とうとう、DCの自然史博物館で見逃したものへのリベンジチャンスが到来しました!

前回この博物館では「人類の起源」や「地球の歴史」というスケールの大きいテーマに心を奪われ、ここで必見のダイヤモンドとミイラをすっかり失念して帰って来るという体たらく。。

 

↓心が奪われた内容はこちらに力を込めて記しております爆  笑

 

 

再度出直し、館内に入ると今度はまっしぐらにホープダイヤモンドを目ざしました。

最上階にあるハリー·ウインストンギャラリーの特別室で世界一有名なダイヤモンド💎が私を待っています!いや待ってないか。。

 

それらしきものがお部屋の中央に!しかも写真撮影OKという太っ腹です!

 

こちらがかの有名なホープダイヤモンド、💎45.5カラットブルーダイヤモンドです!✨

 

 

 

夫も知っていたこのホープダイヤモンド、私は娘に教えてもらうまでその存在さえ知りませんでした。こういうところ、ずぼっと抜けてますもう、hope(望み)無しかと思うほど!笑い泣き

 

美しさと共に心に残ったのは、この世にも稀なブルーダイヤモンドが幾多の海を越え、様々な持ち主を経てスミソニアンまでたどり着いたという歴史でした。このダイヤモンドが発見されてから約400年間の所有者の変遷の様子をざっとお目にかけましょう。

 

ゆめみる宝石 ホープダイヤモンドの歴史 ゆめみる宝石

 

インド🇮🇳 このダイヤモンドは1660年代初頭にフランス人宝石商で旅行家だったジャン=バティスト·タヴェルニエがインドで購入したとされている。当時ダイヤモンドの発見地は世界中でインドのみ。科学者によるとインドのダイアモンドは約11億年前に地下150キロほどの深さのところで形成されたものが火山の噴火で地表に吹き上げられたものという。

 

フランスフランス 1668年:タヴェルニエは112カラットのブルーダイヤモンドをフランス国王ルイ14世に売却。ルイ14世は1673年にこのダイヤを 67と1/8カラットにカットしてペンダントを作り、王室の宝石コレクションに加える。

 

1779年:ルイ14世の後継者のルイ15世はこのブルーダイヤをゴールデン·フリース騎士団の儀式用に作り替えた。

 

1792年:ルイ16世とマリー·アントワネットの時代、フランス革命時の混乱によりブルーダイヤモンドは窃盗団の手に渡る。以後20年にわたって消息不明に!

 

イギリスイギリス 1812年:フランス王族が所持していたブルーダイヤモンドがロンドンで発見される!しかしサイズは20カラット以上も小さくなっていた。

1824年までにこの宝石はイギリス国王ジョージ4世の所有となる。

1830年:ジョージ4世没後にロンドンの銀行家であり宝石収集家であったヘンリー·フィリップ·ホープが買い取る(←この方の名前がホープダイヤモンドの呼び名となったのですね!)

ホープ家には1901年まで保管されていた模様。

 

ロンドン、ニューヨーク、パリ 以降約10年間はこの三都市で宝石商とコレクターの間を行ったり来たりする。

 

アメリカアメリカ 1912年:ワシントンDC在住のエヴェリン・ウォルシュ・マクリーンがパリのカルティエ社からホープダイヤモンドを購入する。この時に彼女のために制作されたデザインが現存するもの。

 

1849年:当時もっとも卓越した宝石商であったニューヨークのハリー·ウインストンがマクリーンの相続人からホープダイヤモンドを購入。 ウィンストンはこれを「宝石の宮廷」コレクションの目玉としてアメリカ国内や海外で巡回展を開催し、チャリティー活動を行う。

 

1958年: ハリー·ウインストンはスミソニアン協会にホープダイヤを寄贈する!

