アイルランド激凍編(5) | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

アイルランドマヒャド編
あれタイトルなんだったけ?

旅行記12月20日まだまだ 続き、、、

その日本人の女性 マリとの会話の続き。。。。




ちなみに彼女から名前をきかれたが僕は苗字を答えた。
彼女は名前だけ?だったが。
僕の名前は発音がスムーズじゃない。
外人に説明するときはいつも名前の書かれたチケットを
見せなくちゃいけない。自分の名前が嫌いだった。
日本だとどんな字書くのとかきかれたりもするし。ややこしい。

良い名前だねとか言われたこともあるが嫌いだった。
今は?今は好きだ。逆に言いづらい名前ってのも
いいかなとか思っている。

さて話をもとにもどす。

彼女は、モリッシーを聞き始めて6年ぐらいだと言ってた。
ということは、マラジャステッド以降ということ。
しかし、99年、2000年とツアーには来ていない。
ロイヤルアルバートホールもいなかった。
見始めていてもサマソニぐらいかな。
モリッシーを見に来るようになったのはここ最近と言っていた。

年齢はきかなかったが、たぶん20代半ばぐらい?
かな。

そのとき僕のことをいくつか尋ねられた。

僕もモリッシー見初めてそのくらいかなとか
超いい加減なことを言ってしまって、
待てよ、いや違う。10年。聞き始めてから
12年ぐらいかなと答えた。

話していてギョッとしてしまった。
え?そんなに時間がすぎたのか。
スミスをはじめて聞いたのは、たしか19歳だったと思う。
時が過ぎるのは一瞬である。

モリッシーを見ている回数もきかれたが
これは思っているほど多くない。20回から30回の間である。
(反省している。もっと行かないと。)

95年、ステージまでたどりついた。
とても貴重な体験だった。そのことが忘れられずに
いまだに僕はここにとどまったまま。

あの時同じようにステージにたどりついた。20名から30名は
もう全く違う人生を生きているだろう。
僕は変わらずここに残ってしまった。

この世界を知ってほしかった。
だから彼女を前に連れて行きたいと思ったのかもしれない。

後々このことを考えると複雑な感情も生まれた。
これは今度書こう。

彼女にステージに上がったときのことを説明した。

「何ていうか良いんだ、時間が止まるんだよ。」

何となく言ってることがわかる。と言ってくれた。
ちょっとうれしかった。

今思い返すと多分ツアーの最終日だから彼女は並んで
前を目指したのかも。
来るたびにこんなことやっている僕とは違うのだろう。

僕の場合、結論から言って2004年は全日程最前列なのだから。
勝率100%である。いつも賭けで綱渡りだがそれをどこかで
楽しんでもいる(笑)

でも、彼女もスコットランドのコンサートで
モリッシーの手を触れたことがあると言ってた。
なるほど、ただものじゃないなと思った。

彼女のことを今一生懸命思い出して書いている。
いろいろなことを話したような気がする。また思い出したら
書こう。結論から言って彼女がどこの誰かは良くわからない。
一期一会かもしれない。
でもだからこそなんというか、思い返す。
こんな風に並んでいてもある日を境に全く見なくなることがある。

99年2000年とずっとツアーを見て回っていた ナンシーマーシャルは
もう見ない。連絡も取れない。彼女を知っている人に彼女のことを
尋ねても皆知らないのである。

かなこさんが言っていたが、ジュリアのようにモリッシーを追っかけていた
ローズマリーももういない。僕は1度として会ったことはない。
皆、どこかで脱落していく。というか別の人生を選ぶのである。
僕は回数は少ないとしても最後まで残るよ。
ジュリアの最後ぐらいは見届けてやる。

だからもしかしたらマリも来なくなるかも。
僕がこんなことを考えていて、こんなことを書いてるとは彼女は
わからないだろうが。

僕は日本でモリッシーやスミスファンといわれている人たちから見ると
別の生命体である。
何の接点もない。
僕はネットワーク技術者ということに1つのアイデンティティを持っていて
その中で全く関係ないこんな旅行記を書いているのだから。

さて話を元にもどそう。
あたりも暗くなり徐々に会場入り口のほうに移動する。
イアンがセキュリティに番号を振っているという説明をする
その番号順に通して欲しいというのである。
まだそんなこと覚えていたのか、僕は忘れていた。

となるとマリは厳しいな。何とかしないと。
番号チェックを潜り抜けて前に行く。
彼女がどこにいるか探すが良くわからない。

そのうち、モリッシーのボディガードやマネージャーが
現われる。ボディガードは、今日に限ってはいつも来ている面々を
先に会場にいれるという。僕はもちろん脱落した。
仕方ないのでイアンに場所をとるように頼む。
最悪の状況を意識した保険をここでかけた。

何人かが先に会場に入る。でもだったら
番号を振ることに何の意味があったんだ?
彼らの都合だと思う。
番号を振るといった人間も振られていた大半の人間も
順番など関係なく先にはいるのだから。

4番目ぐらいに来ていたオランダ人の女の子2人は
がっかりしていた。悲しそうだった。
番号ふったのなんて何にもならないと言っていた。

でもね、あきらめたら終わり。
あの程度の人数がいったからって最前列は埋まらない。
こういう状態から上級者は勝負をはじめるのである。
あきらめちゃ駄目だ。

たしかに最悪の状態を意識した保険はかけたが
僕は自分で最前列に行くつもりだった。
ドアがオープンする10分前凍えた。すごく寒かった。
マリが大丈夫か心配になるがどこにいるかわからない。

もう行くしかない。
ドアがオープンしてダッシュである。
例によって最前列真ん中ゲット!!と思ったら、、、、、

マリがもういる???!!!!
あれ、けっこう僕のうしろにいなかったっけ???

結局2人で並んでみることになる。トイレ行くというので場所をとっておいて
と言われる。
僕的には、「あ、うん」という感じだった。

テレポートしたのか??どこでもドアか??
と思ったがこの結論は日本に戻ってから出た。。。。

僕が駄目なのである。
ロンドンでも転んでるぐらいだし。運動しないと駄目だ。
いつまでも若くない!!!

モリを初めて見て10年以上たっている先輩としての
意地もあるしな。
よって2005年の目標に自分を鍛えるという項目がはいる。

何もマッチョ人間になりたいわけじゃない。そんなの無理だし。
ここに来るためにダッシュしても息をきらさず
早く来れるようになりたい。

よし、打倒 マリ!!だ。(超単純)
まあ、もう彼女に会うかわからないが(笑)

しかし、10年以上の先輩としてはあざやかに勝たなくちゃいけない。
そのためには相当走りこまないと。
さらっと最前列にいて彼女が来たら、
あ、大丈夫?ここあいてるけど、、、ぐらいじゃないとな

真剣に東京にもどってから考え込んでしまう。
まあ、とはいえ。

祝!日本人最前列(また例によって、、、アホだ)

続く

写真)会場内イタリアの友人の写真