【第7回】ゆとり教育について<反対派の意見>(4)
■ 【第7回】ゆとり教育について<反対派の意見>(4) |
■現在妊娠中で、教育問題には非常に関心があります。ゆとり教育の本当の目指す内容とは裏腹に、現状は、求められている”ゆとり”ではなく、学校側もどのような方針でやればいいのか戸惑っているのを感じます。日本は少子化という問題も抱えており、その狭間で、子供たちは本来必要な”ゆとり”の意味を理解することなく育っているように感じます。 学力低下は国力の低下にもつながるので、非常に問題。少ない子供達世代を、世界的に通用する人材を育てることも国の将来には大切なので、今のままのゆとり教育には不安を感じる。 しかし、ただ詰め込むだけの押し付け教育にも反対。ある程度の強制力は必要だとは思うが。もっとハングリー精神を養う教育をして欲しい。どんな些細なことでも、自分から問題意識を持って行動できるような人材をもっともっと育成できる環境にして欲しい。(popoさん)
■孫がいる年代ですが 今の時代の子供達は つくずく可哀想だと思います。昔の時代ならいざしらず今の時代に 学力低下だなんて どう解決していくのか 塾もあるし 単純に考えても、学力低下が 顕著なら ゆとり教育だなんていってられないんじゃあないかと思います。(匿名)
■私は、本当にゆとりというのなら、時間をかけてゆっくり教えるようにしてほしいと思います。内容、時間の両方を単にけずるだけなら、時間内にすすめる内容量はかわりません。 だれもがわかるまで、ゆっくり説明してもらえる授業をのぞみます。 それではつまらないという生徒もいますから、そういう生徒のための授業も当然必要だと思います。(匿名)
■一番大事なときに手を抜くのは怠慢でしかない。教師の怠慢を助長させるだけである。(匿名)
■はっきり言って馬鹿になっているだけ 考える力もなくなっていれば発想もなく、リーダーとなって動こうという求心力もない上に、持続力もない 最低の人間製造になっているように思います。(匿名)
■低学年の時ほどしっかりと基礎を教えるべきで、覚えると言うのはまずは繰り返しから生まれるはず。この段階でのゆとりは百害あって一理なしというべきである。(匿名)
■「ゆとり教育」などと言う馬鹿な言葉を誰が使い始めたのでしょうか?国の文部行政を批判するためにマスコミ及びそれによって選ばれた学者、評論家がゆとりと言う言葉のみを取り上げ学力低下と結び付けているのではないでしょうか。学力低下の原因は学校教育だけにあるのではないと考えます。学校教育は児童生徒の全人的な発達を目標にしつつ常に学力に対して最大限の関心を持って教育を進めてきました。しかし、学校がそれに注力すれば学力偏重の批判を展開し、非行問題行動の防止に注力すれば児童生徒の人権をたてに自由で個性的の名のもとに社会性や公共性より身勝手、わがままを助長してきた一部の知識人、文化人は今どう言おうとしているのでしょうか。子どもに事故があればそれがケンカであっても学校や教員の責任だけが大きく取り上げられ、その保護者や子ども自身の責任が置き去りにされ、学力が思わしくなければ指導している教員の技量のみが問われ子ども自身の努力が求めれれることはないのです。勉強ができないのは教員お教え方が悪いからだ。成績を上げるためには学習塾へ行ったり家庭教師をつけたりしなければならない。勉強は人に教えてもらわなければできない。こんな考えを子どもや親が持っていたら未来永劫学力の向上は望めないのではないでしょうか。勉強ができないのは本人の努力不足です。努力すれば誰だってそれに応じた成果が得られるのです。子どもを教育するのは大人の責任ですが勉強するのは一人一人の子どもであることを忘れてはならないと思います。必要なことはそれぞれの子どもにふさわしいハードルを与えてやることであり、障害物をことごとく取り除くことではなく、抱きかかえてそれを通過させることでもないのです。全ての子どもにそれぞれの発達段階、個性、能力にあった課題を与え、子ども自身のちからでそれを乗り越えるのを忍耐強く見守ることです。私は、反対に1票を投じましたがそれは「ゆとり教育」と言う言葉自体が使われていることに変更を感じるからです。ゆとりは大切です。競争も大切です。(匿名)
