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(新)なごやん

名古屋からJリーグ アルビレックス新潟に熱い思いを送ります。旺盛な好奇心そのままに、アルビネタに留まらず、鉄道、芸術、SWL(短波・海外放送受信)、昆虫、等々、思いつくまま書いていきます。
これまでの「なごやん」にログインできなくなったため、こちらで続けます。

 今日の昼、いつものように英国BBCのホームページを見ると、これで、書いた記者はいつものシャイマー・ハリルさんとケリー・アン(黄思琪)さんです。

 11時台に記者会見が行われたようです。

 そう、自由民主党総裁であり、内閣総理大臣である岸田文雄が、9月に行われる予定の自民党総裁選へ立候補しないことを表明したのです。(BBCで知るというのが私らしいといえば私らしいところですしょうか。)

 これだけ自民党のゴタゴタが続けば、そのトップとして身を引くのは当然といえば当然ですが、本音を言えば、今の総裁の下では今年中に行われる衆議院議員選挙は戦えないということでしょう。

 

 問題はその後です。

 

 次に誰が自民党総裁になるのでしょうか。

 今、名乗りを上げている人、上げようとしている人。あの人、この人・・・大丈夫(いろいろな意味で)でしょうか?

 そして、政権奪取を狙う(??)野党に首相を担うに値する人はいるのでしょうか?

 

 一昨年、英国ではジョンソン首相が自らの失態で職を辞しましたが、保守党への批判は強く、その後のトラス首相、スナク首相はなすところなく、あっさりと政権の座から滑り落ちました。

 日本なら、首相が変われば、これまでと比較しての期待からなんとか保守党政権は持続したかもしれません。そう考えると、来るべき衆議院議員選挙では新総裁を戴く自民党がギリギリでも政権を継続する気がします。

 だって、今の野党に首相の任を果たせる能力を持った人物はいますか?

 立憲、維新、国民、社民、共産・・・まだあったっけ?

 その中で、ハイ、だーれ?

 推薦できる人がいたら手を挙げて・・・挙がらないか(笑)。

 

 ただね、今の連立政権が続くとすると、結局は軍拡路線まっしぐらですね。

 一部 "野党" の先導で。

 さらに、今のゴタゴタがそのままなかったことになりそうです。

 近年の悪の根源、安倍晋三のモリカケ問題も旧統一教会問題も。

 喉元過ぎても熱さを残しておかなくちゃ。

 総裁が代わったって自民党は変わりませんよ。過去を遡及してみましょう。

 

 そこへいくと、英国はさすがです。

 どうなるかは別として、労働党がちゃんと政権を奪取していますから。

 保守党が強行しようとした難民のルワンダ移送も「やーめた」とひっくり返してしまうし。

 

8月15日追記

 そして、ハリル記者の追記事です。

 日本のメディアに勝るとも劣らない内容です。

 最後がいいですね。

 「トップが別の顔になることで自民党は団結し、地に落ちたイメージが修復されうるのか?」

 そして結びは「September will tell.」て。

 

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J1リーグ第26節 ホーム 京都戦

 

アルビレックス新潟 2-0 京都サンガF.C.

 

 前節、勝ち点3を勝ち点1にしてしまい、降格圏チームを勢いづかせ、今節降格圏を脱出させてしまった新潟は、今節、やはり降格圏にありながら調子が上向いている京都をホームに迎えた。今日負けると京都に追い抜かれ、いよいよ自らの降格の危機が強まる。何としても勝ち点1ではなく勝ち点3が必要だ。

 

 今日はBSN新潟放送ラジオでライブ中継があり、チューナーを 1116 kHzに合わせ、聴いた。

 本来はこの時間、短波で英国BBCのワールドサービスを聴くのだが、今日は別だ。

 

 BSNの受信状態は端っからすこぶる良好だ。ただ、フェージングはなんともならない。幸いなのは同一周波数の南海放送が全く入らないことだ。

 

