アラン・ホワイトの復帰 | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

Turning The Inside Out. - MESSAGES FROM MORRISSEY - MORRISSEY CENTRAL

 

新作は聞いてないので何とも判断できない。

最高の作品と言われても、

いつもそう言っている。

 

じゃあ、どうしてDog on a chainが入っていないのだ?

と突っ込みたくなるので、全くあてにならない。

 

ただ、新作はリリースできないだろう。

今年、聞くこともできない可能性がある。

もう、ダウンロード販売して欲しい。

 

アラン・ホワイトと歌を作っているという

話が嬉しい。

少なくとも、今後、作品にアラン・ホワイトが復帰する

可能性があるし、ライブでも復帰するかもしれない。

 

バンドメンバーも、それに合わせて変更になるならば、

見に行くモチベーションも上がりそうだ。

 

かつて、モリTの群れに、一人アランTで突撃してやると言って、

いまだにマジでやろうと思っているアラン過激派の私としては

良いニュースだった。

 

結局自分が好きだったのは、1999年から2000年で、

それを超えるほどのものを今後見られるかは微妙だが

期待して待とうと思う。

 

あとは、ドラムだな。

 

母親が亡くなったことについて傷が癒えないというのは、

よくわかる。

今思うに、人生において、失われたものは、失われたままなんだと思う。

目を背けたいから、若い時は真剣に考えなかった。

でも、自分が経験すると目を背けられなくなる。

はっきり言うと、明らかな話なのだ。例えば自分の腕が切断されたら

義手があっても、それは、失われたままだということだ。

 

じゃあ、どこに癒しがあるのかという話だが、

それは、多分、新しく遭遇するものの中にあるような気がする。

でも、失われたものが戻るわけでもないし、ぽっかり空いた穴がふさがるわけでもない。

ただ、新しく遭遇する何かとの時間の中で癒されることがあるかもしれない。

かもしれないというレベルだ。そういう意味では人生は残酷だ。

だから、人は残酷なことは、すべきではない。

 

奇跡なんて平等ではないから、0の人もいれば、10の人もいる。

1つでも2つでもあったならまず感謝しよう。

感謝できない人間は、ロクな人間じゃない。

それは、言動にも行動にも表れる。

 

私も奇跡よもう一度と言っている段階で十分わがままだ。

神への乞食みたいだ。

実際のところ、自信は何もないのだ。

ますます、難しくなっていく。

 

今回のインタビューの中で、モリッシー自身が、

クリスチャンであることを明言しているように読み取れたのと

それは、切手を集めるようなものではないというような表現を

していたけれど、スペアが効かないという意味なのか

わりとしっくり来た。

Yes I am blindを歌っていて、この発言をしているのだから、

これは、これで好感を持った。

 

個人的には、クリスチャンという連中が

偽善で差別的で思い上がっていてというのを

間近で経験しているので、私のスタンスは、

Yes I am blindという感じだ。

もちろん、みんながそうだとは言っていない。

 

自分の中に1つの信念があって、

地球上の人間を、一人でも不幸にしたり、傷つけたり、

絶望させるような宗教は無い方が良い、

つまり、存在しないほうが良いと心から思っている。

そんなことのために存在しているのか?

何のために存在しているのか?

と常にクエスチョンマークだ。