Ex28 アロンのエポデ | 新教会牧師書斎の窓

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新教会牧師が、善い生活とは何かと問い、実行しながら、綴るブログです。

 「あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、・・・あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。」(28:1.2)

幕屋と幕屋の庭の建設の後は、アロンの装束の制作が続きます。
幕屋とその外庭の建設が、天界の構造の説明であったように、アロンの装飾の話にも深い意味があります。
歴史的に、アロンはモーセの兄ですが、み言葉の内意は、主イエスご自身、神的で天的なものを表し、天界の神的善を表しています。出エジプト記はモーセ五書として、モーセによって語られ、これが主イエスの誕生前に語られた主の降誕と栄化による人類の救済の預言であったことは、内意・霊的意味を通してでなければ分かりません。その内意も書物とされて、254年になりますが、いまだに受け入れる人は多くはありません。霊的意味と神的存在を受け入れることが、いかに難しいことであるかを物語っています。

アロンの霊的意味は、神的善としての主です。そしてモーセは神的真理を表します。
主は魂はエホバでしたが、普通の人間としてお生まれになり、生涯の試練を通して、その人間を神的真理となさいました。十字架の最後の試練を通して、主はご自身を神的なもの、神的人間と栄化され、神的善であったエホバご自身となられました。

創造主であるエホバは、主の神的人間の「魂」として存在しています。しかし魂だけでは、見ることも感じることもできません。私達が理解できるのは見える神である、栄化された主イエスの神的人間だけです。
その栄化の過程で、主はお生まれになった当時乱れていた天界と地獄の秩序を、もとに戻し、秩序を戻すことで、人類を救われます。救うとは、地獄から贖い、救い出すことです。主の贖いがなければ、人間は一人も救われることはありません。み言葉の内意はすべてこの救いの過程と主について書かれています。その他のある人間や民族、国については書かれていません。

出エジプト記28章の最初にある、アロンを近づけさせ祭司として仕えさせよというモーセへの命令は、主の神的人間のうちに神的真理と神的善を結合し、教会で祭司として仕えることで、これを表せという命令です。アロンは神の天的なもの、神的善を表しました。(AC9810) そして、真理を表す装束を着せることで祭司アロンは、神的善と神的真理が結ばれ、神的人間となった存在を表しました。

「あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。」(28:4)
これは、霊的王国と天的王国が結合することを表します(AC9814)。内な善が、外形には栄光と容姿の美によって神的真理として現れる必要があります(AC9815)。これが霊的王国と、天的王国の結合による表象です。

アロンの装束は、胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯を身に着け、祭司の務めを果たします。

祭司の内的な善、役目である、全焼の捧げものや、供えのパンをテーブルに整え、毎日、燭台を照らし、かぐわしい香を焚き、人々の罪の償いを行うことで、主の救いの業を表現します(AC8909-6)。

祭司が日常的に行っている宗教的な務めは、主が日々、瞬間瞬間、私達人間それぞれのために行われている無数の見えない業を表現しています。それらは主の業を表すため、神聖です。
これは主を愛して、主の業の本質、私達を絶えず地獄から引出し、救われていることを、愛によって知らなければ、表現できません。アロンの装束の立派で美しい外観は、これを表現するために備えられています。

アロンだけではなく、子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルも神的真理に近づけ、仕えさせることはさらに深い状態を表します。アロンは神的善を、その子でありナダブとアビブは神の霊的なもの(AC9811)を、そしてエルアザルとイタマルは神の自然性(AC9812)を、それぞれ表現しています。

大祭司であるアロンは三着の服を身につけます、その三着は、エポデと、ローブと呼ばれる長服と、市松模様に織られた下着です。(AC9822)
そして、一番上の衣装がエポデと呼ばれ、三着の中で一番華麗であり、そして神的真理を表すため華麗に作る必要がありました。
エポデは金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、巧みな業で作らせます(出エ28:6)。

胸当ては、神的善から輝き出る神的真理を意味します。(AC9823)
胸当てのすぐ上につけられるエポデは、霊的王国の極限を意味します。従って、天界の果てです。
心臓のすぐ上につけられる胸当ては貴重な宝石で埋められます。内側にあるアロンの心臓は天的善に相応し、エポデは主から発する主への愛の善です。(AC9823)

主への愛が、主から発していることに注目する必要があります。誰かを愛するのは、愛する主体であって、その対象となる愛される客体が同時に愛するのであれば、愛が循環するように見えるからです。

