今日(2021年3月25日)、東京オリンピック・パラリンピック(オリパラ)の聖火リレーが開始されました。
思い起こせば1964年の東京五輪は、日本国民がこぞって歓迎し、応援しました。
聖火リレーもそうでした。
その一端は以前、旧なごやんのブログに記した通りです。
聖火の通過する地域では小中学生が総動員されました。
リレーランナーは一人1 km少しを分刻みのスケジュールに沿って、ひたすら走りました。約1.2kgの聖火は顔の高さに保つよう言われ、ランナーは緊張の連続でした。
今回のように、手を振ったり笑顔を見せたりという余裕はありませんでした。
もちろん、聖火リレーのスタイルは時代によってかわるものですから、それはそれでよいのでしょう。
しかし、しかし。
これほど国民が一体となれないオリパラって何でしょう?
結局は「オリパラは誰のため?」に尽きると思います。
金の亡者と化した利権渦巻くIOCのため?
バッハ会長のメンツのため?
解散、総選挙のタイミングをお膳立てする菅総理のため?
真面目に、素直な気持ちで走ろうとする聖火リレー走者はどう思っているでしょうか。
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