私は予言者ではないが、前回のブログの直後に、我々のお仲間である某先生が、ノロウイルスの攻撃を受けた。年末の忙しいさなか約一週間の拘束はお辛かったでしょうに。きっと、神様か仏様が、もう少し娑婆世界で遊び回れるようにと、暫しの休息を彼にお与えになったのでしょう。その間、私も休肝日にというわけにはいかず、日々朝帰りが続きヘロヘロ。この一年を振り返ると、毎日がイブみたいなもんだったけど、それでもイブの晩は、かなり前に予約したお陰で、いな穂のセリ鍋を前にお祝い?をすることができた。ヘルニアで始まりヘルニアで終わったこの一年、健康に感謝。翌クリスマスには、なぜか暖かな国から寒い国へ遊びにやってきた田辺氏を囲んで、某先生の快気祝いも兼ねて、昼集まれる仲間で呑み会を。久しぶりの蕎麦屋鷹の羽、ここの居酒屋メニューは健在なり。今夜は娘がママ友達との忘年会でやってくる。明日は東京から佐々木君も帰省してくる。年末ギリギリまで、こんな愉しい宴会が続いて、酒気帯びで年を越すんだ、きっと。

先日のイトイ新聞にあった一言が残る。あるトップセールスマンに営業の極意を尋ねたら、その答えは「そこにいる」ことだという。どんなときでも、そこにいること。これって簡単なようで難しい。このところ、母の部屋から聞こえてくる話し声。いったい誰と?そのお相手は父であった。漸く母は過去の美しき記憶の中に、日々の愉しみを見出して、前に進もうとしているのだろう。母の側には、亡き父が永遠にいるのである。愛する人を失い、こころ傷つくとき、ただ側に寄り添うことしかできなかったが、何よりもそれが有難かったという、あの震災から二年目の新春を間もなく迎える。来年は、愛する人たちの側にいつもいる、そんな自分になろう。今年の終わりにそんなことを思いました。
今年もお世話になりました。来年もまた、よろしくお願いします。
社会科の教科書にも載っていたタイトルの言葉を直訳すると、「世界規模でものを考え、身近な地域で活動しなさい。」これは、福岡伸一さんの先生の先生にあたる人、フランスの生物学者ルネ・デュポス氏の残した有名な標語である。彼は、微生物であるウィルスの研究の後、あの抗生物質を発明したのだが、早々にこの分野から手を引いた。なぜか。生命のあり方は、常に周りの環境によって変わりうる。ある抗生物質を使用すると一時、微生物は抑圧される。しかし、そのような環境が微生物に新たな適応を促し、抗生物質を無力化する反応、いわゆる耐性菌が出現する。そこで、また新たな抗生物質が…というイタチごっこが彼には見えていたからだと福岡さん。そもそも、ウィルスとは何か?生物を、遺伝子を持ち自己複製できるもの、と定義するならば、奴らはまごうことなく生命体ということになる。そして、その生命体は、なんと我々のゲノムの一部だったことが最近わかったのである。
毎日テレビのニュースと睨めっこしている母が、「この冬、ノロウイルスが増殖してるんだって。過去10年間で最も流行した2006年に次ぐ勢いらしいよ。感染予防が大事だって。」と、手洗いを朝から強要する。手を洗いながら、ふと、先日傍聴席から見えた被告人の女性の横顔が浮かんだ。実は、お客様で精神科のドクターから、ある裁判の証言台に立つので見学しませんか、とのお誘いに二郎先生と連れ立っていそいそと出掛けたのである。初めての傍聴に身が引き締まる。冒頭、彼女の不幸な生い立ちが述べられプライバシーが露わになる。確かに、幼い頃の環境やその後の人間関係が不幸を招き、夢や希望が持てないこともあるやもしれない。しかし、そこで薬物に手を出し放火を犯すというのは、やはり本人の弱さゆえ。