立正安国論の解説をしている最中
ではありますが、

立正安国論の中に、
何度となくでてくる
〘正しい教え〙
について、
話しておかなければならないと
解説していきます。
これからも
正しい教え
正しい教え
と何度も、文中にでてきます。

 で確認できます。



正しい教えとは、
南無妙法蓮華経と唱える
法華経のことです。

インドに生まれ、仏教を説いた釈尊の
膨大な説法は、全く整理されることなく、
中国にわたりました。

例えて言えば、
今話題の、断捨離前。
ゴチャゴチャして、
何が重要なのか、
一番必要のないものは何か
わからない状態。

仏教が、中国に渡り、整理整頓しようと
する人々が現れました。
中でも、天台大師は、
釈尊一代50年における説法の次第や
教法の内容、教化の方法などを、
総合的に判釈した五時八教を立てて、
一代諸教の
勝劣浅深を明確にしました。

御経にも、
勝ち
劣る(おとる)
浅い
深い
……それが、存在するんですよ。

五時八教の五時とは
華厳時(けごんじ)
阿含時(あごんじ)
方等時(ほうどうじ)
般若時(はんにゃじ)
法華涅槃時(ほっけねはんじ)

[華厳時]
釈尊は、
まず、みんながどれほどの理解力があるか、
見定めるために、
比較的高い教え、華厳経を教えました。

要するに、学習塾に入る前のテスト。
受験生なら、このテストで、
Aクラス
Bクラス
Cクラス
と、理解度でクラス分けされますよね。

しかし、この華厳経も、
皆、仏教に無知であったため、
全く、理解することも、利益を受けることも
できませんでした。

[阿含時]
それを見定め、釈尊は、
《誘因のため》に、
最も初歩的な教え、四阿含経を説きました。
これを阿含時としています。

誘因して、興味を持たなければ、学びませんからね。
 
しかし、もっぱら、自己の得脱だけを目指すという狭い境涯に陥りました。
このことから、阿含経を、小さな乗り物に例えて、小乗経というようになりました。

自分だけの幸せ、
解脱というと、なにか、オウム真理教を思い出します。《自分だけ》ですよね。

[方等時]
自分だけの得脱を目指す阿含時の後、
16年間にわたり、
小乗経の教えに固執する弟子たちに、
小乗を弾劾、呵責し、
小乗を恥じて、大乗を慕う心をおこさせました。


阿弥陀経
無量寿経
観無量寿経
大日経
金光妙経
   等の権大乗経の教えが説かれています。
宗派としては、
浄土宗
浄土真宗
真言宗
法相宗
禅宗
  等が、あげられます。


[般若時]
方等時の後に、14年間(22年間説もあり)
説法されたときを言い、
摩訶般若
光讃般若
勝天王般若
金光般若
仁王護国般若
      等の 

『般若波羅蜜経』が説かれました。

釈尊は、
方等時で、小乗を捨て大乗を求める弟子たちに、
仏様の教法には、本来、小乗と大乗の区別がなく、すべて大乗教であると知らしめました。

仏様の教えは、
自分だけのための教え(小乗)ではなく
広く皆のために、周りの人々も幸せにする(大乗)教えが、真意です。
小乗をふるい落とし、
大乗教の教えに統一したのです(淘汰)

しかし、ここで説かれた経典も、
いまだ真実を顕したものではなく、
法華経に導くための教えでした。

[法華時]
釈尊は、72才より8年間に渡り、
法華経を説かれ、
更に、亡くなる直前の一日一夜、
涅槃経を説かれました。

法華時の開経である『無量義経』に、
《種々説法。以方便力。四十余年。未顕真実》
と、説かれています。

これは、釈尊が42年間に説かれた教え[種々説法]は、
方便(仮の教え)であり[以方便力]、
それらの教えでは、成仏できないことを示されています[未顕真実]。

なぜ42年間も、方便の教え(仮の教え)をとき続けたか、

それは、皆、機根がまちまちであったため、
その融和をはかるために、時間がかかったのです。

小学校の足し算引き算が理解できなければ、
当然、掛け算わり算も理解できません。
中学校の因数分解は、解けないし、意味がわからない……となりますよね。
時間、かかりますね。

法華経を説き明かしたとき、
じつは、今までの42年間に教えたおしえは、
真実ではなく、これから説き明かす法が、
本当に教えたかった教えなんですよ
だから、今までの教えをすべて捨てて、
今から話す真実の正しい教えを行じなさいね
と釈尊が、話したとき、
えっ!嘘でしょ?
今までの42年間はなんだったの?
やってらんないって!
と、退座した者たちは、五千人のいたと言われています。

[涅槃時]
釈尊は、究極の法である法華経を説いたあと、
入滅に臨んで(亡くなるのにそなえて)
涅槃経(ねはんぎょう)を説かれました。

法華経を説き明かしたとき、
退座した、五千人の者たちをはじめ、
釈尊一代の教化にもれ、
成仏できなかった人々のために、
説かれたものです。

涅槃経には、
仏身が常住であることや、
仏説には、隔てがないことが説かれ、
一切衆生、しつ有仏性
の教義が示されています。


しかし、涅槃経には、
爾前権教(にぜんごんきょう)の内容も重ねて説かれていることから、
純円無雑(じゅんえんむぞう)の法華経に比べれば、はるかに劣るものでした。

御経にも、勝劣浅深があるんですよ!
勝ち劣る浅い深い