新型コロナウイルスが猛威を振るった2019~21年に、世界の平均寿命(出生時平均余命)が約2年短くなったという調査結果があります。

 

 

 

 

しかし、「平均寿命」という概念は多くの誤解を生みやすく、正確な理解が難しい言葉の一つです。この記事では「出生時平均余命」という表現が使われていますが、この「平均余命」もまた、しばしば誤解されがちです。

 

まず、「平均寿命」が短くなったというと、2019~21年に生まれた子どもたちの寿命が実際に2年短くなると考えるかもしれませんが、これは正確ではありません。出生時平均余命とは、特定の年に生まれた子どもが、その年の死亡率が一生変わらないと仮定した場合の平均寿命を示しています。したがって、この統計はその年の死亡率を反映しており、実際の寿命とは異なる可能性が高いのです。

 

具体的に説明すると、2019~21年という新型コロナウイルスのパンデミックが影響を及ぼした期間において、全ての年齢層で死亡率が上昇しました。その結果、統計的に算出された出生時平均余命が短くなったのです。これは、パンデミックが人々の健康に与えた深刻な影響を反映しており、医療システムの逼迫や社会的なストレスの増加などが原因として考えられます。

 

わかりやすい表現としては、「もし一生を2019~21年のようなコロナ禍で過ごした場合、その人生はコロナのない21世紀初頭の社会で過ごした場合よりも平均して2年ほど短くなる」ということです。このように考えると、平均寿命の短縮は特定の期間における社会全体の健康状態の悪化を示していると理解できます。字面から受ける印象とは異なり、この統計はパンデミックがもたらした一時的な影響を強調しているのです。

 

結論として、平均寿命の短縮は、その期間における社会全体の健康状態や死亡率の変動を反映したものであり、個々の寿命が直ちに短くなることを意味するわけではありません。この統計を正しく理解することで、新型コロナウイルスが私たちの社会に与えた影響の深刻さをより明確に把握することができます。

神戸で開催される世界パラ陸上大会において、子ども用の無料観戦券が保護者によって転売されていることが問題視されています。これに対し、組織委員会は「パスポートが出品されたのは趣旨にそぐわず、悲しい。不審者が紛れ込まないよう厳重にチェックし、各学校には保護者らが転売しないよう注意喚起する」との声明を出しました。

 

 

もちろん、もし危険人物が紛れ込む可能性があるならば、その対策は必要です。

 

しかし、この状況を別の観点から考えると、「ダダでも行く価値がない」と考える者と「金を払ってでも行きたい」と考える者が存在します。このような価値観の違いを考慮した場合、より行きたい人がチケットを手に入れることが何故問題とされるのか疑問が残ります。市場の原則に基づけば、価値をより高く見積もる人がチケットを入手するのは自然な流れです。たとえそのチケットが無料であっても、それを転売して利益を得ることが倫理的に問題とされるかもしれませんが、需要と供給の観点からすれば合理的な行動とも言えます。

 

組織委員会が「この人(特定の属性の人)に見てもらいたい」という気持ちは理解できますが、それを強制するために市場原理を無視するのは傲慢に映ることもあります。社会全体で考えると、多様な価値観や欲望が存在する中で、誰にどのような体験を提供するかは難しい問題です。無料観戦券の趣旨を守りつつ、より多くの人にその価値を感じてもらうためにはどのような方法が最適か、慎重に検討する必要があるでしょう。

 

転売が完全に悪であると決めつけるのではなく、その背景にある人々の価値観や行動についても理解を深めることが求められます。結果として、より多くの人々がパラ陸上の魅力を感じ、参加したいと思うような環境を作り出すことが、大会の成功に繋がるのではないでしょうか。

 

箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟(関東学連)は5日、第101回大会(来年1月2、3日)以降の参加資格について「関東学生陸上競技連盟男子登録者」とすることを発表した。

現実的にとんでもない不祥事でもない限り箱根駅伝を越えるレベルの学生駅伝の新設は不可能だろう。 

とみんなが思っているから,有力選手は箱根に出場できる大学へ行く。そのような動向が箱根駅伝のレベルを上げて・・・(繰り返し) 

そのような状況を打破するのは相当難しいと考えるが,あえて可能性を求めるとしたら箱根駅伝とは異なるフォーマットでありかつ箱根駅伝と比べて面白い何かを,関東以外の大学で開催するだろうか。(イベントとして工業として)箱根駅伝と勝負するという方法。ただし真っ向勝負では勝ち目がないだろうから知恵を工業として知恵を絞る。

 

例えばだが,大学生らしく戦略性が高い駅伝のようなレース「10人で走るが,どこで何回タスキを受け渡してもよい」のような,本質的に駅伝とは異なるが比較できなくはない何か。 かつての京大アメフト部のように「頭でも勝負」して,箱根駅伝と同コースを,箱根駅伝レコードを越えるタイムでタスキをつなぐなら自分は見てみたい。