2013年10月21日0時9分 僕の大好きなおばあちゃんがこの世を去った。
93歳の大往生だった。
おばあちゃんは8年前に脳梗塞で倒れてから言語障害になり、介護が必要な体になった。
生前僕によく
「ボケたり介護が必要になるくらいなら死んだほうがまし」
と言っていたおばあちゃん。
ボケないように細かい作業をすると卵殻画に精を出し、毎日体操をしていた。
そんなおばあちゃんが奇しくも介護が必要になり、ここ8年はまともに喋ることも出来ない体になっていた。
辛かったろう。
8年前脳梗塞で倒れたとき、おばあちゃんは電話がある玄関と、リビングをつなぐ廊下で倒れていた。午前中に倒れたっぽく、同居しているおばさんが発見したのは夜19時位。
もう少し発見が早ければ軽度で済んだかもしれない。
おばあちゃんはどうやら誰かに電話をかけて、その帰りに倒れたようだ。
その電話の相手は僕だった。
おばあちゃんはよく僕に電話をかけてくれた。
結婚はいつするんだ?仕事はうまくいっているか?いつもそんな内容だった。
手紙もよくくれた。
そしてその日僕はおばあちゃんの電話に出ることができなかった。
不在の着信履歴だけが残っていた。
あの時僕が電話に出れていれば、おばあちゃんが倒れたことにきづけたかもしれない。
本当に悔やまれる。
おばあちゃんは大変苦労人だった。
おじいちゃんは実業家で、電気屋を経営していた。
松山に2店舗、今治に4店舗と割と大きな電気屋だった。
おじいちゃんは健康上の都合から僕の父親に経営を譲り引退した。
ただ不況の波にもまれ、おじいちゃんから引き継がれた父親の会社は倒産した。
おばあちゃんは父親に社会復帰して欲しいと当時できた借金をすべて背負った。
そしてその借金はおばあちゃんが80歳になる頃にすべて返済し、且ついくらかの貯金も残していた。おじいちゃんは借金返済する10年前位になくなったので、おばあちゃんがほぼやりくりをしていそうだ。
そんな辛い状況も感じさせず、いつも笑顔でいろんなことを教えてくれた。
寝る前には必ずテレビで見たおもしろい話、役に立つ話を聞かせてくれて、僕はその話を聞くのが大好きで、おばあちゃんと一緒に寝るのがすごく楽しみだった。
話も上手ですごくわかりやすかった。
僕が人に伝える術を学んだのは間違いなくおばあちゃんからだと思っている。
おばあちゃんは僕が社会人になってからも会うたびにこっそりお小遣いをくれた。
「出世払いでいいよ」といつも笑顔だった。
僕はその出世払いを絶対に実現させてやると心に誓っていた。
そうだおばあちゃんの大好きな庭が広い一軒家を買ってあげよう。
そう思って仕事を頑張っていた。
でもサラリーマンの給料じゃ自分で精一杯で、おばあちゃんの家を買うなんて到底無理だ。
起業をして、成功して富を得て、それを実現させたかった。
おばあちゃんはもういない。
そうだった。僕が起業をしたいと思った原点を思い出した。
自分を育ててくれた人たちに恩返しをするための富を手に入れることが一番の源泉だった。
人の命には限りがある。
いなくなってからでは遅いのだ。
早く一歩を踏み出さないと間に合わない。
一欠片の勇気をおばあちゃんがくれたような気がする。