■暗記すべきものをハッキリ決めしっかり覚えさせ、それを土台にして考えることを学習するように、ひとつずつプログラムを組み立てて教育をする。(匿名)
■学力低下が目に見て感じられていますし、教師側からの声で「後れていますのでお宅の子供さんを学習塾に通わされて、学校では間に合っていない学力の補修をされてください」こんな事を聞きました。学校での学習は基本学習を受けられる場所ではないのでしょうか・・・・・誰の為のユトリ教育の始まりだったのでしょうか・・・・・(匿名)
■ゆとり教育と言われても所詮は先生達が少しでも楽になりたいっという思いではじめたように感じられます。 一部、先生達の中には不要だという意見もあるようですが・・・ その上、ゆとり教育がはじまって、学力が低下するなんて本末転倒のような感じが。 (匿名)
■ゆとり教育の名の下に教育の荒廃が進んでいる。理数教育の時間を増やし、全国の学校現場に「ゼロ・トレランス」の導入をはかるべき。(匿名)
■そもそも、本来の「ゆとり」教育とは、教科書の中身を薄くすることではなく、分からない子には倍の時間をかけてでもじっくりと考え方を教えることではないでしょうか。 勉強は、将来生活していく上での基礎となるものです。国語の読解能力があれば、下手な詐欺にはひっかからないかもしれません。文章能力や語彙力があれば、自分の思うところを上手に相手に伝えることができます。 面積計算や体積計算ができて、金利計算(これは基礎解析や微分積分の能力です)ができれば、不動産購入時にも相手の説明を吟味することができますし、地理学、地質学、歴史をの意味を知っていれば、風水害の被害の多い土地の購入を避けたり、建物の基礎工事や構造を再考することができます。 生物、化学の基礎知識があれば、土壌汚染がなぜ危険か分かるでしょうし、物理学の知識は、開けにくいビンや缶のふたを開けるときにだって有効です。 子どものうちに、基礎知識をしっかりつけて、自分で考える力を与えることは、とても大切なことです。 こうした思考能力がなければ、何か問題があったとき、「専門家がこう言っているから」と言われて何も反論できない人間になってしまうのではないでしょうか。 本当に「ゆとり」教育を謳うなら、授業の時間を倍にするぐらいはやってもいいのではないでしょうか。 文部科学省は、「個性」とか「ゆとり」の名の下に、自分の頭では考えられない国民を作りたいのではないかと勘ぐってしまいます。(匿名)
■はっきりと、反対なのでは無いけれど、今のままだと、反対。という感じです。ゆとり教育と言っているけれど、現場の先生方が、何をいていいのか、わからないというようにとれますので・・・(匿名)
■子供が小、中学校でゆとり教育を受けたが、全く意味がなく、完全に教師の手抜き、サボりタイムと化していた。(匿名)
■教職員のためのゆとりを持つために子供を犠牲にする制度はおかしいでしょう。 もっと充分時間をかけて検討して、本当に子供達のために役立つ制度を制定してもらいたいと願います。学力低下という犠牲は大きすぎる。学力は向上するが気分的にも肉体的にも余裕ができるような制度をつくってください。(匿名)