 試合は開始早々から危機意識丸出しの京都がガンガン攻める。新潟はシュートすら打てない。

 が、前半21分、ダニーロゴメスがPA内で相手GKのファールを受け、新潟はPKを獲得した。前半25分、このPKを小野裕二がしっかり決め、新潟が先制した。

 ただ、今の京都の勢いを考えると、この1点だけでは全く安心できない。

 しかし、京都は更なる点を取らせてはくれない。それどころか、前半のシュートはこの1本だけで、不安を抱いたまま、折り返した。

 

 後半に入ると、新潟が俄然元気をとり戻す。

 そして後半25分、鈴木孝司のスルーパスを松田詠太郎がつなぎ、最後は谷口海斗がヘディングでゴールネットを揺らした。新潟が京都を突き放す。

 

 それでも全く安心できないのが今の新潟だ。

 ただ、コメンテーターの立石さんが言うには「京都は攻めてはいるけどそれほど脅威を感じない。」そうだ。ただねぇ、新潟だからねぇ。タイムアップまで不安だよ。

 

 そして後半45分、アディショナルタイムは4分と比較的短い。しかし、追われる新潟にしてみれば結構長い。もう守れ!

 立石さんは「もう1点いける。」て。

 そうか、京都が緩くなってきてるのか。でも、とにかくちゃんと締めてほしい。

 

 で、今節はちゃんと締まった。

 京都をしっかり降格圏に残してきてあげた。

 

 次節はアウェーの試合だ。

 中位チームは結構どんぐり状態だ。

 とにかく、上を上を目指してほしい。

 

 今日は久しぶりのコレだな。

 そうそう、BSNのハーフタイムのメッセージで「アブはどうなりましたか?」と聞いた「名古屋のアルビサポ」というのは私です。試合開始前に放送室?へアブが迷い込んできたらしい。いなくなってよかったよかった。

 でもね、メッセージを読むのなら、ちゃんとメインの応援メッセージを伝えてくれなくちゃ。

 

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 名古屋の官庁街の一角に1922年に名古屋控訴院地方裁判所区裁判所として建設され、戦後は1979年まで名古屋高等・地方裁判所として機能していた建物があり、当時の姿のまま残すべく修理・保存し、「名古屋市市政資料館」として一般に公開しています。

 市内の小中学生(だけでなく誰でも)の学びの場としても利用されています。

 

 現在、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「虎に翼」の主人公「寅子」のモデルである日本初の女性弁護士のひとり、三淵嘉子さんが日本初の女性判事として赴任したのが名古屋地方裁判所だったことから*、そして、朝ドラのロケ地になったことでもあり、現在、名古屋市弁護士会の協力も得て三淵さんにちなんだ企画展が開催されています。

*ドラマでは新潟地裁三條支部へ行ったことになっていますが、実話では名古屋地裁であったのは朝ドラファンならよくご存じのことと思います。

 

 私は先日、用事で愛知県庁へ行った帰路、いつもなら名古屋城方面へ向かうのですが、今回は東へ歩き、名古屋市市政資料館へ行ってきました。

 市政資料館は建物自体が国の重要文化財で、荘厳な外観を呈しています。

 

 館内ではとりわけ大理石でできた中央階段室とそこを飾るステンドグラスが有名です。ステンドグラスの図案は「公明正大な裁判」を意図した天秤をモチーフにしていて、ここで結婚式を挙げるカップルもあります。(もちろん、披露宴はできません。)

 

 ここには明治憲法時代の法廷と現代の法廷が再現されている部屋があったり、裁判所とその関連の書類などの一部も展示されていたりしています。

 今は夏休み中とあって、児童生徒向けのプログラムも用意されています。

 

 戦前、戦後の法服や、当時の法曹界の人が学んだ英国やドイツの書籍などもあります。

 

