ジェイコブコーリアの
トークセッションで、いろいろ頭で考えて
こうしたいと思っても、結局やらないまま終わってしまうということが多い。
まず、飛び込んでみるのがいいと思うと言っていて
印象的だったのが、
まず、どこかに行かなければ、
その先に行くことはできないというようなことを言っていた。
1つの環境にいた場合、
その環境では当たり前のことが
別の環境では通用しなくなることがある。
かつて当たり前で議論さえ存在しなかったことを
何時間もかけて議論したりする。
実際、この1年でそういうことが起きた。
自分が当たり前と思う環境で、
自分のスタイルが突き通せる
環境に長くいると、これも実際経験しているのだけど
そのほうが、ある種楽なところがある。
結局その中にずっといる。
そういう意味では、一歩踏み出して転職して良かった。
ここ数日は、ずっと村山聖のことを考えていて
気が付いたことがあった。
結局、何が真実かを証明できるのは、人生だけだということだ。
それは、固有名詞でもなければ、第3者でもない。
また、考え方でも信念でも哲学でもない。
生き様とか行動でやっぱり決まってくるんだと思う。
~が正しいと言うことじゃないんだなと昨日電車に乗りながら思った。
聖書とかコーランを大事にすると言っても、
例えば、そこに書かれていることと真逆の人生であったり
行いをしていたら、説得力はない。全部偽りになってしまう。
別に聖書とかコーランを真実だと証明する必要はない。
何が真実かは、人生だけであって
それは、行動なんだろうなと思う。
本当に大事にしていたら、自発的に人生がそうなるということだ。
そういう意味で、
モリッシーの「meat is murder」は、人生を懸けていると言える。
行動、人生もそうなっている。
だから、みんな多かれ少なかれ尊重する。