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【第7回】ゆとり教育について<反対派の意見>(3)

ゆとり教育

 ■ 【第7回】ゆとり教育について<反対派の意見>(3)


■こんな阿呆なことを誰が発案したのが誰だか明らかにし、吊るし首か市中引き回しの上で獄門にすべき大罪である。 子供に考えるキッカケを与えることは悪い考えではないが、考えるやつは何を与えなくとも自分で考えて行動する。しかし「ゆとり」と言って考えるキッカケだけでなく多すぎる時間を与え、その代わりに考える材料となる学力引いては知識を取り上げてしまっている。その結果、何をどうしてよいか分からない・何をどう考えるかも分からないが、時間だけはただただ余っているという最悪な状態になってしまう。裕福な家庭であれば塾に放り込めばよい。しかしそれができない家庭ではどうしたらよいのか。子供は余った時間に、まず悪いことしかしないだろう。いちはやくそれに気付きキチンと叱ることができれば更正もできるかもしれない。しかし万引きに放火など小学生が行う犯罪のニュースをしばしば耳にするのも、すべては「ゆとり」教育の責任なのだ。(匿名)





■現在の「ゆとり教育」の導入に伴う学力低下はひどく、国際的にも学力低下が目立っている。学校の週5日制は、労基法の時短とも関連している。教育現場では、教員の労働条件は逆に悪化している。土曜日が休みになったことにより、中学・高校では、部活動の試合や練習になってしまい。教員にとっては、時短になってはいない。教員の仕事の量は減っていないので、よりいっそう忙しくなっている。授業以外の校務も多忙で、心を病む教員も増加している。また、部活動に参加していない児童・生徒の場合、塾に通っている者と通っていない者との学力格差が大きくなっている。少子化で高校や大学も入りやすくなっており、競争しなくてもレベルを考慮しなければ、大学に誰でも入学できる。そのため、十分な学力を身につけていない大学生が増加している。このままでは、基礎学力が身に付かないので、「総合学習」は廃止し、やはり、学習内容は教科学習に重点を置くようにすべきだと思う。(匿名)





■今のゆとり教育は、ゆとりを取り違えている!ばっかじゃないの?と言いたくなる。程度の低い文部官僚や教育を学問だけと勘違いしている諮問委員が理屈を捏ね回して作った制度なんだろうけど、はじめからくだらん制度だと思ってましたよ。 もうちっとましな事を考えられないのかね~!理屈だけを学んで俺は賢いなんて勘違いしているやつらに、マトモナ教育制度なんか作れるわけがねえよ!! 早く、地方分権にして文部省なんか、人員大削減をしてしまえ!!(匿名)





■ゆとり教育といいながら、親は塾に行かす、塾に行ける子と行けない子との差が広がるのでは、先生のゆとりだけ増やす?親がしつけを教えず、教育を唱える大人達が偽装、額に汗せず金儲け、正直者が馬鹿を見るような世の中にしておいて、何がゆとり教育でしょうか、戦後の西洋の真似ばかりもそろそろやめて、質実剛健、親を敬うような古き良き日本に戻りませんか?(匿名)





■ゆとり教育は教師のためだけのものになっている。(匿名)





■現在のゆとり教育なんて、教師に楽をさせるためとしか思えないので、絶対反対です。(匿名)





■昔の人はもっと勉強したよ.ゆとりというのはゲームをする時間のことでは無いか。(匿名)




■競争の無い社会を作るなんて言うのは、怠け者社会を作ることです。機会は平等に、結果は努力に応じるのは当たり前です。 まずゆとり教育なんて子どもの将来に責任を持たない、まやかし、無責任ですね。(匿名)




■ゆとりは大切だと思うので賛成だが、今のゆとり教育は言葉が悪くなるが『馬鹿、製造教育』なので反対です 勉強を簡単にしたら勉強が楽しくなるのでしょうか? 休みを多くする事がゆとりなのでしょうか? 自分は舞台関係の仕事をしており、ここ数年学校関係からの依頼が多くなっております 『総合学習で演劇を見せたい』と依頼主のほとんどは言われますが 『では、どんな内容(演目)にしますか?』と聞くと 『何でもいいから見せてくれ、総合学習なんだし』とほとんど返答されます。 こんなやり取りをしていると、総合教育される方もなさる方も本当にかわいそうになってきます ゆとりとは勉強を簡単にする、総合学習を増やすなどというものではなくて、もっと違う物だと思うんです 家で両親と夕飯を一緒に食べる、団欒をする など勉強に関係ないことがゆとりだと思うんです。(匿名)




