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チョコミントの部屋

日々の出来事や感じたこと、おすすめ情報など綴っていきます。

今年の4月に長姉が古希を迎えました。


10歳年下の私は今年還暦。


お母さん、 〇〇ちゃんのお誕生日まで頑張ってと姉が声をかけていました。


お母さんが大丈夫なら還暦のお祝いしようねと姉が言いました。


うれしいけど、そんな気持ちになれないな断ろうかなと思っていたら母の訃報。


日程の都合上、私の誕生日がお葬式となりました。


私を産んでちょうど60年で母は星になりました✨


姉が、私が古希、〇〇ちゃんが還暦の年に亡くなっちゃったねとポツリと言いました。


この日、母が亡くなったのを知らない友人からお祝いのメッセージが何件かありました。

すごく、すごく励まされました。


ありがとう😢

母のお葬式は島の葬祭場で行いました。


2年前に突然〇でなくなった義兄と同じ場所。


最近は ご近所さんはだいたいここ。


父の時はお寺さんでしました。22年前のこと。

私たちも着物を着て、お寺さんまで弔い行列をしました。

ご近所さんや親戚が集まって、精進料理を作ったり、しきたりがいっぱい残る最後の時期でした。

私は子育て真っ只中だったし、あまりわからなかったけど、嫁入り先が近所だった姉はとても大変だったみたい。


この22年の間にコロナもあり、今はすっかり簡素化。母の葬儀も家族葬の形をとりました。


夫の親族は福岡なので、福岡の家族葬は何年か前からもっと簡素化。


島の葬儀はまだ 少ししきたりが残っています。


娘や、姪の旦那くんたちは初めての時は何が何やらわからないでしょうね。


だいたい、お通夜の後、お葬式の前に火葬します。


 今回初めて家族葬にしたら、お通夜もありませんでした。お通夜のお経がないだけで、弔問客は受け入れます。ただ、お通夜としての告知はありません。


葬祭場も人手不足。

数人で、あらゆる手配、 火葬場への送迎、式進行。全部されます。


島ならではのしきたりには精通されてるし、私たち世代はよくわからないから葬祭場のスタッフさんに何から何まで相談しながら決めます。


だからまあ、簡素化できるとこは簡素化されていきますよね。


お経も島では6人の和尚さんたちが来てされます。これ、無形文化財なんです。でも昔に比べて短くなったような…

これは和尚さんたちの高齢化かな。


私たち世代は島外から忌引の間だけ戻ってお葬式をするし、島外のお葬式での短いお経に慣れてるとものすごく長く感じてました。葬祭場側からしても、和尚さん側からしても葬儀が重なったら大変ですもんね。そうなりますよ。


母が亡くなる少し前にも町内で2軒お葬式がありました。

島は高齢化と少子化が加速しています。


あと、完璧な精進料理もなくなりましたね。


お葬式の後のお弁当には焼魚や唐揚げやウィンナーも入っています。


しきたりも残すためには、「今」に合わせていかないといけないってことですよね。


私も何回かお葬式に出て、やっと冷静に見れるようになってきました。


私のお葬式の頃にはもうお葬式自体違う形になってるかもね。






自宅に帰ってきてから、老衰について調べました。


個人差はもちろんあるけど、指標として、血圧が60を切ったら、家族を呼ぶレベル…と。


母は血圧が下がってきてたけど、まだ90代。


あと数日は大丈夫じゃないかな?