 事務室まで足を運ぶ人は少ないと思いますが、何でも好奇心の私はその少ない人のひとりで、用もないのに 無理やり尋ねごとを作って 事務室へも顔を出してきました。

 事務室の入口には寅子のパネルと、恐らくはロケに訪れた俳優さんたちのものと思われるサイン入り色紙が飾られていました。

 

 そして、「虎に翼」の特別展示室です。ここはNHKの企画です。

 

 ドラマから抜粋した写真や実際にドラマで使われた衣装、寅子とその周辺の人々の相関図、その他、このドラマにまつわる資料等々が展示されていました。

 

 ドラマの台本(恐らく予備の未使用品)もありました。

 

 資料館企画の「三淵嘉子さんが見た名古屋」展では、三淵さんが名古屋にいた1952年から56年までを中心に、その前後を含めた、当時の名古屋市の光景が様々な形で展示されていました。

 三淵(当時は和田嘉子)さんは、名古屋で三淵乾太郎さんと知り合い、東京へ戻ってから再婚し、三淵嘉子になったのです。

 

 そんな中で、私の目に留まったのはこれ。

 1938年11月2日「名古屋新聞(夕刊)」のコピーです。

 久米愛子田中正子とともに武藤(三淵)嘉子の名があります。名古屋でも女性初の弁護士誕生は小さな記事ながら報道されていたのです。

 

 この企画は8月25日まで開催されていますが、NHKの番組紹介コーナーは9月1日まであります。朝ドラ関連の企画は三淵さんが女性初の裁判所長として赴任した新潟家庭裁判所のある新潟市など全国のNHK会館等の諸施設で開催されていますので、はるばる名古屋へ足を運んでいただくというものでもありませんが、無料で入館できますし、近隣の方はついでの折り(私もそうでしたが)にでも立ち寄られたらいかがかと思います。

 

 ここから更に東へ進み、徳川園(徳川美術館)へ連なる界隈は「文化の道」と呼ばれ、歴史ある建物が点在します。現名古屋市民としては、そのあたりの散策もお勧めしたいのですが、今は脱水/熱中症予防のため、避けた方がよいかもしれません。

 

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J1リーグ第25節 ホーム 磐田戦

 

アルビレックス新潟 2-2 ジュビロ磐田

 

 少し長期のインターバル後、今節はホームゲームで相手は降格圏にある磐田だ。

 かくいう新潟も目下残留争いに巻き込まれているといっていいだろう。従って、今日の試合は6ポインターとも言える。

 

 故障者が復帰してきた新潟は、まず前半15分、秋山裕紀が前方へ出したクロスに反応した宮本英治が振り向きざまのボレーシュート。これがゴールネットを揺らし、新潟が先制した。

 更に前半27分、秋山がボールをドリブルで運び、PAやや外から右足でシュートすると、これも決まって、新潟が突き放し、2点のアドヴァンテージをもって後半に入った。

 

 後半も新潟はチャンスを作るが決めきれない。

 

 そうこうするうち、磐田に1点を返される。

 それでもまだ新潟がリードした状態で後半アディショナルタイムに入るか入らないかの時、同点に追い着かれてしまった。

 

 その後、両チームとも得点できず、新潟としては負けに等しい引き分けとなった。

 

 新潟は本当に磐田に勝てないチームだ。今日勝たなくてどうする?

 しかも今季アウェーで奪われた2点、今日の2点、全て同じ選手にだ。

 同一チームのたった一人だけに2試合で4点も献上・・・こんなのありか?

 1試合で4点というなら、むしろ、まだ納得できるのだが、日を替えて2点ずつて。

 これを学習能力の欠如というのだろう。

 自分の生活や仕事でもそうだが、私は最後にピシッと締まらないのが大嫌いだ。

 これを「全力を尽くしたが追い着かれてしまった。」と言っていいのだろうか?