■事実 世界における子供の学力水準がしているじゃありませんか。 自分の子供を実際に公立小学校に入学させてみて愕然としました。 学校によって差異はあるでしょうが、少なくとも家の子の小学校は学問を学びに行く場所ではありませんでした。 親として、『勉強は塾などに任せるから、学校では勉強以外のことを学んで欲しい』と割り切るまでは大変もどかしい思いでした。 現在、縁あって私立小学校に転校させることができましたが、違いは歴然です。 高くてもお金を出す価値はあります。 ゆとり教育を推進していくのはかまいませんが、公教育として親にも選択権が欲しいと思います。 多少のお金を出してもいいから従来の教育が受けられる学校と現在の学校。 私たちが子供の頃から役人による勝手な頭ごなしの押さえつけはやめていたいただきたい。 だいたい、そのように決めた方々のお子さんは公立小学校に通っていますか。 自分の子供を通わせたいと思わないような学校を作っておいて、全く『ふざけるな』の一言です。 (匿名)
■こんにちは!太陽がみたいね。もうすぐ梅雨も明けるんだろうね。 賛成でも反対でもない、有効活用ができなかったということであろう。『ゆとり教育』の原点を知らないが、今その弊害がでているというが、ゆとり教育だけが学力を低下させたのだろうか。ゆとり教育はその時代に必要性を感じて人間が作ったものであるのであるから、今弊害が出たという時点でゆとり教育を見直す必要があるのだと思う。 ゆとり教育そのものの趣旨を今一度みんなで考え直すことが大事なことだと思う。 それと教育者ならもっと人間はどういう生き物(言い方が悪いが)ということを脳科学から学ぶ必要があると思う。幼稚園生から高校生まで国公立の全生徒を対象にすることが間違いなのではないかと思う。脳の発達という観点から見れば、小学生低学年の詰め込み教育は自然の理にかなっているからである。(日本丸はどこへ行くさん)
■そもそもここでいわれているゆとりって何を意味するのでしょう。教育とか道徳とかよそから与えられるものと思っていること自体、かなり感覚のずれを感じます。旧来の老人や経験のない役人が考えることが辺じゃありません。(ynak44さん)
■愚民化政策の一環でしょ。あほな国民にすれば、為政者はこの国を自由にできるよね。子供の時に勉強しないでいつしますか?教育は国家の礎です。この政策を決定した文部省の役人どもの子弟は、私立の学校できっちり教育受けてるよ。結局、貧乏人の子供はまともな教育も受けれない環境して、格差社会に貢献しているのは日教組と文部省でしょ。ダブルスタンダードもいい加減にしてほしいわ。(匿名)
■学校は、集団生活から社会性・公共性を学ぶ場であり、勉強をする場です。躾や個性は、家庭内で伸ばせばよい事。勉強が多すぎて可哀想とか言う、ツマラナイ世論の為に勉強量を減らすべきではないし、子供が社会の中心であるかのように、大人と同等に扱うべきでもない。そんな議論をされているのを知っているから、子供達は自分達の利点を使って、反社会的な行動をとる事を許されると思っていたり、いつまでも子供っぽい思考から抜け出せないで甘えるのだと思う。レストランや公共の場で、家庭内と同じ様に無法な振る舞いの子供達の多いこと。それを当然と思っている親の多いこと。高校生でも、幼稚園並の公共性しか無い子供の多いこと。親は責任もって子供を持ち、学校に躾まで押し付けるべきではない。学校は、学びの場だ。子供の仕事は、勉強だ。(匿名)
■義務教育中は様々な物を判断するために必要な知識をつける場であり、時間である。 基礎的な知識や判断材料がなく、まだ自分の価値感も確立していない中で、自ら考え、行動しろというのはあまりにも酷な話しである。(匿名)
