久しぶりにCDを買った。
デラックスエディション。
発売日にデラックスエディションというのが大事だ。
発売してだいぶ経ってから、デラックスエディションを出す
モ●ッシーというアーティストもいるがとても困っている。
コンサート入場禁止になると困るので、マスキングしておこう。
通しで聞いた印象として、
無常とか、虚しさ、絶望、その日常の果てみたいな感じに聞こえた。
それでいて何とか希望を持とうと、どうにもならないところで
もがいているような感じだ。
この先の自分、この向こう側の自分
そこに進もうとしている意志というか
気持ちと言うか、そういうものを感じた。
モリッシーの最近の歌詞を見ていると、
何か同じような文句を繰り返し言っているように聞こえて、
彼自身が、今の自分の向こう側を目指していないように思える。
でも、そんなことを言っても、自分もそうだ。
例えば、パンク。
パンクを語る人もパンクを歌う人も、私は、もういいやって感じになる。
その人たちのほとんどが、今、パンクの地平にいないからだ。
私はいるとは、感じられない。だから嫌いだ。
じゃあ、自分は?自分はどうか?
自分も目指しているとは言えない。
過去好きだったもの、今も好きなもの、
もちろん、その気持ちを大事にしていて、
そのことを思い出したりする。
そういったものに出会う前は、まだ、出会っていなかった。
当たり前だよね。
ひたすら、さまよっていた。そして出会った。
今の自分が、この先、新しい愛着に出会うために、
新しい愛に出会うために、今できることは何か?
今、どこにいて、今どこに向かおうとしているのか?
あなたが、それを愛していることはわかりました。
あなた、それを大事に思っていることもわかりました。
あなたは、今、その大事なもの、そのものですか?
あなたは、今、どこにいますか?
残念だが、多くのケースで、その大事なものと無関係になっている。
それを人生や、日々の生活の中で実績として証明している。
そして、仕方ないと考える。
そんなことを聞きながら考えてしまった。
この作品、自分は好きだ。
今、何処。
自分が大事に思えるそのものとして生きて、
そして死にたい。