 全力を尽くした結果だったとすれば、そんな程度のチームだと諦めるしかないのかな。

 選手一人ひとりの能力を見れば、そうではないと思うが。

 

 順位では下との差が開かなかったことは事実だが、とりあえずは、降格圏にどっぷり浸かっているわけでもない。今のうち、今のうちに一歩でも二歩でも上へいっておいてほしい。

 次節も6ポインターだ。こうい試合に優しさは無用だからね。

 

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 7年前、SWL日記/BCL史(81)夢を分かち合いで触れたオーストラリアのポップグループ、ザ・シーカーズ(The Seekers)の一員、ヴォーカリストのジュディス・ダーラム(Judith Durham)が亡くなって、今日(8月5日)で2年になります。

 

 1962年に結成されたザ・シーカーズの活動は英国で花開き、一時はビートルズをも凌ぐ人気を集めました。中でも1966年にリリースされたジョージー・ガール(Georgy Girl*)は瞬く間に全世界でヒットし、当時の日本でもラジオを中心に街のあちこちからジュディスの明るくさわやかな歌声が流れてきました。(お年頃の方、覚えていらっしゃいますか?)

 往年の短波ファンの方、当時のラジオ・オーストラリア日本語放送の「ジョージ・ルイカーの日豪ヒットパレード」でも取り上げられましたよね。

*Georgy girl:ジョージ(男の名)のような女の子~男らしさ、女らしさという言葉が普通に使われていた時代です。

Hey there, Georgy girl, swingin' down the street so fancy-free・・・

 

 ザ・シーカーズは日本からはだんだん離れていきましたが、オーストラリアを始め、ニュージーランド、英国、カナダ、米国などでは、今日に至るまで人気を保っています。

 私のブログでは、上に書いたSWL/BCL史に続き2019年のクリスマスにはジュディスの歌声を聴いていただきました。

 

 ジュディスはこんな歌も歌っています。

 少年時代、キャンプファイヤーを囲み、みんなで歌ったクンバヤ(Kumbaya*)です。

 今でも歌われているでしょうか?

*Kumbaya:アフリカ系米国人の方言(African American vernacular English~AAVE)で、標準英語では "Come by here"

Kum bay ya, my Lord, kum bay ya・・・

 

 ザ・シーカーズは離れたりくっついたりし、ジュディスも一時チームを離れていましたが、結成50周年にあたる2013年に再結成(re-unite)され、その記念とともにさよならツアー(Australian farewell tour)を行いました。下のYouTubeはそこで演奏されたロシア民謡のステンカラージンをモチーフにしたカーニバルは終わった(The Carnival is Over)です。この時、ジュディスは69歳でした。これも60年代に大ヒットした曲です。

Say good-bye, my own true lover, as we sing our lover's song・・・

 

 順調な芸能生活を過ごしていたジュディスでしたが、彼女が51歳の時、夫が運動ニューロン病(ALS)で亡くなります。その後、ジュディスは障がい者の福祉活動にも関与しました。

 彼女自身も69歳の時、まさに上の「さよならツアー」の最中、脳出血に見舞われ、言語障害(失読、失書)を発症し、スコアも読めなくなりました。しかし、音声言語は保たれ、会話能力とともに歌う能力も残りました。

 ジュディスはもともと慢性の呼吸器疾患を有していて、それがもとで2022年8月5日、メルボルンの病院で亡くなりました。79歳でした。

 国内外で名声を博し、「one of the purest and sweetest voices in Australian music」と評された彼女を、オーストラリア国民は1か月後、国を挙げての追悼集会(state memorial service)で見送りました。

 その様子を伝えるオーストラリアのナイン・ニュース(9 News)です。

 お姉さんのビヴァリーさん、ジュディスそっくりですね。

 デイヴィド・キャンベルが歌う「カーニバルは終わった」の歌詞で、原詩の we may never meet again may will に代わっています。頭をよぎったのはジュディスなのでしょう。

And my tears are falling rain,for the carnival is over,we may never meet again.

 

 没後2年ということで、「あの頃」を思い出し、改めてジュディスを偲びました。

 

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♪ Wake up, Georgy girl Come on, Georgy girl 

 

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