私が小学校の頃、学校の勉強以外の情報といえば、学研から発売されていた科学と学習だった。お金持ちの子供はどちらも注文してたが、まぁそれはどうでもよくて、私は「科学」の付録が欲しくって、毎月の発売日が待ち遠しかったことを今でも思い出す。インターネットの到来や、少子化といった時代の流れと共に、それはいつしか休刊となったそうだが、2000年に姿を変え大人向けとして創刊された科学系雑誌がこの「大人の科学」なのである。昔、付録で遊んだ私のような年代の大人たちをターゲットにしたのは流石。初めの衝動買いは、VOL.9 。なぜ人は星空を美しいと感じるのか、というサブタイトルに惹かれ、対談に茂木健一郎さんの名前を発見したから。その付録のプラネタリウムは、メガスターでおなじみの大平貴之氏監修のもと、ピンホール式としては画期的な、約7等星まで1万個以上の星を投影するという。ほんまかいな?店はそっちのけで寡黙に作成する自分は、小学校時代と全く変わっていない。完成したプラネタリウム、お店を真っ暗にしてスターダストをBGMに投影したが、それは美しかった。その後、顕微鏡やラジオなどを作成したけど、地震で見事に壊れちゃった。結局、作る工程が楽しいのかもしれない。先日、買いそびれた投影式万華鏡を、偶然Amazonでみっけて購入。万華鏡は今から190年ほど前、イギリスの科学者、デヴィット・ブリュースターによって偶然に発明された。江戸末期を舞台にした映画で、花魁が万華鏡を覗いている場面に遭遇したことがあったが、たぶんその頃日本にも伝来したのだろう。日曜日、子供に還って、しかし悲しいかな老眼鏡を片手にやっとの思いで作成し、中のビーズをいろいろ変えてひとり鑑賞、いや感傷に浸った。傍でその様子を見てた母は、半ば呆れていたけど…なにせ、手動なんで。中のガラス玉を一つ入れ替えただけでも、映像は変わる。まるで、自分を取り巻く周りの人間関係のようである。そして、回転するから美しい。生きるということは、変わっていくこと。どこかもの悲しい光に、人生の寂を重ねた。