何の罪もない6歳の一人息子までもが犠牲になった。ウィルスに侵入されない強い意志があれば、ウィルスの増殖を防ぐ支えてくれる友がいれば…ドクターは、彼女の犯行時の精神状態に付いて、弁護人や検察官から質問攻めに遭っている。彼女のその後の人生がかかっているというのに、何度も休憩が入り、その度に手錠を掛けられ入退場する被告人に表情はない。稚拙な演劇を観ているような、いや、裁判というものがあまりにも事務的だったのが印象的だったのと、傍聴席には彼女のご家族らしき方は見当たらなかったのがどこか気になった。我々の人生も関係性に尽きる。人生そのものが動的平衡ではないか。
ここでまた戻るが、ノロウイルスは発症すると熱が出て吐き気や下痢などを起こし、脱水症状になり命を落とすこともある。モンスターは、日々の手洗いをきっちり行うように。
武田からクリスマスプレゼント?に頂いた薬草カラー大図鑑、朝からぼーっと眺める暇な時間が心地よい。625種!知らない薬草が沢山。東洋医学の病理概念の中に「未病」という言葉よく出てくる。病気と言うほどではないけれど、病気に向かいつつある状態のことで、たとえば、手足の冷えや体の疲れ、胃腸の不調とか。健康診断で異常がなくても、そうした自覚症状がある場合は、未病の状態である可能性がある。亡くなったばあちゃんは、漢方の知識はなかったと思うけど、体調がすぐれない時にはビワの葉酒やマタタビ酒が効くって、周りの大人達に手作りの薬草酒を自慢してて、隠してた場所も知ってて。子供心に興味を抱き、親の目を盗んでこっそり試飲したものである。それが、私と薬酒との出会いである。成長期になると、母から臭~いツムラの中将湯をよく飲まされた。今もあるんだろうか…図鑑の中に、そんなセピア色の昔の光景が浮かんでくるようだ。大人になって、薬酒のバーを開業するなど、夢にも思わなかったあの頃の自分が。
処変わり、西洋の場合も同様に薬酒の歴史は古く、ローマ時代の有名な医者であり薬草学者であったディオスコリデスが残した「薬物誌」には57種類の薬酒が記載されている。しかし、盛んになったのは中世になってからで、当時流行していた錬金術の手法を薬酒造りに応用して、強壮剤や不老不死薬を造り出そうと多くの試みがなされ、いまの薬草リキュールが誕生したのである。中でも、シャルトリューズ寺院で造られているシャルトリューズは、マリーアントワネットも愛飲したという、私の大好きな薬酒のひとつ。日本の養命酒と違って、味がお洒落である。当時の修道院では優れた酒を造り出すことが誇りだった。因みに、このシャルトリューズ、130種の薬草から造られるが現在でも修道士三人のみが知る秘伝となっている。薬酒はいわゆる予防医学でもあるが、健康でおいしい生活ができるように…そうした思いが込められているように感じる。時は流れ、ここ日本にて、10年ほど前、グレリンという食欲促進ホルモンが発見された。このホルモンにより、空腹を脳に指令しおいしくいただけるというわけ。先週末食べたホルモンとは全く別のものだけど…
蛇足だが、冬は鍋の季節。発汗作用のあるキムチ鍋。仙台を代表するセリ鍋。セリは春の七草の筆頭にあげられるが、冬が旬の野菜。中国では強力に精がつく食材として珍重。日本のことわざに、「厄年にセリを食うな」というのがあるが、これは、セリを食べるとあまりにも精がつくために、かえって無理をしてしまうことを昔の人は知っていて、食べすぎを戒めたもの。セリの根っこの洗い方を友ちゃんに尋ねたら、なんとなんと、一晩中水に浸けて歯ブラシで念入りに泥を落とすとか。う~ん、セリ鍋は名掛丁の「いな穂」でいただきましょうね。以上、薬草のお話でした。