その昔、青春時代でもいいけど、
成長ということは意識するだけでなくけっこうわかりやすかった。
大人になれという考えは、
大人社会への否定的な見解を持ちながらも
全く説得力がないということもなく、それなりに説得力があった。
しかし、最近成長とは何なのかと思う。
変化が成長とは限らない。
成長してきたと評価されることもあったが
俯瞰する部分が生まれたというのはある。
でも実際成長したとはあまり思っていない。
言葉の意味を調べると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%95%B7
成長はどこかでとまり生物は死へと向かう。
精神的成長に終わりはないのだろうか?
そう信じたいと思って生きている。
でも実際そんなにたいしたことはない。
私は、がっかりすることもあれば、やる気を失うこともある。
そういったことはなく常に前向きであるなどということはない。
どちらかというと激情型の人間だ。
しかし、ひたすら考えて理詰めを自分の中で行っている。
これはものすごく昔から行っている。
日々のライフスタイルになっており、考えるのが好きかと言われると
好きな部類なのかもしれないが、好きとか嫌いとかは超えてしまい
必然的なライフスタイルになっている。
なぜかその向こう側に答えがあるのではないかといつも信じている。
むずかしい局面が訪れるときそこから解放されるのではないかと
いつも期待している。これは過去の経験から来ている。
最近つくづく思うのが成長するためには同じく成長していく
人たちといっしょにいたほうがいいということだ。
一人だけで成長するのは考えずらい。
少なくともこの方が効率がいい。
自分が腐っていると感じるより、自分が良くなっていると
感じたい。素直にそう思う。
しかし、成長はなかなか難しいので
成長するというより活性化するということに
突破口を見出したいのだけど、あまりできていない。
自分の方向性みたいなものはやっぱりある程度決めなくてはならないし
そこを間違うとぜんぜん成果がでない。
方向性がないとただ停滞していくだけである。
成長とは自分の中では真実に気がつくことであり、
様々なことに自分なりに答えを出してきたが、
いまだにまだまだ真実に気がつきたいのである。
気がつく、わかることによって人は変わるし良くなる。
わからないという現実はただ人を絶望させるだけで
絶望することは罪である。
人は絶望するから罪を犯す。