母親の死というのは、モリッシーより早く経験してしまった。
経験したくなかったけど。
人によっては、親よりも早く死ぬケースもあるから、皆が経験するとも限らないが
多くのケースで経験する。
危篤状態になった時に、モリッシーが取り乱していると感じて
Born sorryと言い出した時に、かなりダメージを受けていると感じた。
人間だから当たり前だ。
Born sorryと言い出したら、程度の差はあれど、全員同じだろと思った。
コロナでなくて良かったとは思う。
コロナだと遺体に会えないとかいう
話があって、遺骨がやってくる。
遺骨だけ渡されるという経験をしたことがないから比較もできない。
そういう意味では、どの程度の良かったのかは、わからない。
親が亡くなるというすべてに関して、事前に学ぶ機会というのは、
社会のすべてにおいて、実質的にあまり存在しないような気がする。
亡くなってからしなくちゃいけないことを知り始める。
本人も亡くなると思ってなかったので、遺言が無かった。
これが、後々相続問題にもなり、ただでさえ辛いのに
どうしてこんなことにならなくちゃいけないんだと思った。
しかも、期限付きでね。相続の手続きには期限がある。
だいたいのサラリーマンが、1週間、2週間ぐらいで仕事に復帰する。
働かないと生活できないので、そうなるわけだが、これはこれで不自然なこと
のように思える。しかし、多くの人がそうしている。
家庭によるだろうけど、膨大な時間を過ごした親が亡くなって、
2週間して、仕事を始めて、いつもの生活に戻るというのは、生命として変な気がする。
しかし、無心に働いている時に、母親のことを考えなくて済む側面があるため
精神的には、楽だった部分もある。
もし、お金持ちで働かなくて良ければ、
絶好の引きこもりニートになるタイミングだったと思う。
モリッシーの終わりなんだ。母親は自分なんだと言っているのは共感する。
なんて言ったらいいんだろう。今は、その瞬間と同じように悲しんではいない。
あたりまえだけど、でも存在しなくなったという現実は、ずっと継続する。
そして、それは、心のどこかで意識している。つまり、終わり続ける。
僕がモリッシーなら、来年はコンサートは、やらずに引きこもる。
別に働かなくても暮らして行ける。
もちろん、永遠にとは思わない。でも、自分なら普通に1年ぐらいは、引きこもる。
なぜ、そうしなかったかと言うと、
それをする力が自分にはなかったのと、社会もそれをさせなかっただけだ。
検査でもわからなかったと言うが、
誤診なんて普通にある。
自分の育った環境から、医者が言うことは正しいと思ってきたが、
特に今の社会、自分がこれまで考えてきたよりもずっと誤診がある。
優秀な医者なら気が付けたが、スキルが足りないから気が付けないとか普通にある。
特に地方はやばいかもしれない。
セカンドオピニオンなんてデフォルトじゃないか。
私の母親は誤診があったというか、医師が見抜けなかった。
結局、地方に住んでいるのに、東京の病院に入院した。
どこに住んでいても、結局、やばくなると医療設備が整っているところに
移ることになる。
どんな田舎に暮らしていてもそうなる。
母親がどうして亡くなったのか。
その答えは、自分の中では出ている。
いろんな要素、その一つ一つには不満もあるが、
結局のところ、生命の限界だったからだ。
努力して、なんとかするみたいなのは、生についての事柄であって
死と言うのは、結局は、あきらめである。
しょうがない。