■ゆとり教育により、空いた時間を如何に使うかが問題であるが、子供に時間の使い方なんか分からないから、教師が教えなければならないのだけどその部分は明確になっていない。従来型の教育指導要領によるここまで必ず型からいきなりその量を激減させると単純に量が減ったので困るという人が多いが別に教えちゃいけないわけではないはずなのできちんと明文化による明確な要領にしないと学力が低下するだけで、マイナスにしかならない。現状のやり方では、そんな時間の使い方をマスターできる教師は少ない訳で説明をきっちりやったとしても実践できるかどうかは別の問題であります。従って、私は反対をします。(匿名)





■ゆとりといいますが、現実は授業時間を削減されただけではないでしょうか。例えば1年生のカタカナの授業ですが、短い時間で通り抜け、覚えきれずに終わってしまいます。 3年生や4年生になっても、ソとンの違いが解らない子がたくさんいます。 ゆとりという、総合学習では、発想豊かな、熱心な先生が担当してくれたクラスや学年はいいですが、実際にあった4年生の総合学習で、驚いたのは1時間焼き芋を焼いて、1時間食べるという事があり、総合学習の目指すものが、あいまいに、進められています。 授業数も、年度の終わりに予定数と実際行われた授業数を公開しない。 臨時休校や、学級閉鎖などで、行えなかった授業を、私の子供が通っている小学校では、振り替えはしない。地域・先生に当りはずれがあり、公立の小学校で、公平な授業が受けられないのが、現状だと思います。(匿名)





■知識はお金と同じだ。 こつこつ貯めてないといざ必要になったときに使うことができない。 また、学習内容が減ったところで、半分しか覚えてない子供のほうが多い。 覚えている割合が同じなら、たくさん流し込んだほうが脳みそに残る絶対量は多いのだ。 空っぽの冷蔵庫からは何も料理を作る事はできない。 いくら調理方法を知っていても、材料が無ければ何一つ作れないのだ。(匿名)





■子供の成長期には、時間をかけて暗記や計算能力を高めると言った学習が必要だと考えています。それが土台となって自分で考えて問題解決や応用的な考え方が身につくのです。初めから小学校や中学校の初期の時期にやれ自分で問題を探し出して解決しろ、自分で勉強をする内容を考えろというのは時期尚早です。まずは土台となる引き基礎的な学習を時間をかけてやらせましょう。小学校で6時間授業で良いでしょう。中学校ならなおさらです。それでも色々やる時間は絶対にあります。現に昔の方が文化祭や運動会でどれだけ子供が生き生きとした活動をしたことでしょう。今はそれがないのです。形だけの総合的な学習のために文化祭などの行事の本当の総合的な学習ができなくなってきています。ゆとり教育の名の下にどれだけ教育が後退したか文部科学省の上の方考えてください。きっと良い学校を出ていわゆるエリートコースに乗った方々には分からないのかもしれませんが、そんな人たちはほんの一握りの人たちです。勉強・文化的な行事・運動・空いた時間に遊び、毎日が精一杯の日々。そう言う中で育った子達なら、変な道に走る子もきっと減るはずです。変なゆとりがあるから余計なことに走るのです。(h_battenさん)





■単に、教師や義務教育関係者が週休2日にしたいだけでしょ。 尊敬出来ない教師などいりません。 日本の将来のためには、サラリーマン教師は辞めて貰うのが良いですね。 アジアでも日本人の学力の低さは目立って来ています、このままでは先進国などと言われていられるのも時間の問題でしょう。 教員採用枠が少ない為、教師になりたくてもなれない熱意のある若い人は沢山います。 やる気の無い教師はどんどん切り捨てても何ら問題はありません。 それ以前に、それぞれの家庭で子供の躾をすることです。(匿名)





■ゆとり教育そのものは、悪い考えじゃないと思う。でも今実施されている「ゆとり」は方向性が間違っている。(匿名)





■先生の週休2日勤務を考えると生徒の週5日制にも理解が必要になりますが、基本的な基礎学習の量が矢張り足りないように私は思います。生活環境の中で自分の役割や社会の仕組みなどを小さい頃から知る学習は、本来家庭環境の延長で身に付けさせるべき学習と考えます。それをやらない家庭、気づかない家庭に(親に)問題が多いので、偏った価値観が子供にまで伝染した結果が、「総合学習」になってやらねば成らない羽目になったのです。基礎学習時間の確保のためゆとり教育は絶対見直すべきです。(匿名)