発しているのは「一つの善から」です、すべての真理は一つの善から発し、すべての真理は主を目指します。この善は主の内にある愛の善であり、主ご自身です。この善は主から来て、人と霊、あるいは天使に、まるで彼らのもののように流入します。この善はあらゆる真理から来る唯一の善で、真理の間の秩序です。なぜなら善の形が真理であるからです。(AC9863)
主から来る愛は、エポデの胸当てにあるすべての真理に向けられています。十二の宝石にはそれぞれイスラエルの子孫の名が彫られていますが、十二で、すべての真理を意味します。

主への愛は、人と霊と天使すべてに流入し、生命となります。この愛の善がなければ、すべてに生命はありません。すべての者に与え生きとし生ける者を活かす愛は自己愛ではなく、本物の神的愛です。そして受け入れる側もこの生命を受け入れることが真理の秩序です。
「ただ一つの生命があり、私達は生命の受容体でしかありません。・・私達の意志は愛の受容体であり、知性は知恵の受容体です。この他に受容する生命はありません。」(DP308)
唯一の生命と善を否定することは、自分の生命も否定することになります。主を否定する生命は、地獄に向かいます。

「金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。」(28:5)と命じられます。
金は、善の支配普遍的な支配を意味します。(AC9832)
金を受け取れと命じられても、富や財を意味する金ではありません。それなら受け取れと命じられず、自分の欲望に従って受けるでしょう。ここで言われる善の支配は、自分の欲を捨てて、隣人のため、主のために善を行なうことです。そしてこの善は必ずしも自分から来ません。自分からではなく、主から来ます。自分から来ても、その善は主のものだと思い、それを主のものと認めなければ、善ではなくなります。

宇宙の物質の発生の学説によると、地球でかなり重いほうに分類される金は物理的に産出できず、宇宙の中性子星の衝突が起源であるとされています。中性子星の衝突で降ってきた金が、何億年もかけて地球に埋蔵されます。中性子星の衝突自体が稀な存在で、地球から極めて遠いため、地球の金の産出量は決して多くなく、貴重なものとなります。これは、自分から善を行うことができないという天界の教えに似ています。天界の教えは、その貴重な善は、あたかも自分から行うように行なえ、しかし自分のものでないことを認めよと教えます。善を主からのものとして行います、行えば行うほど、主との距離が縮まり、天界との距離も近くなります。

「人は善の内にいるまでは天界にいることはできないと言われます。
人は死後天界に入るために、世で自分の内に天界を持たねばなりません。
なぜなら天界は人に内にあり、世で生きている間、信仰の真理を通って隣人への善そして主への愛に入るよう耐えて、慈しみの内にいなければ、すなわち善の内にいなければなりません。
善によって、生命の善が意味され、生命の善とは善を望み、愛から意志し行うことです。人は意志するものを愛するからです。」(AC9832)

善を主のものとして行えば、人は天界に近くなります。この世にいる内に、是非とも培わなければならない習慣です。これらの善の源が、どこかは重要な問題で、この世にいる限りその判断は簡単ではありません。

エポデにある宝石は、 「印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。」(28:11)
四列、各列三種類の宝石の色と種類は、第一列は善の天的愛(AC9865)、第二列は真理への天的愛(AC9868)、第三列は善への霊的愛(AC9870)、第四列は真理への霊的愛(AC9872)が意味されます。列それぞれ三個の色彩によって善と真理の性質が変化します。

人が愛の善から、善の天的な愛となります。主から主への愛として善を行うなら、金によって枠の中にある宝石が赤く輝きます。どんな心から善を行うかで、輝く宝石が出てきます。裁きの胸当てにウリムとトンミムを入れて自分の心を判断します。
ウリムとトンミムは輝きだす光を意味します。その石を通して、裁きの胸当てにある石が様々な色によって輝き解答します。主の神的善から発する神的真理が天使の前に光として輝きます。もちろんこの世にいる間は簡単ではありません。
しかしこれは輝きだして究極にも現れる時があるといいます。
神の命令に従った生活、生命にいる時です。(AC9905-3,4)

「アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず【主】の前で記念としなければならない。さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが【主】の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず【主】の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる」( 28:29,30) アーメン。


