『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その77 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いじゃなく先取りコラム その77

第17回 助命と宿命

今回は『平家物語』に見る壇の浦の戦い その4 安徳天皇(相澤智咲) です。

 

鎌倉殿の13人:アニメでも実写でも可愛い安徳天皇 「まろもか?」に視聴者“キュン”も「この後の悲劇を思うと…」 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 

 安徳天皇は、1178(治承二)年、高倉天皇と平清盛を父にもつ平徳子(建礼門院)の間に生まれた。数え年3歳で天皇となった。都落ちした平家と運命を共にして、わずか8歳で壇の浦で入水した安徳天皇の最期を見てみよう。いつもの私のチョーテキトーな口語訳で(笑)

 

 安徳天皇は、今年(1185年)8歳になられたが、お年よりははるかに大人びていて、御容姿は美しく、あたりが照り輝くほどだ。御髪は黒くゆらゆらしていて、お背中の下まで長く伸びていらっしゃった。驚かれたご様子で、「尼様、朕をどこに連れて行こうとするのか」と仰ったので、幼い天子に向かって涙を抑えて申されたことは、「君はまだご存じではないのでしょうか。前世の十善の戒めを行ったお力によって、今、万乗の君主(天下を治める君主)としてお生まれなさいましたが、悪縁に引かれ、御運はすでに尽きてしまわれました。まず、東にお向きになって、伊勢大神宮にお暇を申し上げ、その後、西方浄土の仏のお迎えをお受けしようと思われ、西に向かって御念仏をお唱えください。

 

(安徳天皇:泉涌寺蔵)

 

 この国は、粟散辺地(そくさんへんぢ:辺境の小さな国:日本のこと)といって、不快な土地ですので、極楽浄土という素晴らしい所へお連れ申すのです。」と泣きながら申されたので、山鳩色の御衣に角髪(みずら:貼り付けた絵を参照:解散したハイキングウォーキングのQ太郎が『卑弥呼さまーー』と言ってやる髪型)を結って、お涙にむせ、小さくかわいいお手を合わせて、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお暇を申し上げられ、その後、西に向かって御念仏を唱えられたので、二位殿(平時子:安徳帝の祖母)は、そのまま抱きかかえて、「波の下にも都がございますぞ」とお慰めして、千尋の底(非常に深い海の底)へお入りになった。

 

みづら【角髪・角子】〔現代かな遣い〕みずら - 広辞苑無料検索 学研古語辞典

(角髪:みずら)

 

 悲しいかな、刻々と変化する春の風は、花のような(天皇の)お姿を散らしたかと思えば、悲惨なことに、生死を分ける分段の荒波が、玉体(天皇の体)を沈めてしまった。御殿を長生と名付け、門を不老と名付け、老いない門と書いたけれど、まだ十歳にもならないのに、海底の水屑隣られてしまった。十善の行いで皇位についた現世で、前世の行いによる報いは、何とも申し上げようがない。

 

刀剣ワールド】三種の神器

(三種の神器:安徳帝と共に草薙剣が海に沈んだ:失われた草薙剣は、後に順徳天皇が、伊勢神宮から贈られた剣を新たに草薙剣の形代(かたしろ:神が依り憑くもの)とし、今に受け継がれている。)

 

 雲の上の竜が下って、海底の魚とおなりになる。大梵天王の住む宮殿の上、帝釈天の住む喜見宮(きけんのみや)の中で、昔は大臣・公卿に囲まれて平家一門をお従えになり、今は船の中に住み、波の下で御命を一瞬で滅ぼしなさったことは悲しいことである。

 

 さて、三谷幸喜はどのように壇の浦を描くのか?楽しみにしましょう!