土曜日の朝は「あまちゃん」の録画を観る。震災前、何度か乗った三陸鉄道を懐かしんでいると「あんな可愛い海女さんがいるわけないじゃん!」と、横から母の駄目出し(ドラマですから、母さん)。毎日捲る、相田みつをのカレンダーに向かって「このひとはこんな文字しか書けないのかね~」(この肉筆がいいのですから、母さん)。朝から毒を吐かないと、彼女は体調を崩すらしいから仕方が無い。もう私は慣れたが…言葉は言霊。毒を浴びせられると気が滅入る。今日のカレンダーの名言は、あんなにせわしてやったのに『のに』がつくとぐちが出る by 相田みつを。わざと大声で読んであげたけど、母は、知らんぷり(笑)。都合の悪いことは、聞こえないみたい。
そんな母でも、偶に名言を吐く。モンスターの寝返りに手を貸そうとした時、阻止された。いつかは必ず寝返りができるようになるのだから、子育ては見守ることの方が大事だと。庭の藤棚を作るように指令を受け、伸びてきたつるを巻つけようとした時も、阻止された。自分で勝手に好きなとこに巻きつくのだから、意味ないよ。それでも私は無視したのだが、翌日彼女の言うとおりになった。なんということか、藤のつるは一晩のうちに全く別のポールへ巻きついていた。植物でさえ、自分の力で生き抜く。世の中、何でもやってあげることが、いいことじゃない。
昼、新緑の中、友達から紹介された東照宮の、知る人ぞ知るお蕎麦やへ。先日、雨の中まずは一人で訪問した。友達の友達が常連らしく、その方のお名前を告げるように言われたのだが、なんと、そのご本人がランチを食べてらして、意気投合。今日は、その方と再度ランチ&酒の約束を取り交わしたのである。私は旧友の吉田さんを誘って。その時の出逢いが、人生を根底から変えることがある、よき出逢いを …そう、相田みつをも言ってましたかね。このお店を紹介してくれた友達はピアノの先生。ここの常連のお友達はマリンバの先生。そして、誘った友達はCADの先生。私も、ちょっぴりパソコンの先生。運命論者の私が思うに、この出会いは必然!まぁ、母に吐かせれば「先生と言われるほどの馬鹿じゃなし。」世の中の先生方、ごめんなさぁい。四人とも、結局ただの飲兵衛。最後にマリンバの生演奏を聴けて、最高の昼呑みでした。
私が小学校の頃、学校の勉強以外の情報といえば、学研から発売されていた科学と学習だった。お金持ちの子供はどちらも注文してたが、まぁそれはどうでもよくて、私は「科学」の付録が欲しくって、毎月の発売日が待ち遠しかったことを今でも思い出す。インターネットの到来や、少子化といった時代の流れと共に、それはいつしか休刊となったそうだが、2000年に姿を変え大人向けとして創刊された科学系雑誌がこの「大人の科学」なのである。昔、付録で遊んだ私のような年代の大人たちをターゲットにしたのは流石。初めの衝動買いは、VOL.9 。なぜ人は星空を美しいと感じるのか、というサブタイトルに惹かれ、対談に茂木健一郎さんの名前を発見したから。その付録のプラネタリウムは、メガスターでおなじみの大平貴之氏監修のもと、ピンホール式としては画期的な、約7等星まで1万個以上の星を投影するという。ほんまかいな?店はそっちのけで寡黙に作成する自分は、小学校時代と全く変わっていない。完成したプラネタリウム、お店を真っ暗にしてスターダストをBGMに投影したが、それは美しかった。その後、顕微鏡やラジオなどを作成したけど、地震で見事に壊れちゃった。結局、作る工程が楽しいのかもしれない。先日、買いそびれた投影式万華鏡を、偶然Amazonでみっけて購入。万華鏡は今から190年ほど前、イギリスの科学者、デヴィット・ブリュースターによって偶然に発明された。江戸末期を舞台にした映画で、花魁が万華鏡を覗いている場面に遭遇したことがあったが、たぶんその頃日本にも伝来したのだろう。日曜日、子供に還って、しかし悲しいかな老眼鏡を片手にやっとの思いで作成し、中のビーズをいろいろ変えてひとり鑑賞、いや感傷に浸った。傍でその様子を見てた母は、半ば呆れていたけど…なにせ、手動なんで。中のガラス玉を一つ入れ替えただけでも、映像は変わる。まるで、自分を取り巻く周りの人間関係のようである。そして、回転するから美しい。生きるということは、変わっていくこと。どこかもの悲しい光に、人生の寂を重ねた。
昨日は麻雀の日。前の夜に、王将の餃子をモリモリ食べて試合に臨んだが(笑)始めの組(12組5回戦)で凄い手が出た。もちろん私ではないですよ。大三元にドラ5と親とリーチが付いて…バンバンバン、一生に一度の役だとみんなが興奮してた。60人の高齢者がドーパミン解放状態って、恐ろしい光景である。そういえば、数年前の正月麻雀で、亡きアンディが国士無双の13面待ち、後輩武田が尊敬する先輩へお年玉を振り込んだことがあった。今となっては笑える話ではなくなったが、麻雀の仲間内では寿命が縮まるといって、そのような役を時に敬遠さえもする。思うに、生涯で一度出るかどうかの凄い役を夢見て打っているのがいいのだ。あそこでリーチしときゃよかった、あと一手で上がれれば役満だったなどと、最後にお互いの手を見せあって誉め称えたり慰めたりと、その場の空気を4人で分かち合うことに意味があるように思う。それはまるで人生と同じじゃあ~りませんか。パソコンの訪問講習も同じことが言えるかもしれない。独学で学ぶ気なら何でもできるネットの世界。茂木さんも、大学の講義さえも動画発信されているから大学進学しなくとも学ぶことはできると話されてた。しかし、共にそこに居合わせることが大切なのである。目的は上達することであるが、実はそのことよりも共にパソコンに触れ合うことが、楽しみにつながっていくのだ。楽しい時に脳は威力を発揮する。そして、人間は会話をする動物である。講習時間の半分、世間話をしているおばさまもいるんだから。私は構わないけど(笑)
その昔、おいしい生活という言葉が流行した。生まれたてのモンスターが、満腹な時一番ご機嫌なように、食いしん坊で飲兵衛の私は、人生究極の楽しみは「食」であると信じている。グルメな旅には興味がなかったが、安ワインを持参して、眺めのいい公園で気持ちのいい風に吹かれながら、好きな輩とあれこれ会話しながら食するようなおいしさに嵌った。食こそ会話は不可欠。美味い食も酒も誰と頂くか、である。とはいえ、物事には終わりがあって、いつかは独りになる。いま、独りとなった母から学ぶこと。自分の身体は確実に衰えてくるし、世の中もどんどん変わるし、金や物もいつかは意味を無さなくなる。でも、最愛なる亡き父との思い出(父と歩んだ60年、二人で飲み歩いた数々の思い出を振り返っていつも会話してる)だけは決して薄れることはなく、今の彼女を支え続けていることは確かである。酒は愛です…吉田類さんの言葉のように。