世の中はお盆休み。郊外のお寺の近くや高速の入り口では車の渋滞が見られたが、街の中心を渦巻いてる「時間」がどこかしらゆったりとしてるのが、いい。同じようにしんとしたお店の中で、お酒の整理を。ボトル其々に歴史がある。とそこへ、帰省した友人がお土産片手に現れる。この時期だけは、現実から離れて、亡き友や父を語り、遠い昔を振り返って懐かしんでもいいだろう。そして今週は頑張って営業したけど、毎日お店を早く閉めて夜の街へとルンルン。久しぶりに色々なお店に立ち寄り、沢山食べて沢山呑んだ。そしていろいろ語り合い、笑った。私も含め、一人身軽に店を構えている仲間達には、これが夏祭りみたいなもん…と思うけど。お付き合い頂き有り難うございました。同じ頃、二郎先生は新潟辺りを闊歩してるはず。と思っていたら、昨晩お帰りになった。ご無事で何より。
先日の内田先生のブログより。「ネット上で一番難しいことの一つに謝罪がある。この度は不祥事を起こしまして、関係各位に対してお詫び申し上げます…という定型的な謝罪というのはあるが、個人的な失言とか、事実誤認に対して個人が固有名において深謝することはまずない。謝るのって、その場に身体がないと難しい。ネットのコミュニケーションには身体性が伴わないから、共感を作り上げるのはむずかしい。人間の感情って、アナログな連続体ですからね。」納得。謝罪をメールでなんて、言語道断。情報の横流しはできても、感情のバイブレーションを伝えることはできないんだから。生まれてやっと一ヶ月のモンスターは、まだ、言葉を発せないけど、毎日、母となった娘と暇なく見つめあって、触れ合って信頼を築き上げていく。大人になって、ひとり旅が愉しいのは帰る場所があるから。待っているひとがいるから。
雨宿り、クーラーの効いたマカンでやっと読み終えた時代小説、薄桜記の中の一説に目が留まる。「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず、不自由を常と思へば不足なし、こころに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし、堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる、おのれを責めて、人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりもまされり」家康の名言らしい。こんな風に生き抜いてみたいけど、暑さに耐えられず昼から生を何杯も注文してるようじゃ、無理だわさ。明日も、ワインの会。
外国では日本にはない習慣として、ヘビーな食事の後には、食後酒を勧められることがあります。
たとえば、イタリア語では、食前に楽しむ「アペリティーヴォ」に対して、それは「ディジェスティーヴォ」と呼ばれ、消化を助けるお酒、というわけ。まずは、二郎先生も好まれるグラッパでしょうかね。最近では、エスプレッソにグラッパのキスを…パリジェンヌの間で密かに流行っている食後の一杯とか。他、サンブーカ、アマーロ、リモンチェッロ等、街にお洒落な酒が溢れるのは、とっても嬉しいことです。深夜、お店に訪れる方々のオーダーで一番は、「飲み過ぎに何か?」次に「心を癒すお酒を…」飲み過ぎ食べ過ぎ二日酔いなら、何と言っても、ウンダーベルグの右に出るものはないでしょう。胃の消化に一番効く ドイツの有名な薬草酒で、1846年にウンダーベルク家によって創製され、本国ドイツでは1日に100万本が消費されているとか。味は、ソルマック。でも、粋な大人がはまりそうな苦味。いろいろネットで調べていたら、日本にウンダーベルグ普及委員会という怪しい団体を発見。世の中ですね。私のような酒に拘る変人がいるんですね。そして、あったらいいなぁ、心に効くお酒…は。それは、素敵な仲間との会話があれば、正直どんなお酒でも効くような気が致します。先日、ランさんの会話にもあったけど、霊長類で人間だけが人生を愉しむ事ができるのだと。ただ、高価なお酒を前にしても、ちまちまメールやゲームをしながら呑むのはいただけませんが、最近はそんな光景を目にすることがあります。アナログ世代としては残念ですが。モンスターが大人になったら、真っ先に人生を愉しむためのお酒の飲み方を教えてあげましょう。生きてれば。
ということで、この私は、今週は早締めして仲間のお店でワイン&サッカー観戦に酔いました。お陰で、ちと睡眠不足ではありますが、人並みにオリンピックを愉しむことができました。物事はシンプルなのがいい。好きか嫌いか。勝つか負けるか。そして気がつくと、あっという間に七夕祭りは終わってて、お盆休みへ。久しぶりに父が帰省してきます。さて、旨い日本酒でも仕入れておくことにしましょうか。酒を交わしながら、この一年の出来事をゆっくり聞いてもらうとしましょう。
先日のNHKテレビ「旅のチカラ」という番組で、糸井さんがアラン諸島を訪れていた。震災復興のために気仙沼で編み物産業を育成している糸井さんであるが、そのヒントを求めての旅とあって、興味深く観た。アラン諸島は石灰岩でできていて、土壌が薄いために耕作はほとんどできない土地だ。掘っても掘っても、岩しか出てこない。住民たちは、その掘り出した岩を丹念に風よけに積み上げて、耕作地や放牧地を造成していった。その景色は、言葉は悪いが瓦礫のようだと。しかし、その島で、人々は生き抜く知恵を見出す。その一つがかの有名な「アランセーター」である。番組ではこの「編みもの」を通して、これからの時代の「幸せ」を見つけるというテーマと向き合う。このフィッシャーマンズセーターは柄のぶん分厚くなるので暖かい。柄にも様々な意味があって、絡み合ってる柄は家族を表す、はじご柄は天国へ行くはしご、漁師網の模様の中には豊漁を表す柄、等々。1枚編むのに200時間かかるものも。しかし、現在ではここアラン諸島でさえニッターは現在6人しかいないらしい。化繊が登場し、流行遅れ、時間がかかるなどその理由であるが、何処か寂しい感じは拭えない。モノのやりとりとか、金のやりとりではない、ひとの思いのやりとりが希薄になりつつあるのは、ここ日本だけではないようだ。
私は、編み物は得意な方じゃなくて、真っ直ぐに編むマフラーは突然何かに取り憑かれたように思い立ったように編んだりしたけど(笑)振り返ると、晩年、家に閉じこもりがちになった、編み物が大好きな叔母ちゃんを元気づけるために、休日に足を運んで難しいセーターを教えてもらい、たった一度だけ子供のためにセーター編みに挑戦したことがあった。子供の好きなウルトラマンの模様がなかなかうまく仕上がらずに、何度も何度も網目をほどきながら、約一ヶ月を要した。にもかかわらず、子供は成長が早いので、二歳の冬に数回腕をとおしただけ、綻ぶことなくそのセーターは今ではタンスの奥に寝ている。時に断捨離をしても、なぜか、ひと編みひと編みの思いが染み込んでいるこのセーターを捨てられずにいる。そのセーターを手に取る時、今は亡き叔母ちゃんとの愉しい会話が蘇り、懐かしむ。
確か「アラン島」という本を読んだことがあったけど、作者を忘れた。アラン島にはたった一つの蒸溜所がある。創業者のハロルド・カリー氏は、長年ウィスキー業界に精通していて、自分の蒸溜所を持ちたいという夢をかなえるため、この地に蒸溜所を建設した。アランウィスキーを一口嗜む。喉に残る微かなピート香に、自然の厳しさと、そこに生きる人びとの慟哭が込められているように感じた。 私ができることは、こうしたお酒の文化や楽しみ方を伝えることだろうか。会話を通じて、素敵な人間の繋がりを日々編んでいけたらいいなと、昨晩は夜空に輝く星たちにちらっと願ってみた。来週は七夕祭りである。