『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その80 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その80

第18回 壇ノ浦に舞った男

今回は、壇ノ浦の戦い後の平宗盛(小泉孝太郎)について。

 

大河】鎌倉殿の13人|平宗盛役は小泉孝太郎!清盛の後継者。出演作も紹介! | にゃんドラマニわん♪〜黒猫夫妻のドラマな日常〜

 

 平宗盛は、平清盛(松平健)の三男として、1147(久安三)年に生まれた。源頼朝(大泉洋)と同い年で、異母兄に長男重盛、次男基盛がいる。兄二人が早世したため、三男でありながら平家一門の棟梁となった。三男でありながら、家督を継いだのは頼朝と同じだ。

 

 1185(元暦二)年3月24日、壇ノ浦の戦いに敗れた宗盛は、子の清宗(島田裕仁)とともに義経(菅田将暉)四天王と言われる郎等伊勢三郎能盛によって生け捕られた。『鏡』の記述を見る限り、宗盛父子が海に身を投げた様子はない。

 

 しかし、『平家物語』には、その時の記述がある。要約しよう。

 

 宗盛父子は入水することもなく、船の端から四方を見回し途方に暮れていた。それが、あまりにも情けなく見えたので、味方の武士から海に突き落とされた。清宗はこれを見て、すぐに海に飛び込んだ。皆は重い鎧を身につけ海に沈んだが、宗盛父子はそうでなかった上、泳ぎが上手であったので海に沈まなかった。宗盛は『お前(清宗)が沈むなら、私も沈もう。助かるのなら、私も助かろう。』と思い、清宗も『父がお沈みになるのなら、私も沈もう。お助かりになるのなら、私も助かろう』と思って、目を合わせながら泳ぎ回っていた。そうこうしているうちに、伊勢三郎能盛が小さな船を漕ぎ寄せて、熊手で清宗を引き上げた。宗盛はこれを見たのに、沈もうとしなかったので、(能盛に)同じように捕まってしまった。

 

 何とも優柔不断な総帥宗盛か。皆が海に飛び込んでいるのに、自分は仲間に突き落とされるとは・・・。生け捕られた後の宗盛を『鏡』で見てみよう。

 

 4月26日午後4時頃、宗盛は捕囚として入京した。後白河法皇(西田敏行)もお忍びで車を六条坊門まで出して見物したという。

 

 5月15日、酒匂(神奈川県小田原市)着。翌16日、鎌倉入り。生け捕られた宗盛を一眼見ようと野次馬が「垣墻(えんしょう)の如し」、つまり垣根のようにびっしりと並んでいたという。宗盛は輿に、清宗は馬に乗っていた。宗盛父子は御所の一角の「西の対(にしのたい:主殿の西側にある建物)」に入り、夜になって頼朝から命を受けた広元(栗原英夫)が、食事を運んだが、宗盛は手をつけようとはせず、憂え悲しんで涙を流すばかりだったという。

 

鎌倉史跡ー 大蔵幕府跡 / 鎌倉ぶらぶら

 

 6月7日、宗盛達が京に帰るということで、頼朝は広元に「あった方が良いか?」と尋ねた。すると広元は、「今は以前とは立場が違います。鎌倉殿は二位の位を得、一方の宗盛は朝敵であり、無位無官の囚人です。下手に対面すると軽率だという誹りは免れますまい。」頼朝はこの広元の助言に従い、対面をやめ、御簾の中から様子を伺うことにした。(ドラマと一緒だ!”)そして比企能員(佐藤二朗)を通じて「平家一族に特別な恨みはないが、法皇の命令を受け、追討の軍を出発させたら、あっという間にこんな辺鄙な鎌倉に呼び寄せることになってしまった。前の内大臣をお呼びたてし、恐れ多くはあるが、武士としての面目がたった」と伝えた。宗盛は礼儀を正し、しきりに媚びへつらい、何か言っているようだがはっきりとはわからなかった。ただひたすらに命を救ってくれたなら、出家し仏の道に進むということだった。宗盛は平家という武勇の家に生まれ、清盛の後継として官位も領地も欲しいままにしたのに、今更、比企能員のような者に礼儀を尽くす必要はないだろうに、ましてや、死罪となるのにいくら礼儀を尽くしても意味ないではないかと周りにいた者達は非難したという。

 

 6月21日、今日に向かう途中の近江国篠原宿(滋賀県野洲市大篠原)で元平家家人で平家を見限って源氏についた橘公長(たちばなのきみなが)が義経の命によって宗盛を斬った。享年39。同日、清宗も近江国野路口(のじぐち:滋賀県草津市野路町)で堀太郎景光(義経の郎等)によって斬られた。享年16。親子の首は、京の六条河原に晒された。

 

 ドラマの中で、宗盛は「胴体だけでも子の清宗と埋葬してほしい」と義経に懇願し、義経も兄上に掛け合ってやると約束する場面があったが、義経は腰越に留め置かれたまま、頼朝と会うことなく京に戻るので、この約束は果たされていない。しかし、首は一緒に晒された。

 

 宗盛は滋賀県野洲市大篠原、清宗は滋賀県草津市野路に胴塚がある。

 

平宗盛終焉の地~近江国篠原宿~ | kurouの鎌倉メモ

(宗盛終焉の地:滋賀県野洲市大篠原)

清宗塚 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!

(清宗胴塚:滋賀県草津市野路)