■若者向けの洋服店を経営しているが若者のレベルが年々ひどくなっていることを痛感している。会話にならない論外な子供(18歳から24才位)が増えている。以前はただいらいらするだけであったが最近は恐ろしくなってきた。この子たちが子どもをつくり親になる。まず言葉を知らない。簡単な計算ができない。ゆとり教育がどうのこうのいう前に最低限の教育を無理やりでもすべきではないか?それくらいレベルが落ちている。23,4歳くらいから下がきつい。中学2程度で思考能力がとまっているのではないか?言葉を知らなければ頭の中で考えることすらできない。簡単な足し算が頭の中でできないのに段取り良く生きていけるはずがない。頭が悪いので雇っても役に立たない。稼げない。消費しない。税金を払わない。逆に公的な金を使われる可能性も出てきた。先生が悪いとかいう意見もあるだろうが親が苦労していない世代なので子供に何も教えてないのが最大の原因ではないだろうか?考えるさせるためには最低限の読み書きと常識をたたき込まないと会話すら成立しない。あんなやつらのために税金を払うのは真っ平だ。(匿名)
■資源のない日本には人材しかありません。 その人材を破壊するゆとり教育には反対です。(匿名)
■あまい!(匿名)
■生徒に対し本当に「ゆとり」を持たせるためには、受験競争に明け暮れて、現実と人間を知らない、観念論好きな「サヨク官僚」の政策とは全く逆に、むしろ授業時間を増やし、時間的にも精神的にも余裕を持って、多様な学力と性格の生徒に接しなかればならない。 彼らの安易な「ゆとり教育」こそ、「受験馬鹿の成れの果て」と批判される役人たちの、いわば「自虐趣味」としか言えない。もし学習量を減らしたら、益々高度で複雑化してる社会には対応できない「落ちこぼれ」が増えることは容易に予想でき、二極分化は彼らが犯人とも断罪されよう。(匿名)
■近所の退職高校教師を見ていると もうこれが 教師だったのかと 嘆かざるを得ない。馬鹿巨教師が 優遇されすぎている。教師のレベルチェックが まず 必要である。(匿名)
■我家にも二人の子供がいます。兄弟でゆとり教育の前と後で育ち間ましたが、学力に大きな差があります。森喜朗首相は亡国首相であったと思う。総合学習の世代は、将来の断層になると思う。(匿名)
■教師が楽をしたいだけ。日教組の悪しき弊害と考える。(匿名)
■今のままでは反対。内容をもっと考えてよくなればいい(匿名)
■『ゆとり教育』は、先生方の週休2日制を勝ち取る為の手法だったように思えます。最近では、当初の『ゆとり教育』は見直され、改善してきているようですが、『ゆとり』とは心にゆとりを与えるものであって、授業を簡略化するなどは安易な方法だと思います。(匿名)
■何もやる気がおきない現代の子供を見ていると、教育方針が間違っているのではないかといつも思ってしまう。 また、子供の凶悪犯罪も増えていることから、もう一度教育について考えるべき時期がきていると思う。(匿名)
■バカになったので、反対です。昔のように土曜日もするべきでは?週休2日は大人になってからと言う事で…土曜勤務になる場合は、教職員等の方々は特別職の公務員にしないとね。反対と言うのは簡単ですが、システムの変更って予算等、問題は多そうですね。(匿名)
■日本人の、競争重視かつ心配性なメンタリティーに、「ゆとり教育」というものは合わない気がします。実際、「ゆとり教育」が導入された時期も、競争社会で頑張っている親たちは、わが子の学力低下が心配で、より塾に通わせたり、通信教育のレベルをやらせたりしていた、という話ですし...日本人は競争するのが好きですから。地域や家庭に、「ゆとり」を導入した結果、余る子供達の時間や知的能力を受け止め、伸ばしてやるだけの力があれば良いと思いますが、現在の日本の地域コミュニティーやほとんどの親たちにそれだけのゆとりは無いでしょう。どうせ皆塾などに行くのに、学校でいくら「ゆとり」を導入しても....それより、公立の学校の学力レベルを上げて、親たちが低収入でも子供たちに高レベルの教育が授けられるようにするほうが、日本のためになると思います。今の多くの親たちの私立志向は、公立の学校の先生方のレベルの低さや、「どうせ塾にまかせることになるから」という、諦めの精神から来ていることだと思います。(匿名)