■今の教育は、教育を行使する者のゆとりで、享受する者や、保護するもののゆとりにはなっていない。その前に、教師の自覚、誇りの復活、親(PTA)へ教育と、教育の根本とは何なのかを教えるべき!親の身勝手が教師をだめにし、子どもをつぶしている。(匿名)






■私はゆとり教育を受けてきました。 でも、最近の年下の子たちは、私達よりかなり勉強しています。 それは、ゆとり教育のせいで県での成績が落ちたからです。 私達は被害者です。 もし、数年後、ゆとり教育時代の人と、その後のたくさん勉強した人が、同じ就職試験を受けたとき、受かるのはきっと後の人たちでしょう。 「ゆとり教育の時代だから」と蔑まれるかもしれません。 上手くいえないけど、私達ゆとり教育時代の子供は、損していると思いました。(匿名)





■基本となる教養は、義務教育で学び又、個々人の能力差は、環境・体質によりそれぞれ 違いがあります。 義務教育格差が地域・環境により、違いがありますが《良し》と考えません。 学校以外での教育(地域社会・家庭での教育・躾)を、押しつけて〈ゆとり教育〉は良くない。 社会全体・地域環境・家庭それぞれが教育の場でもあります。この三者一体にる教育改革が必要です。株式化した学校? 生徒はお客様(神様)ですね。?? (匿名)





■そもそも子供に週休二日は必要ない。公務員である教師が休みたい為の制度でしかないと思う。(匿名)





■学力低下や体力低下がいちじるしく、将来が不安。(匿名)





■ゆとり教育の結果学力不足が危惧され、塾等で補う傾向が益々強くなり結果として学力差や反ってゆとりをなくす結果となっているような気がする。 押し進められつつある一貫教育を公立校にまで適用し、長い視野の中でのゆとり教育を考えてみてはと思います。 (匿名)





■教育を語れる能力の最低条件は、二百年以上の過去、現在、百年未来を分析して、展望できる人。 列島には、皆無。 自由度100%にして、放置しておくのが最良。(匿名)





■日教組のごり押しで決まった「ゆとり教育」の結果が今の若者の姿さ。(匿名)





■ゆとり教育が始まって、若い子がますます馬鹿になった。(匿名)





■現状の教師の質では、単なる手抜き教育にしかならない。(匿名)





■”鉄は熱いうちに打て”と日本人の叡智は古来より教えている。小・中学生のころ覚えたものは今も(68歳ヤング)決して忘れていない。民族を滅ぼす使命を帯びたノイジー・マイノリテイーが日本の各中枢に存在すると考えた方が良いと思う。サイレント・マジョリテイーが物言うときです。(匿名)




■そもそも、ゆとりは「教育」されるものではないでしょう。 塾などへ行く必要のない程度の水準の教育を学校で受けられれば、 放課後にこどもたちの自由な時間「ゆとり」が生まれると思います。 まずは、教師の教育力をあげなければ話にありません。(匿名)




■基礎的な読み書き計算は小学生のうちにみっちり習慣としてたたき込んでおいて、その上で、自己表現する場を多く設けなければ、国際人には育っていかない。英語も、出来るだけ小さいうちに聞く話すということを身につけなければ手遅れ。文法がわかっても何を言ってるか聞き取れなければ会話は成り立たない。(匿名)





■国が推進している(いた?)ゆとり教育では、必要な教育も教えることは出来ないと思われる。実際に、学校の勉強では足りずに塾に通う子供が多い状況では、勉強時間が増える一方だ。 ただでさえ、30代の私の世代でも、言葉足らず、物知らずだと自認しているのに、それ以上、ベース部分を減らす必要があるのか疑問だ。小難しい話をする必要も、難解な数式を解く必要もないが、せめて、日常生活で必要な知識は義務教育範囲で教えてほしい。 (匿名)





■役に立つ たたないは別にして やはり 読み書きそろばんですよ 自分は1964うまれで詰め込み教育の最終型です 言われるほど苦痛はありませんでした それと 余り子供らの脳を甘やかすと 私らの年になってから DSで鍛えなおすようになってしまいますよ(匿名)