出エジプト記
 28:1 あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵のある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなければならない。彼を聖別し、わたしのために祭司の務めをさせるためである。
28:4 彼らが作らなければならない装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らに、わたしのために祭司の務めをさせるため、この聖なる装束を作らなければならない。
28:5 それで彼らは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。
28:6 彼らに金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。
28:7 これにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。
28:8 エポデの上に結ぶあや織りの帯は、エポデと同じように、同じ材料、すなわち金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作る。
28:9 二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。
28:10 その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。
28:11 印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。
28:12 その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは【主】の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。
28:13 あなたは金のわくを作り、
28:14 また、二つの純金の鎖を作り、これを編んで、撚ったひもとし、この撚った鎖を、先のわくに、取りつけなければならない。
28:15 あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。
28:16 それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。
28:17 その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。
28:18 第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。
28:19 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、
28:20 第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。
28:21 この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。
28:22 また編んで撚った純金の鎖を胸当てにつける。
28:23 胸当てに、金の環二個をつけ、その二個の環を胸当ての両端につける。
28:24 この二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につける。
28:25 その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけなければならない。
28:26 ほかに二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につける。
28:27 ほかに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につける。
28:28 胸当ては、青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにする。胸当てがエポデからずり落ちないようにしなければならない。
28:29 アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず【主】の前で記念としなければならない。
28:30 さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが【主】の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず【主】の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる。

マタイ福音書
17:1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
17:2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

天界の秘義9814  
また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。これが霊的王国が天的王国と結ばれることを表すのは、装束が一般的に真理を意味し、善に装束を着せる真理であることから明かです。( 5954, 9212, 9216参照)。装束が真理を意味するのは天界に源も持ちます。そこでは天使たちは善からの真理に従って(165, 5248, 5954, 9212)現れます。そこからアロンの装束は主の霊的王国が天的王国と結ばれることを表すことがわかります。なぜなら体と衣服の関係のように、アロンは主の神的天性を ( 9810)、結ばれた衣装が天的王国と結ばれた神的霊性を表すからです。
神的霊性は主の神的善から発する神的真理です。これは天界では光として現れ、さらに天使たちの目には内側と同じように外部も輝かせる光です。この光の変容は受容する主体によります天使たちの目には、様々な現象、例えば雲や虹、様々な種類の輝きとして、また天使たちの輝く衣装としても現れます。
ここから主の霊的王国はアロンの装束の神聖さとして現れて見えます。なぜなら諸天界は天的王国と霊的王国の二つの王国に分かれています( 9277参照);天的王国にいる者は裸で現れますが、霊的王国の者は着物を着ています。ここから再び明かなのは、神的真理あるいは神的霊性、そして光として現れるのは、衣装を着ていることです。

天界の秘義 エポデ。これはこの王国の内的なものが外形で終結する神的真理を表すのは、エポデが神的真理の外形を意味することから明らかです。これがエポデを表す理由は、アロンの衣装の聖性によって意味され、霊的王国における神的真理が秩序の内に示されるからで(上記9522参照)、エポデが三着の衣装のうち最も外にあり、アロンのその三着の衣装は聖職者のエポデと、ローブと市松模様の下着です。最も外側は内的なものを含むだけではなく、その内に内的な事柄が終結します。それは人体と同じで、従って人体と相応する天界と同じです。真理と善も同じで、これらは天界を形成します。
[5] そしてこれがエポデが主の霊的王国で究極的な象徴であり、聖職者の残りの衣装より神性であることを説明しています。そのためエポデは主席聖職者の衣服で、金糸で作られ、中心には青、深紅、二度染めの緋色、亜麻布(出エ39:3)が編み込まれています。しかし他の聖職者は亜麻布のエポデでした (1 サム 2:18; 22:18)。
この理由でエポデは全ての聖職者の衣装を表し、エポデを着けるとは、聖書者であることを意味します (1 サム 2:28; 14:3)。この理由で胸当てがエポデに結ばれ、その上にあるウリムとトンミムによって解答が得られます、その理由は、この衣装が、主の霊的王国の究極的象徴であるからです。そして神の解答が究極の内に存在します、なぜなら全ての内的なものを連続的に通って、指示され、そこで終結します。その解答は聖職者がエポデを着用した時に与えられるのは、1 サミュエル 23:6-13; 30:7-8; ホセアから明らかです。
イスラエルの子孫が王無し、王子なし、生贄無し、柱なし、そしてエポデとテラフィム(ホセ. 3:4)なしに何日も留まり、テラフィムは神的解答であり、これらによって解答が与えられたからです (ゼカ 10:2)。さらにエポデの原語の意は、内的な事柄を包む」から来ています。
(出エ 29:5; レビ記 8:7)





 
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