     

 

【呪いのダイヤ?】

 

1912年、マクリーン夫人の手に渡った頃からこのダイヤモンドは所持する者を不幸にしたり死に至らしめるという「呪いの伝説」が生まれたそうです。半ば尾ひれをつけて話が作り上げられたというものの、このブルーダイヤモンドへの魅力はさらに増すことになり、宝石の価値も上がったのだとか。マクリーン夫人ご本人はそういった伝説を楽しんでいたそうです。

 

私が思うにはこのブルーダイヤモンドがもし、心ある宝石店創業者、ハリー·ウインストンの手に渡っていなければきっと今も世界のどこかをさまよっていたのではないかということです。ウインストン氏はかねがね貴重な宝石について一般人にもっと知ってほしいという気持ちが強かったためにスミソニアンに寄贈したそうです。

 

その教育的配慮?を称えるハリー·ウインストン銅像がありました。

 

 

それでは、ここからは長い歴史は一切抜きで珠玉の宝石の数々をご紹介しましょう。

Here we go〜♫

 

マリー·アントワネットのイヤリング!洋ナシ形、20.34カラット インド産

 

ナポレオン1世が妻である王妃マリー·ルイーズに贈った宝石

(右)1810年 結婚祝いとしての王冠 (1000個以上のダイヤモンド、計700カラット/ペルシャのターコイズ)

(左)1811年 第一子誕生のお祝いとして(172個のダイヤモンド、計260カラット インド産)

 

 

36個、計195カラットのスリランカ製サファイヤからなるネックレス

435個のダイヤモンドとの色の対比が美しい!デザインはハリー·ウインストン社

 

サファイア 423カラット スリランカ産

カットされたサファイアでは世界最大級

 

スミソニアンでは展示方法も工夫されていて、どのようなテーマでもいろんな角度から分かりやすく理解できるようになっています。色別になった自然の鉱石もきれいですね!

 

 

「宝石を含む鉱石というのはどのように採掘されるのか」という私の疑問に答えるかのように採掘現場が再現されていて非常に分かりやすく、まるで洞窟内にいるような雰囲気も楽しめました。

 

 

 

さて、もう一つ見忘れていたものがありましたね。

はい、それは、ミ·イ·ラ 

 

宝石と同じ階にあり、ミイラは入り口付近に3体もありました。でも。。。

写真は許可されていたけど、とても撮れませんでした笑い泣き

 

ミイラは大昔にイギリスで、それからアメリカではニューヨークのメトロポリタンでも、はたまたカナダのマギル大学付属博物館でも見ていたんです。だから免疫はあると思っていました。でもそのほとんどは包帯でぐるぐる巻きになってるタイプでした。

 

ところが、スミソニアンのミイラは包帯が一切なくて、もうあれは2000年前の「ご遺体」としか思えないあせる 衝撃的なので写真は撮りませんでした。そんなの撮ったらホープダイヤモンドの100倍くらい呪われそうで。。滝汗 きっとブログで見る人も怖すぎる。。

 

ですので言葉での説明に留めておきましょう。ミイラはエジプトの男性二人と男の子の三体でどれも紀元前後頃のもの。2000年以上前のひからびた、こげ茶色のご遺体です。以上!

 

身分のそれほど高くない人はミイラ用の処置を施してシートをかぶせた状態だけの場合もあったのだそうです。これまで見てきたミイラは高貴な人だったからグルグル巻きになっていたのか...。

 

写真は代わりにエジプトで当時使われていた葬儀のものを。。

中も底や側面まで美しく装飾されていますね。位の高い人のためのものに違いない。

 

 

そうそう、この日は最後にスミちゃんを見つけたギフトショップに立ち寄ったんです。本当にお店の縫いぐるみとスミちゃんは表情が違うのかを確かめに(笑)

 

すると、店内どこを探してもスミちゃんの兄弟姉妹は一人もいなくなっていました。

もうびっくり!ひと月前には山ほどいたのですから。というわけで、スミちゃんとはものすごいご縁だったということが判明しましたウインク

 

 

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アップスミちゃんファミリー、一人もいなくなるなんて唖然としましたがこの世にあるものは全て移り変わるのですね。ホープダイヤモンド💎の持ち主もまた…ウインク  

であれば今ある私たちの命や皆さんとの交流もとても貴重ですね!

いつも本当にありがとうございます😊