■ゆとり教育といいながらも、少ない時間内にはやらなければならないので結局詰め込みというか、塾等で補助しなければいけない状態だと思うし、子供が空いた時間を有効に使えるかというと、ゲームセンターなどにたむろしたり・・・と、時間の使い方を知らないまま悪い方向に向かっているように思う。学習内容は増やしてもよいし、押し付けでなくたくさんの知識の中から自分で選択していけるような教育をしてほしい。(匿名)





■ゆとり教育になってから少年犯罪が増えた気がするけど。(匿名)





■ゆとり教育は、格差を拡げるだけ。「勉強しなくてもいい自由」を与えるのもいいが、その結果、「どうなるのか?」を自分で考えさせるのが「総合学習」なのでは? 教員の質も問題だと思う。そもそも、教員が、自分の頭でモノを考えられない。 そういう「ツメコミ教育」の産物である教員が、「ゆとり教育」を出来るわけがない。(匿名)






■今年から娘を小学校に通わせていますが、持ってくる宿題や教科書の内容をみても、こんな内容で、子供に学習能力が果たして身につくのか、かなり疑問です。本来能力には個人差があり、出来る子出来ない子の差が多少ついてしまうのは仕方ないと思います。だから、現場の教師の力量が問われるわけで、私が学齢期であった頃には、クラス全体の学力が低ければ、担任なり、苦手教科の担当教師が努力してクラス全体の学力の底上げをしたものです。ゆとり教育の弊害の一つになるのかは分かりませんが、一生懸命努力している教師とは別に、とんでもない教師がいるのも事実です。(匿名)






■ゆとり教育とは教師が教育を放棄して楽をする為の方便である。 教育とは国家の骨格をなす大事業、少子高齢化が加速して国力が低下しつつあるのに、 手抜き教育を許しては日本の将来は暗い。(匿名)






■義務教育までで十分だ。それ以上は一定の学力以上でなければ進学できないと資格制度を設けよ。進学できない学力しかないものは就職と法律で決めてしまえ。そうすりゃゆとり教育だろうがなんだろうが、目の色変えて勉強することだろう。ただ勉強に目覚めたものはいつでも復帰できるだけの環境を整える必要もあるが・・・(45歳男さん)





■ゆとり教育と称して、結局は、一般市場に教育を任せてしまったとおもう。 時間をつくったのなら、それに合う何かを準備すべき。お金がある人はその余った(ゆとり)の時間を塾なり、習い事なり使うことも出来るが、お金がない人間はその親も働きに出ていることが多いので、野放し。それを、ゆとりとは呼ばない。(匿名)






■学力低下の理由を作っているようなもの。公務員をもっと働かせよ!こちらは命すり減らして高い税金払ってんだ!(匿名)





■実質的な学問(勉強)の時間を減らし、学校教員の質を下げる以外、何も無い。゛ゆとり゛と言う言葉をはきちがえている。゛ゆとり゛とは学校ではできない芸術、歴史、文化等地元や日本、アジア、などふだんでは触れることができない分野(私なら地元や日本の文化)を勉強するのに時間を使うことが゛ゆとり゛教育だと思う。(匿名)




■2002年入学の息子。安心してはいけないと勉強を教えていたら、クラスでもよくできるようになりました。 でも、周りがのんびりしているので、すきあらば遊びにいってしまい、高学年になるにつれて学習意欲が下がっているように思います。 本来学習して新しいことを知ることはもっと楽しいことのはずなのに。 学ぶ楽しさを感じてほしいと思います。(匿名)




■社会にでて週5日制って言うのもないのに子供のうちから5日制になれてたら 働く気うせると思います。それに学校が早く終わったからといって家に帰って勉強するって言う風なのは聞きません、下校途中の子供を見ても遊びに行く~とか、ゲームがどうたらとか・・ゆとり教育の意味が違ってると思います。勉強する子にしても学校の授業が減ったばかりに塾の時間が増えれば意味ないです。 総合学習してるって言っても毎週するわけでもないじゃないですか? 学校は社会にでる前の人間関係とか育てるみたいなとこじゃないですか・・・ 今の子がすぐに切れるって言うのも甘やかせ過ぎなきがします 守るのは当然だと思いますよ?社会的から子供が自分を守るなんて無理なんですから でも、学ぶ場所での甘やかしはどうかと思います。 結果的に対人たいして自制欲が聞かなくなってきてるじゃないですか? 昔の方針が全部が全部いいとは言いませんが・・・ 少なくとも今の方針よりはいいと思います。(匿名)