と思ってました。


しかし、その時は突然に来ました。


11:00頃に姉から電話で、病院から電話があり向かっている。状況が分かったら連絡する…と。


しかし、連絡はなかなか入らず、しばらくして、姉から一言「残念」と。


兄が先に着いた時にはすでに心拍は0に。


姉たちが到着し、医師の確認の上臨終となりました。


私の子どもや孫に会わせたし、もう思い残すことはなかったので、冷静に受け止めました。


粛々と準備をしているつもりですがかなりばたばたとして帰りました。


そして今日お葬式を終えて帰って来ました。




お母さん、ありがとう。

頑張ったね。


生まれかわってもまた私を産んでね。


大好きだよ。


あ~、なんか深い安堵感を感じながらジワジワ とロスです。

自宅に戻って整形外科に行って薬をもらったついでに職場に状況説明に行ったら、なんとオーナーが8月いっぱいで退職したという信じられないことが起きていた。


ご夫婦で2店舗経営されていて、まだ2人とも30代。お子さん3人。

仲もよかったはず…


私は奧さんの方と面接して採用してもらったので、奧さんの方に状況説明に行ったのだけど、最初は何も言われず、最後にオーナーさんによろしくと言ったら退職したと教えてくれた。


店先だったからそれ以上は聞けなかったけど、この短期間に何があったんだ!とモヤモヤしている。


オーナーさん、 私が働き始めてから1日たりとも休日がなかった。


1回だけ、思いっきり休みたいと言っていたのを聞いたことはある。


でも2店舗 持つということは致し方ないのかなと思ったし、この仕事がきらいでもなさそうだった。


にしても、奧さんが2店舗持つって…しかもお子さん3人まだ小さい。


離婚じゃないよね?

オーナーがちょっと休みたいだけだよね?

私が休んでオーナーにしわ寄せがきて爆発したんじゃないよね?


あ~、モヤモヤする…

母がずっと食べたい食べたいとジェスチャーするので、姉がお饅頭を少し潰してあげられないだろうか?と嚥下指導の先生に聞いてみたら、やはり誤嚥の可能性があるからダメということだったけど、ミキサー食ならあげてみましょうということになりました。

で、病院食も昼に1回用意していただくことになりましたが、最初は姉たちが母の好きなものを6種類、ゆるいおかゆ状にして持参し食べさせてもらいました。私はリモートで見学。


水やりんごジュースはスポンジにしみ込ませて飲ませてもらっていたけどスプーンで食べるのはプリンだけだったので、他の食材は久しぶり。


母の歯茎の力がすごいので、プラスチックスプーンは使わず、 金属のカレースプーンに半量ほどをゆっくりと口へ。


しっかり飲み込めているので、6種類を1口ずつ次々と口へ。

一通り飲んだらおしまい。


母はもっとちょうだいとは言わず満足して寝たそうです。


母に食べたい意志があるのに、ただ見守るだけって、誰も口にしないけど餓〇 させてるみたいな罪悪感がある。だからみんな安堵した。


パパのお母さんの時は施設にいて、認知症でほとんど 反応も薄い感じ だったけど、 食事は出てたし、胃ろうしますか?と聞かれなかったから食べていたと思う。そしてある日様子がおかしいと聞いてからは3日ほどで亡くなった。

まだコロナの制限がかかっていた時期だったので、あまり面会もできなかった。

だから、パパのお母さんはまだどこかにいるような気がする。


母の老衰はなかなかきつい。


今日かもしれないけど1ヶ月先かもしれない。


1つよかったのは坐骨神経痛で入院したおかげで職場にすぐ戻らなくても済んだこと。


迷惑かかるから、一旦辞めますって言ったけど、待ってますと言って下さり、母の件もあったから、退職にしてもらって誰か雇って下さいと言った時も待つと言って下さいました。


少し前ならこんなに長く休めなかったと思う。


更にパパに年金が入るようになったから私が働かなくてもなんとかなっている。


タイミングはとてもよかった。


兄も継続雇用終了で無職だしね。


この期間でみんな色々考えたと思う。


老い、老後、相続、終活、死に方…


死に方は自分じゃ選べないけど…


母のことが終わったら体力があるうちに断捨離しよう。捨てなきゃいけないものがたくさんある。


でも問題なのは私よりパパの執着。


案外どの部屋にもパパの捨てられない服があるのよね。以前から何回もいらない服は捨ててって言ってるんだけど…