■ゆとり教育がダメなのではなく、子どもたちに対する評価の仕方が根本的に間違っているのです。点数のみの評価や出身校による評価というようにレールに乗らなければ落ちこぼれになるとう脅迫概念は子どもたちではなく親に強く作用し、子どもたちの自由な学育を認めず最高学歴まで子どもたちを受験地獄に縛り付けてしまう。 学校教育の改革は根本の制度から大胆に変革しない限り小手先で解決できるような問題ではない。(匿名)
■知識偏重の教育は子供達にとって苦痛以外の何物でもないと思います。 しかし、現状のゆとり教育は単にカリキュラムの減少、授業時間の短縮のみで 本質的に教育内容の質的向上を目指してはいません。 特に感じるのは県立、市立など公務員教師の情熱のなさ マニュアル通りの授業では学ぶ喜びは理解できないと思います。 文部科学省が推進してきたゆとり教育の行き着く先は学力低下と 学習意欲の低下を招きました。 行政の失敗を認め、改善の方策を検討していかないと、激しさを増す 国際競争に取り残されるのみでなく、外資の国内資本買収など 搾取されるのみです。 (アミノ酸さん)
■自分自身の経験からいって、子供は自主的に勉強はしません。 勉強の出来る子供も与えられた課題が終わると暇になります。 確かに以前の受験戦争は子供を苦しめるものになっていましたが、 そもそも人間って目的があって頑張るわけです。 ゆとりは大人の教師にゆとりを与え、子供に怠ける時間を与えました。 詰め込みすぎはよくありませんが甘やかしも問題外です。 適切な学習量を決めるのは困難ではあると思いますが、 緩めにするよりは厳しめにするほうが後々子供のためになると思います。(匿名)
■人付き合いの基礎も出来ていない若者が就職してくる。 業務上の注意したとたん、次の日から会社に出てこなくなる・・・。 何かが間違っていると思う・・・。 (仲間とワイワイ屋外で遊ばなくなってしまった子供たち・・・。何がゆとりの教育だ。) 入試問題の解き方のコツを知っている者が頭がいいなんて・・・。 オ・ソ・ロ・シ・イ世の中になったもんだ・・・。(JH9IFG さん)
■週休二日制なんてもっての外だと思います。人生の一番吸収しやすいときに学習しないなんて・・・。今の受験用の学習制度がいいとは思っておりませんが、子供は学校で勉強以外の多くのことを学べると思うし。子供の学習の中で家庭の果たす役割は小さくないと思いますが、すべての親が子供の教育について真剣に取り組める環境が整っているとは到底思えません。資源の無いわが国にとって国民の能力の低下は国力の衰退に直結します。ゆとり教育を推進する方々は売国奴。(匿名)
■ゆとりの意味を履き違えているように思います。 先生方の意識の問題、おかぁさん達の意識の問題。 そして、子供の良い所を伸ばす・・・それは、相互の連絡理解にも依るのではないでしょうか? 学校教育の必須時間を減らすのは、ますます格差を作ってしまうだけ。 私も、学校の先生に塾へやるのは、親の責任。塾へもやれないのは親が悪い。と言われました。母子家庭にそんな余裕もあるわけでないのに・・ それなら、母親が教えるべきだ。学校では時間が無いから教えられないと先生に言われました。先生のプライドってなんでしょうか? 多分に、子供の成績が悪いのを親のせいにしているのが見え見え、先生の評価が下がるからでしょうね。中にはノイローゼになってしまったおかぁさんもいらして、そのためかお子さんは成長障害になってしまいました。 ゆとりを考えるのなら、本質を見て欲しいですね。 お勉強が苦手の子もいても良いのでは?どれだけ努力したか?じゃないかなぁ。(匿名)
■30歳の私の子供のころ習ったくらいのことは、やっぱり子供に勉強して欲しいと思う。(匿名)