仙台ミツバチプロジェクト設立記念講演へ(ゆみちゃん遅れてごめんなさぁい)沖縄の方々は初めての雪の松島へ そして昨日は、母の体調も良くなり叔母のホームを慰問してから近くの焼肉屋で、もう死にそうなくらい焼肉食べてマッコリ呑んで、ふぅ、夜は動けず 寝床で読んだ甲野善紀さんの書に、「年を重ねて飄逸になるってすてきなこと」とあって、その「飄逸」とは? 世俗のわずらわしさを気にしないでのびのびしている、呑気な様子のことだそうな まさしく飄逸なお休みでした

追伸  沖縄の西川さんからお礼のメールです「この度はおもいがけずの大歓待、本当に本当にありがとうございました 仙台の方々のやさしさに触れ、みな口々にこころに残る旅だったと申しております 沖縄にいらした際は是非ご一報ください 嬉しくて急ぎお礼まで・・・」     

  

大河ドラマ「お江」をご覧になっていますか?アメリカの「24」や韓国の「チャングム」はそれなりに感動を与えてくれたが、水戸黄門にほっとするように、やはり私は日本人なんだ! はじめから主人公、上野樹里ちゃんの演技が未熟でがっくりきてても、毎回 戦国時代への時間旅行を愉しませてもらっている もし、織田信長が生き延びていたのなら歴史はどう変わったのだろう~ そんなことを妄想しながら観るのがまた面白い 弱気を助け、強気をくじく、自分の命を投げ出してでも助けなければならない人を助けるという、絆で結ばれた人間関係があった時代 いつの世も愛しい方とのお別れは身を裂かれるようなおもいである・・・ 執筆を手がけた田淵さんのブログに「今回こだわった役のひとつが織田信長 どうしても、と願ったのが豊川悦司さん」とあった でも豊川さん、「大河は断る」ので有名な方で、今回も即座にNOのお返事が入ったが、あきらめずに押して押して押しまくり豊川さんを落したらしい 押して落とせるなら私も押してみたい(笑)そして、豊川さんの出演は決まり、前回は、それは見事な本能寺での最期を演じてくれた 素敵だったぁ 

昨晩遅く、平野くんの仲間が揃って、3年後に計画しているというホノルルマラソンへの熱き思いを伺う その中のおひとり、山本さんはもうすでに早朝のトレーニングを始めているという 大切なのは毎日実行すること 辛くても毎日続けてそれが習慣となった途端辛さを感じない むしろ苦しいどころか休むと気持ちが悪い・・・わかる、わかる、晩酌みたいなもんかな? ホノルルマラソンといえば、昔 ジンリッキーをこよなく愛し、仲間のみんなから「リーダー」と慕われてた松尾さんを思い出す 彼もまたホノルルマラソンを目標とし、半年前から煙草を止めトレーニングを始め(酒はやめなかったが)そして無事に完走を果たしたひとり やってみなよ、人生観が180度変わるからさ、そう得意げに語った一年後に、彼は肺がんでこの世を去った そういえば、来月17日は松尾さんの命日である 彼の座右の銘は、「理想を持ち信念に生きよ」 そう、織田信長の言葉である  

家に御礼状が届いていた 昨年担当させてもらった受講生からである この私もときに有頂天になってはいまいか 昨日のブログでご質問があったので補足させていただくと有頂天とは禅語のひとつ「なにかに没頭して思わず我を忘れているからこそ有頂天になる だからそれは長くは続かず、あくまでも一時的な喜びにすぎない」そして、忙しさを理由に大切な方へのお礼を欠いてはいないだろうか・・・ 朝から、粉雪 やわらかいうちに向こう三軒両隣の雪搔きを終えて、冷たくなった手を温めながら書棚から向田邦子の「父の詫び状」を手に取る 読むというよりもう何十回も読んでいるので、温かな手に触れるような、安まる本のひとつである あんなにも手を繋ぎたがってたモンスターがこのところひとり歩き始めてそれも大変という娘の電話に昔をおもふ 幼いころの貴女もそうでしたよ そしてこの私も、よく父と手を繋いだと記憶する 父の最期のときに握りしめた手は、まだ温かかった ひとの手の温もりというのは、ずっと抱えていた不安な何かを拭い去る不思議な力を持っている・・・そんなことを感じ「おとうさんの手」という題で作文に認めたこともあった 遠い昔のことである 昨晩の小野さんの話 彼は小学校5年生の時に両親を亡くし親戚のおばさんに育てられたそうな 寂しいときは歌が救ってくれた 中学で合唱部に入る 高音の持ち主だった彼はコンクールの独唱に選ばれたがどうしても歌えない歌があった それは課題曲「白いカーネーション」 亡くなった母を慕う歌詞が歌えない それから何十年も歌を避けて生きてきた 転機は結婚し3人の子供たちに童謡を歌ってあげたときのこと 自分には歌が大切だったと、そしてこの年齢になって漸く気持ちの整理がついたのだと気づく それまでずっと仕舞っておいてた「白いカーネーション」を小声で口づさんでくれた 隣でじっと黙していた津志田さん わたしも初めてオリジナルCDを作ってみたんです~と徐に出してきたのは、娘さんが大好きな「平井堅」 アンディも、昔よく聴いたという古内東子のファーストアルバムを流してくれたり・・・素敵な夜だった 書も音楽も、そして美しい景色もみな その美しさに遠い記憶を辿り、映しだした自分のこころに酔うのだろう 誰しも何かを抱えて生きているから 挫けそうな時にそっと救ってくれる思い出に、いつしか御礼状を認めたいものである