エンジニアとしての意地 | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

というのが私にはある。

なるべく正確に書こうと思う。


こうでなくてはならないということではなくて、

誤解のないように。


私の人生の8割以上、
エネルギーおよび時間を技術や技術チームのマネージメントに
費やしている。人材育成もしなくてはいけない。


そして、それでお給料をもらって生活も成り立っている。


そういう状況下で、たとえば「おたくの技術ってレベル低いですよね。」

「仕事ボロボロですね。」とか言われるようなことは屈辱だし、

思われることも屈辱である。耐えられない。


会社がそう思われるのも残念だし、

会社は得体の知れない大多数の集合体なので

そこは譲ったとしても、自分の部隊が言われると辛いし、

自分が見ているチームが

そういう風に思われたり言われたりすると全部の責任は私なのだと思う。


技術者ならしっかりできて当たり前である。

特別なことではない。当たり前のことを当たり前にやって

それを積み重ねてようやくお客様から評価される。


だから、あらゆる「できない」ということは屈辱なのだ。


どんな単純な現場作業であろうとも、どんな難易度の高い導入作業であろうとも

ラボ試験であろうとも、できないということの屈辱に変わりはない。


技術がなかった、足りなかった、未熟だったのいずれかに該当する。


それを恥ずかしいと思う。実際仕方ないときもある。


しかし、次からは完璧にするはずだろう。


でも、まったく恥ずかしいと思わない人も実際にいる。


こんなふうにかけらほども感じないという人が実際にいると思う。


それは、価値観の違いである。でもその人にきいてみたい。

「いったい技術者ってなんですか? エンジニアって何なの?」

素朴な疑問である。


よってこういう技術者としての意地みたいなものは、

自分の存在理由にかなり近い。


それを失ってどうでもいいと思うなら、他の仕事を探したほうが

人生が潤うと思う。


究極的な結論としては、自分は自分のこの仕事や業務を

バカにされるようなことが許せない。


なぜならこれだけ、私は長い時間を費やして

とてもたくさんのエネルギーをそこに傾けてきたから。


お客様に怒られた経験もあれば、とても褒められて

感謝された経験もある。たくさんの大事な経験があって

いまだに忘れられないお客様もいる。


自分の仕事がバカにされないためにも技術者としての意地が

私の中にある。