生きる理由はない | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

So Low in High Japan!!!

 
最近思うのだけど、ライバル意識みたいなものが
あったからアーティストも切磋琢磨して
良い作品が生まれたのだと思う。

刺激も受けず、周囲もしょぼくて
対抗心もなければ、どうでも良いものの山になるでしょう。

JapanがXTCを意識していたり、XTCがJapanを意識して
俺たちだって!!と思ったわけ。

勝ってやる!!ってのは、やっぱり大事だよ。
 
アーティストが、それぞれ、刺激しあっていたから
良い作品がたくさん生まれたのだと心から思う。
 
それが、いまでは、似たり寄ったりなものが多くて
気持ちが萎えるだけ。

どうでもいいじゃんみたいなものの山。
 
あと、ちょっと最近変だなと思ったことがある。
やや宗教とも絡むのだが。
 
生きる理由についてだ。
生きる理由とは、自由なのではないか?
自論なのだけど、生きていく中で、探すものだと思う。

生老病死という考え方があり、
人の四大の苦しみでもある。
仏教用語なのだけど。
どうしてこんな苦しみを味わうのかという
疑問はあるのだろう。
 
でも、じゃあ、
何か正しい生きる理由みたいなものが仮に存在して、
生まれた時から、すべての人間が奴隷のように
その人生を生きるってことなのか?
ただの歯車のように?
思考停止しているようでもある。
 
では、その正しい生きる理由に沿って生きることができているのか
一生懸命、考え苦悩して、照らし合わせる。
これは、ありがちな話だ。
宗教でよくある話だ。

そして、いくつもエラーが出てしまうんでしょ?
つまり、私は、仕組み上、
こういう形態をとっていると思う。
自由だ。
 
自由の真の意味とか解釈の話はどうでもいい。
何でも好き勝手、一応できるようになってしまっている。

そこにブレーキをかけているのは人間なのであって、
善を選ぶのも、悪を選ぶのも、生きる理由を選ぶのも、死ぬ理由を選ぶのも
自由になってしまっている。

仕組み的にそうなっている。
 
これを否定して、社会を征服していこうという考え方がある。
民主主義の否定にもつながる。
民主主義は、間違った判断をするからということなのだが、
どんな手段をとろうとも、どんな宗教に入っても
間違った判断をするのであって、本質的な差はない。
 
だから、本当にどう思うのが最善なのか、
あなたが生きて自分で判断しなさいとなっている。
 
それを宗教者は、何らかの書物に照らし合わせ
これが正しいとかあれが正しいとか言い出す。
でも、人生では実際たくさんのエラーが起きる。
彼らは、誰一人神様ではない。
 
つまり、システム的にこうなっている。
なぜ、こうなっているのかはわからない。
証明もできない。
推測の域を超えない。
 
もしかしたら、
最善の理由は、あなたが自ら生きて、旅をして
自分で気がついて、見つけ出してほしいということかもしれない。
そういう希望を作り手が持ったのかもしれない。
あまりに残酷で、不条理で、悲惨な現実の存在までも仕方なく許容しつつ
自由を優先したのかもしれない。
 
生きる理由がないのに
なぜ、生きるのか?
という問いに対しては、
そんなに簡単にあなたに生きる理由を与えるわけには行かないのです。
が回答かもしれないってこと。
 
でも、そのようなことは、すべて存在しないで、
ただの現象にすぎないという可能性もある。
 
私の生きる理由は、絶対的かつ瞬間的に生きる理由を魂で感じること
そのために生きている。
 
という考え方をしているので、
私に何か言ったところで無駄だよね?