昨日は一番最初の会社の同窓会に行った。
もう毎年やっているような気がする。
毎年かなりの人が集まり
この数年間で200名ぐらい集まった。
つまり、みんな1人1人の会社だった。
今の会社はそうじゃない。
昨日、今の会社とこの会社どちらがいいと
思うのかという問いかけがあり、
何人かが話して、この会社のほうが良かったと
謝りながら言っていた。
今の会社のマネージャもそこにいるのに。
僕もそうで、今の会社の数億倍
その会社のほうが良かったし、
もし、あの時のように
存在するならば戻りたいぐらいだ。
それはお金の問題でもない。
その会社は、今は存在しないのだけど。
当時の社長が、スピーチで
俺はそういうことはきかない。
おやじとおふくろさんどっちが好きか
ときかれてそれは答えられないことだと
モラルに満ちた発言があった。
しかし、事実としてはあるんだろうなと思う。
でも、それは心の中で感じることで
言うべきではないというのは正しいのかもしれない。
例えば、僕は父親より母親のほうが好きだった。
例えば、だんなより、息子のほうが好きで
だんなのために命は捨てないけど、
息子のために命を捨てる母親というのは
いるかもしれない。
子供のことなどどうでもいいと死なせてしまう親もいるけど。
社会は、ごくわずかな美しい現実、多くの悲しい現実にあふれている。
あの会社は、家族のようでもあり
でも、今の会社は家族のようではなくて
とても冷たくて、2人助けに来てくれないか?
とお願いしてもどこからも助けが来ない。
ものすごく薄情な存在で、もう期待することもなくなっている。
マネージャ陣はバカだからこういうことがわからない。
まあ、もうあきらめよう。
もう一つ出来事が今年の前半あった、
その会社で共に働いていた人が亡くなったのだが
転職を繰り返すと、人が死ぬことに気が付かずにいられる。
転職を繰り返しても、こういう風に皆で集まる関係があると
かつて一緒に働いた人が亡くなることを知る。
これで4人目だ。
去年は元気そうにしていた。
でも、元気そうにしていたときにたぶん、
癌の治療はしていたんじゃないかと思うし
死ぬって知っていたんだろうかというのがわからない。
僕は、ここで何を言いたいかと言うと
価値と言うのは失って気が付く。
失わなければ気が付かない。
人と言うのは悲しい生き物で気が付かない。
僕も最初の会社にいたときにこの会社が一番良いなんて
思わなかった。今の会社も辞めたら、良い部分もあったな
と実感できるのかもしれない。
ムカついたり腹を立てたり苦しんだり喜んだり感動したり
人生にはいろいろあるが結局、それがどういうものだったか
ボディーブローのようにやってくるのは無くなってからだ。
もう2度と見ることがないとしたら
もう2度と会うことがないとしたら
そんな風に考えて生きることは難しい。
でも自分のできる範囲で様々な調整をして
ベストを尽くすべきだと思う。
Because we mustよりも
Because we needという人間だが、
その理由は、
it may all end tomorrow
に他ならなない。
だから、許すということもとても大事なことだ。
そして、僕はもう一度こういう会社で働きたい
今の会社を辞めてこういう会社で働くのが
人生の大きな目標の1つだ。
それは自分で経営するのか社員になるのか
良くわからないけど、やっぱりそれを目標にしたい。