社会科の教科書にも載っていたタイトルの言葉を直訳すると、「世界規模でものを考え、身近な地域で活動しなさい。」これは、福岡伸一さんの先生の先生にあたる人、フランスの生物学者ルネ・デュポス氏の残した有名な標語である。彼は、微生物であるウィルスの研究の後、あの抗生物質を発明したのだが、早々にこの分野から手を引いた。なぜか。生命のあり方は、常に周りの環境によって変わりうる。ある抗生物質を使用すると一時、微生物は抑圧される。しかし、そのような環境が微生物に新たな適応を促し、抗生物質を無力化する反応、いわゆる耐性菌が出現する。そこで、また新たな抗生物質が…というイタチごっこが彼には見えていたからだと福岡さん。そもそも、ウィルスとは何か?生物を、遺伝子を持ち自己複製できるもの、と定義するならば、奴らはまごうことなく生命体ということになる。そして、その生命体は、なんと我々のゲノムの一部だったことが最近わかったのである。
毎日テレビのニュースと睨めっこしている母が、「この冬、ノロウイルスが増殖してるんだって。過去10年間で最も流行した2006年に次ぐ勢いらしいよ。感染予防が大事だって。」と、手洗いを朝から強要する。手を洗いながら、ふと、先日傍聴席から見えた被告人の女性の横顔が浮かんだ。実は、お客様で精神科のドクターから、ある裁判の証言台に立つので見学しませんか、とのお誘いに二郎先生と連れ立っていそいそと出掛けたのである。初めての傍聴に身が引き締まる。冒頭、彼女の不幸な生い立ちが述べられプライバシーが露わになる。確かに、幼い頃の環境やその後の人間関係が不幸を招き、夢や希望が持てないこともあるやもしれない。しかし、そこで薬物に手を出し放火を犯すというのは、やはり本人の弱さゆえ。何の罪もない6歳の一人息子までもが犠牲になった。ウィルスに侵入されない強い意志があれば、ウィルスの増殖を防ぐ支えてくれる友がいれば…ドクターは、彼女の犯行時の精神状態に付いて、弁護人や検察官から質問攻めに遭っている。彼女のその後の人生がかかっているというのに、何度も休憩が入り、その度に手錠を掛けられ入退場する被告人に表情はない。稚拙な演劇を観ているような、いや、裁判というものがあまりにも事務的だったのが印象的だったのと、傍聴席には彼女のご家族らしき方は見当たらなかったのがどこか気になった。我々の人生も関係性に尽きる。人生そのものが動的平衡ではないか。
ここでまた戻るが、ノロウイルスは発症すると熱が出て吐き気や下痢などを起こし、脱水症状になり命を落とすこともある。モンスターは、日々の手洗いをきっちり行うように。