■日本の子供の学力低下について、1998年の改悪(学校週5日制、教科内容の三割削減)が重大な影響を及ぼしていることは明白である。そもそも週5日制など、職業教師が休みを増やしたいからやっただけの事。その辻褄を合わせる為に教科内容を減らすなど、まるで今後の教育について真剣に考えた内容では無く、単に大人の都合、私利私欲を貪る為にやっている様にしか思えない。即刻この改悪を元に戻し、総合学習の時間が必要であれば、戻した上に追加する形で行うべき。この夫婦共働きの時代に、学校以外での子供の時間を増やし、その時間は親がしっかり面倒見ろと言って、教育の責任を放棄する事自体ナンセンス。結局、暇で誰にも管理されなくなった子供達の多くが、悪い道に進む可能性を増やすだけである。(匿名)





■昔から何か方程式とか反応とか漢字とか大きく変わったものはありますか? 「落ちこぼれ」防止対策と言いつつ父兄のご機嫌と選挙投票数稼ぎではないのでしょうか?教員も定時出勤・退勤。 昔は「ガリ」を切るのを手伝ったり,先生はいつも仲間でした。夕方5時や6時まで学校で遊ぶのは当たり前。先生もがんばって一緒に遊んでくれたし,その後仕事。 今の教員は勤務時間内に会議を行い授業は中止で生徒は早く帰らせる。 会議なんぞ30分以上は無意味。ほとんどの学校がこのパターンです。 会議は勤務時間・生徒が通常の授業やクラブ・部活・遊んで下校時間を過ぎてからにすべき。 「ゆとり」とは教員のための言葉かいな? 「安田教育研究所・安田理氏の視点」の意見も紙上のはなし。これがだめにしている。 子供は見て・体験して成長するもの。今時親の仕事現場を見て育つ環境にいる子は自分の人生を考えざるを得ないので,頑張っているじゃないですか! 頭でっかちのお偉いさん!それじゃ本当の教育は出来ません。文部科学省も同じですね。仕事・役目を果たせない結果が出たなら辞めんカイ! (匿名)






■学習塾を経営しています。 ゆとり教育が始まってから、分数の計算はもとより、割り算、くり下がりのある計算の 出来ない子どもたちが増えています。 日本語をまともに読めない子どもたちも。 時間がいくらあっても足りません。  (匿名)




■子供の質が差が下がったのがちょうどこれが始まってからの子供たち。 学力的にもだけど精神的にも倫理的にも幼稚な子が増えてしまった責任をどうするんだろうか。(匿名)





■ゆとり教育は、日本の国力を低下させているので、即刻、やめるべし。 教育の現場においても、指導力の無い教員が増えていることに、将来の日本が心配です。(匿名)





■名前に騙されている。努力がむくわれない教育,やる気をなくさせる今の教育、国を愛することがいかにも悪いことのように思わせる教師、すべておかしい。(匿名)





■今言われているゆとり「もどき」教育には反対。「ゆとり」という言葉が都合良く(あるいは間違って)使われており、自分としては今の状態は甘やかし・怠け癖付け教育だと思ってます。 何のための教育か。子供に媚びへつらって教育を受けさせるのがゆとりなのか。 否、これは個々の児童・生徒のためだけでなく、この日本という国が豊かに繁栄するための国策として考えるべき問題である。 こんな事子供に言ってもわかんないだろうけど、教育を受ける当事者(児童・生徒・学生)には自分が将来能力の高い仕事につくための手段として、教育を提供する側(文科省・政府)は日本の人的資質の向上、およびそれによる経済活動の活発化・外貨獲得・税収の安定および増加を目指すという観点で、どうあるべきかまずは大局的に考えるべきである。 少なくとも、今のままでは「ゆとり」なんて悠長なことを言っている場合では無いはずだ。日本は人的資質の低下による国力低下がすでに始まっているとと自覚すべきである。(匿名)





■詰め込みすぎもよくないけど、なにが「ゆとり」なのかわかりません・・・(匿名)





■小学、中学、高校と段々と増えていく教科や内容にゆとりなんて最初からあるわけがありません。  多少追い立てられるくらいの方がいいと思います。学校は均一の学力を目指す場所、「総合学習」なんて不均等な学習はある意味差別にならないでしょうか。  それに日々社会は進歩しています。それなのに内容を減らして何になるというのか、理解不能です。(匿名)