ニュースでやっていたので知っていると思うが、立教大学の教授が息子に刺されて亡くなった。息子は、無職で引きこもりとか言われているが実際はどうかはわからない。38歳にもなって親なんかともめても仕方ないと僕は思う。つまり親とは離れたほうがいいのだ。家族での摩擦というのは、あまりにも距離が近いが故にシリアスである。社会においてある人が自分を理解しないというのとは比べられないのだ。
一応自分の中で良くないと思うものをあげる。絶対こうだというわけではない。
1.自立していない。親元を離れて1人で暮らした経験がない。
2.1つの会社組織で3年以上働いたことが無い。職を短期間で転々としてしまう。
3.その状態で20代後半を過ぎてしまう。
(後なるべくなら、1人で暮らした経験が無いまま結婚もしないほうがいいと思う。)
このあたり全部あてはまると厳しくなってくる。なぜこんなことを書くかというと最近すごく思うことがあるのだ。なんていうのか自立しない人や、自立が遅かった人たちについて僕が感じることがある。それは、変なわがままであるということだ。子供じみているのである。
例えば、大半の親は、子供が何か求めてきたら何とかしてあげたいと思うだろう。僕は親といっしょに子ども時代暮らしていないのでよくわからない。だからあくまで感じることである。間違っているかもしれない。
例えば、20代後半まで子供が自立しないというのはすべてのケースがそうではないが、基本的に親が子供に甘い。引きこもりを許可しているのである。子供も親に甘えているのだ。甘えるのが悪いというのではなくて、正確に言うと非常に悪い部分があるということだ。
たとえば、親にこれを何とかしろと子供が要求する。たぶん、そのとき親は何とかするだろうと思っているのだ。子供はあまり親のキャパシティーを考えない。わがままな子供は考えない。それに甘い親も努力してやりくりしてしまう。悪循環である。
そんな子供が社会に出てきたらどうなるか?わがままなのである。自分を何故大切に扱わないのだろうか?自分の扱いはこうあるべきだとか。無根拠な思い込みである。そして要求が大きいのである。
例えば子供が親に何か買ってくれというとき、親の財布にいくらお金が入っているのかなんて考えないと思う。しかしだ、社会では考えなくちゃいけないのだ。
財布に2000円しか無い人間に20000円よこせと言って20000円出てくるだろうか?銀行に行く行かないの話はここでは本質では無い。僕だったら2000円出して、これしかないと言うだろう。残り18000円のために何か良い方法がないか考えてアドバイスはすると思う。でも僕が出せるのは2000円である。そして僕は、2000円しかもっていない人に20000円求めたりしない。これが社会人としてのマナーである。僕が駄目な奴には言わないというのもこのマナーによるものである。言って駄目なのは、理解するチャネルがないのだ。IPXしかしゃべれない機器にIPの経路情報送っても仕方ないのだ。
次に自分のいる場所に一番欠如していると感じることなのだが、僕は2000円しかないけど、相手が20000円必要であるという現実はもちろん認める。この尊重の精神が特に欠如している。社会人としての質が低いのだ。なぜ相手が2万円必要なのか?それはわからない。遊びのためかもしれないし、借金を返すためかもしれないし、あるいは子供を病院に連れて行くためかもしれない。でもその人は2万円必要なのだ。そして残り18000円を手に入れるためのアクションにでるだろう。何がいけない?だってその人は必要なのである。だから何故必要なのかはともかく。必要であるという現実を認めてあげることだ。
親元にずっといて、自立して働くということをちゃんとやらないと常識とずれてくるのだ。他の子供と自分を比較して親に向こうの子はこうだからとか言って困らせたりするというのがある。馬鹿馬鹿しい。そもそも完全な公平性など存在しない。北朝鮮やイラクに生まれていたら君の人生はどうだった?と言いたい。
ただあまりに不公平だと人も察知するのでそういう場所は自然と見捨てられていく。例えば本当に努力していても評価を全くしないとか、実力を見ないとかそういうのが著しいとたぶんできる人はいなくなる。でもこれは誰が危機感を持つかというだけのことだ。
こうあってしかるべきというルールは誰が決めるのだろうか?
はっきり言って僕にはわからない。ただ存在するのはより優れたものだけである。レベルが高いとか低いというのも個人の価値観である。僕がこれ駄目だなあと思っても、僕以外の人間は、それが普通とか思っていることが良くある。実際今僕が働いている職場でも良くあるのだ。
だから、家を出て、一生懸命努力して、生きていくのである。
それが大事だ。
あくまで一意見である。僕にも欠点がある。それは育ちから仕方が無いのだが、スピリチャルにはホームレスなのである。父親がみんなで食事に行こうと準備したときも途中で抜けてしまったし、この歳になって母親が旅行に行こうと誘ってきても忙しいからと平然と断るのだ。
親が離婚しているというのが大きい。もう君たちは君たちで好きに生きてくれという感じになってしまうのだ。それと一緒に暮らさなかったこともあり、ますます痛感するのが、親は僕とは違うということだ。つまり人生においてなんら接点もないし、僕は親に対して尊敬する箇所が無い。かけらほどもない。例えば、父親は大工で頑固者だけど、技術はしっかりしていて尊敬しているとかそういうことも全く無い。彼らに対して言えるのは、好きにしてくれ!俺も好きにする!以上終わりなのである。
育ててもらった感謝の気持ちとか欠けている。生んでもらって感謝するとかそういうのもない。
今当然僕は1人暮らしだし、23歳ぐらいになってから家を出た。今では年に数回家族の顔を見かけるぐらいである。
それと子供時代は、父親はあまり家に帰ってこなかった。どこぞ、女のもとにでもいたのだと思うが、家にたまに帰って来たときも殴られた覚えしかない。

こんな感じだった。
このような時にこういう経験をしたなら難しい。
まあ、理解しようも無いだろう。
よって僕はこの先もサバイバルしていくのである。
本当の心のホームが見つかるまで。